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第一話 婚約とその破棄

興味を持っていただき、ありがとうございます。

 「私、冒険者になるわ!」

 

 私は夕食の席で宣言した。お母様に執事のジロー、アンナをはじめとするメイドたちも、みんな揃ってギョッとした顔。滑稽なことこの上ない。

 お父様に至っては、もう顔を伏せてしまっている。私が出て行くことがよっぽどショックなのだろう。でも、私は出て行く。自由を求めて。

 

 「フィリップさんとの婚約はどうするの?」

 

 青ざめたお母様が、か細い声で聞いてくる。こんな公爵家に嫁いできた典型的なお嬢様に、私の気持ちなどわかるまい。

 

 「何度も言ってるけどね、あんな男と結婚するなら死んだ方がマシ!だから冒険者になるの!ダンジョンに骨をうずめてやるわ!」

 

 私の怒声に気圧されたのか、お母様はそれきり黙ってしまった。とても私の母親とは思えない気の弱さ。お母様譲りのこの赤髪がなければ、親子であることを疑ってしまうくらいだ。


 「ですが、お嬢様――」

 「ジローは黙ってて!」

 

 私の決めたことに口出しするとは、使用人のくせに思い上がりも甚だしい。これ以上何か言ってきたら、ここにあるスープを投げつけてやろう。

 だいたい、勝手に結ばれた婚約を勝手に破棄して何が悪いというのか。別に、勝手に婚約を結ばれたことがイヤなんじゃない。それは貴族なら仕方がないことだと理解している。

 イヤなのはその相手。家は格下だし、歳も下。それをさて置いたとしても、あの覇気のない目が気に入らない。きっと、情熱とか執念とかそういう言葉を知らないのだろう。

 私は私を曲げない。いままでそうしてきたのだから、これからもそうする。だから、結婚したくない相手とは結婚しない。それだけの話だ。

 

 「マリ、婚約破棄と冒険者になることは別の話じゃないか?」


 顔を上げたお父様が正論を浴びせかけてくる。

 私だって、この決断が論理的じゃないのはわかっている。不本意な婚約への報復なら、婚約破棄だけで十分なはずなのだから。けれど、どうせ報復するならとことんやる方が性に合うし、やりたいことで報復できたらもっといい。


 「それにな、婚約破棄なんてそう簡単にできるもんじゃない」


 私が黙っていると、諭すような優しい口調でお父様は続けた。その言葉を待っていた。

 

 「婚約破棄が簡単じゃないって?」

 

 私は予め決めていた台詞とともに、懐から一枚の紙を取り出した。これが何かはお父様もわかっているはずだけど、その表情は変わらない。さすが、魑魅魍魎が跋扈する社交界で長年揉まれてきただけのことはある。

 

 「血判状か」

 

 私が持つ紙切れの正体をお父様は正確に言い当てた。そう、これは婚約を定めた血判状。婚約者の親同士、つまりお父様とオレアン伯爵によって交わされたものだ。

右手の親指と人差し指で血判状の端をつまんで、筒状に丸めてあったのを広げる。

 

 「見てて」

 「おい、まさか!」

 

 ここで初めてお父様は慌てたような表情を見せた。だけど、もう遅い。

 血判状はボワッと一気に燃え上がり、黒い灰が食卓に舞った。我ながら、私の炎魔法はいいキレをしている。後ろで聞こえるメイドたちの可愛い悲鳴が心地よかった。

 この血判状が消えてしまえば、婚約を結んだ証拠はもうない。これが我が家に保管されていてよかった。

 

 「これでおしまいよ」

 

 私の勝利宣言に、お父様はぐぬぅと変な音を漏らすだけだった。

 

 

 

♢♢♢

 



 その日、フラーム公爵邸には、とある客人がいた。オレアン伯爵とその一人息子のフィリップである。フィリップはまだあどけなさの残る少年だった。

 国内最有力の貴族であるフラーム公爵を前にして、オレアン伯爵は背中に鉄の棒でも入れたかのように背筋を伸ばしていた。近ごろ敏腕領主として持て囃されているオレアン伯爵であっても、フラームの名は大きいらしかった。

 

 「それで、今回はどのようなご用件で参られたのですかな?」

 

 フラーム公爵は、やや顔をこわばらせたオレアン伯爵へ問いかけた。そんなフラーム公爵自身は、人当たりのよさそうな柔和な微笑をたたえている。腹の内を決して探らせぬ、社交界における歴戦の猛者だけが身に付けられる類のものだ。

 

 「はい。単刀直入に申しますと、我が息子フィリップとフラーム公のご令嬢との婚姻をご一考いただきたく存じまして」

 「ほう」

 

 その面持ちから緊張が窺えても、オレアン伯爵の言葉には芯があった。

 しかし、興味があるのかないのか、フラーム公爵は短く相槌を打つだけだった。傍からは考えの読めないフラーム公爵の態度に、オレアン伯爵はほんの少し身じろぎする。

 焦ったような父親に対し、息子のフィリップはどこか上の空といった様子。入室してから一言も発していないし、席に着いてからは一切身動きを取っていない。

 沈黙の時間。部屋の隅置かれた柱時計から発せられる規則的な音が、空間を支配していた。

 

 「いいでしょう。認めますよ」

 

 不意にフラーム公爵が口を開いた。オレアン伯爵は驚愕に目を丸める。

 

 「ほ、本当ですか!?」

 「……私が娘を使った嘘をつくとでも?」

 「いえ、とんでもございません!」

 

 オレアン伯爵は仰々しく嫌疑を否定した。

 しかし、とフラーム公爵はまだ話を続ける。場の支配権は、フラーム公爵に移っていた。

 

 「我が娘のことはご存じでしょう?」

 「と言いますと?」

 

 意味を図りかねるといった様子で、オレアン伯爵はやや食い気味に聞き返した。

 

 「『烈火』、ですよ」

 「ああ、そのことですか」

 

 フラーム公爵の答えに、得心がいったとばかりに大仰に頷いた。『烈火』という言葉に聞き覚えがあるようだった。

 

 「俗人の戯言など、どうして気にする必要がありましょう。そうだろう、フィリップ?」

 

 オレアン伯爵は、ここで初めて横にいる少年に話を振った。このころには、オレアン伯爵は持ち前の揚々とした調子を取り戻していた。

 

 「その通りでございます。このお屋敷に入る前、私は見ました。窓辺で猫を撫でるマリ様を。その猫は、マリ様の方に身体を擦り寄せていました。これはマリ様が優しいお方であることの証左です。そもそも、私は『烈火』という二つ名は、その由来はどうあれ、素敵なものだと愚考いたします。マリ様のその情熱的な美しさを形容するのに、これほどぴったりなものはないでしょうから」

 

 今度はフラーム公爵が目を丸める番だった。それまで父親のおまけのような存在だった少年が、一息にその場の主役となったからだ。変声期の半ばにいると思われるその声は妙な色気を持っていて、男のフラーム公爵ですら聞き入っていた。

 

 「驚いたよ。正直に言えば、見た目がいいだけのパッとしない少年だと思っていたから。娘のことをそんな風に思ってくれるとは、娘もきっと幸せだろう」

 

 フラーム公爵は、フィリップに対しての評価を大幅に上方修正したようだ。かわいい一人娘を好意的に見てくれたフィリップを、程度はどうあれ好意的に評するのは自然だろう。


 「お褒めいただき光栄でございます」

 「君になら、娘とこの領地を任せられそうだ」

 

 フィリップとマリが結婚すれば、将来的にフラーム公爵領はフィリップのものになる。フラーム公爵家に、世継ぎとなる男子はいないからだ。

 フラーム公爵とて、マリに適切な教育を施し、女領主にするという選択肢を考えなかったわけではない。しかし、マリはどんな家庭教師もあの手この手で三日以内に追い出してしまったのだ。歳を取ってからようやくもうけた一人娘。それゆえマリに対して強く出ることができず、フラーム公爵はその選択肢を諦めてしまったのである。

 とはいえ、この先祖代々伝わってきたフラーム公爵領を捨てることはできないというのも、公爵の正直な気持ちだった。マリを早いところ結婚させ、次期領主を見繕おうと思っていた。

 そんな折に、時代の寵児とでも言うべきオレアン伯爵の一人息子との結婚話。渡りに船とはこのことだった。

 

 「必ずやマリ様を幸せにし、この地を繫栄させ続けると誓いましょう」

 

 万人受けしそうな笑みを浮かべ、フィリップは言った。フラーム公爵は、それに応えて力強く頷いた。

 マリに断りもなくその場で婚約が交わされ、その内容を定めた血判状も作られた。大家同士の婚約がこうも淡泊に結ばれることなど、異例中の異例であった。

 

 「では、よろしくお願いします」

 

 屋敷の玄関先で、オレアン伯爵が頭を下げて言った。隣でフィリップも頭を下げる。

 マリはその様子を二階の窓から見ていた。目を細めて、品定めするような視線を送っている。

 フィリップは顔を上げたとき、二階の方を盗み見た。マリとフィリップの視線は、自然とぶつかる形になる。フィリップはマリに微笑みかけたが、マリはすでに興味を失っていたようで、部屋の奥へと消えていった。


異世界恋愛からハイファンタジーに変更した作品です。

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