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2-3.目、選択

 壺振りの俺が木枠に賽子を入れる所を傷の男に見られてはいけないので、カノさんが衝立代わりに座布団を手で立てることになった。これで傷の男の視線は遮られる。カノ、という若い方のニシマツの旦那の名前はたった今、傷の男が聞き出したのだ。


 俺の目の前には木枠と二つの賽子がある。俺に課せられた縛りは一つ、どちらの賽子も同じ目が上を向く様に木枠に収納すること、それだけだ。


 どの目を上にしようが条件は同じ。ならば、説明で使われた6の目で問題ないだろう。それでは、どの目とどの目を合わせるか。


 先ず、ファーストチャンスで丁にするかどうかを考えるとする。丁になる目の組み合わせの方が多いのだから、当てられる可能性も高くなる。


 しかし、博打は一発勝負なので、住々にして確率通りになることはない。つまり、確率のことを考えると半の方が当てられ難いが、博打ではそうなるとは限らない。


 こういった場合の目の決め方の理想は心の中に乱数を発生させ、それに従うこと。だが残念ながら、人間は全く偏りのない精神世界を展開することはできないし、俺はそのことを自覚している。


 だから、理屈を求める。相手の思考内容や予想不能な目などを導き出せる理屈を。


 けれども、仮にその様な理屈を手に入れれたとしても、どうしても考えてしまう、罠が張られているのではないか、と。今、手に入れた理屈は相手が手渡してきたものではないか、と。


 結局どうしていいのか分からない。そう、泥沼だ。頭の中の泥沼。その泥沼に嵌まりながら結論を出すか、感性の赴くまま想像力を豊かにして結論を出すか、各個人次第だ。


 俺の結論の出し方は、そのどちらにも当て嵌まらない。俺のはこう だ、分からないものは保留する。保留根性だ。だから、ファーストチャンスは一旦保留だ。セカンドチャンスでの合計数を先に考える。4から10まで、どれを選ぶべきか。


 先ず、4の場合を考え、あれ、おかしいな。その筈はない、いや、あるのか。


 何かが引っ掛かった。何かに気付けそうだった。


 4は丁だ。


 待て、サードチャンスの答えが『2・2』だとすると、合計4で、丁だ。


 『2・2』は4で丁じゃねえか。


 俺は、はああ、と苛立ちの感情を混ぜた溜息を吐き、頭を下げて背中を丸めた。傷の男の話術にまんまと嵌まってしまったことに気付いたのだ。やられた、俺は騙されていた。こいつは詐欺師だ。サードチャンスとかなんとか言ってるのは目眩しだった。


 この男はチャンスが三つとかほざいているが、本質はチャンスが一つと保険が二つだ。


 なぜなら、サードチャンスにおけるそれぞれの賽子の目の予想を決めたとき、合計数と丁か半かの予想も自動的に決まるからだ。サードチャンスの予想さえすれば、ファーストチャンスとセカンドチャンスの予想をわざわざ別にする必要がないのだ。


 それでサードチャンスの予想が外れても、ファーストチャンスかセカンドチャンスで引っ掛かる可能性がある。これが、俺が保険と呼ぶ理由である。


 つまり、これは実質サードチャンスだけの十六分の一の博打なのだ。先程、俺は二百云々、と考えていたが、実際はそれより断然低い十六分の一だ。なぜ気付かなかったのだ、俺は。


 言われてみれば、こいつの説明は丁寧だった。ファースト、セカンド、サード、とけったいな言葉を拵え、二分の一、七分の一、十六分の一、と少し考えれば誰にでも分かる計算の結果を伝えてきた。そのせいで、俺は確率が二百分の一だと勘違いしてしまった。


 実際は、十六分の一の確率で四十倍払いの博打だ。ギャング顔負けの阿漕な博打である。参考にすべきペテン師振りだ。


 俺はこいつの口車に乗せられてしまったのだ。不条理を自分から受け入れた。こいつの言葉を無垢な心で吸収した。疑わなかった。詐欺の被害者だ。警察に相談したい。善良な博徒であるこの俺を騙すなんて、酷い。


 だが、それでも、俺の気持ちは、まだ、こいつの上に立っている。依然、見下せている。


 こいつは保険を掛けているのだ。保険。博奕打ちが保険、面白過ぎる。まるでパフェ好きの悪党だ。両極端が共存しておかしなことになっている。この様な男は博奕打ちとは呼べない。


 保険を掛けるなど、俺は目を当てる自信がありません、と声高々に宣言している様なものだ。


 壺振りの経験から分かる。このような考えの許で弱気になって打っている者は絶対に当てることはできない。今回は十六回やれば一回は当たる博打だが、この考えを持っている者の場合、五十回やっても当たらないだろう。


 情けないのはお前だ、傷の男め。お前は頭が切れるのは事実だが、俺が思う様な熱い男ではない。博徒失格だ。


 そして、この様な博打に保険を掛ける男の考えは簡単だ。こいつの予想は、合計が7になる半だ。なぜなら7になる目の組み合わせが一番多いからな。


 『2・5』『3・4』『4・3』『5・2』


 四通りある。


 仮にこいつが勇気を振り絞ったとしても、合計が6か8になる丁だな。組み合わせがそれぞれ7の次に多い三通り考えられるからだ。


 間違いない。本当にそうなるのだ。強く張れる者は感覚を研ぎ澄ますために、意図的に保険を取り除こうとする。そうすることによって自身の勘を冴えさせることができる。しかし、こいつはそうしない。ということは弱く張るのだ。


 では、俺はどうするべきか。目を閉じて考える。


 合計が4、5、9、10になる目の組み合わせならどれでも安全だが、最適解を見付けたい。人はどのようにして数字を決めるか。


 常識的な人間なら小さい順に考える。4は駄目、5は駄目、といった具合に。そして9辺りに差し掛かって、選択肢を全て失いそうなことに気付き、慌てて決断する。つまり、9や10は少し危険だ。4か5にしよう。より小さい4がベストか。


 合計が4になる賽子の目の組み合わせは、『2・2』のみ。これはいい。目の前に居るクソったれ保険男は絶対にこの目を予想しない。なぜならサードチャンスで『2・2』を外してしまったら、セカンドチャンスを確実に外す。ファーストチャンスの丁の予想が引っかかる可能性はあるが、それだけ当ててもたかが倍払いだ。イカサマをされたのに倍払いで終了する。こいつは割に合わない気分になるだろう。逆に俺は大助かりだ。たったの倍払いで済むのだからな。


 我ながらいい目だ。『2・2』、素晴らしい。この目で確定でいいだろう。


 馬鹿め、傷の男。これからは博打じゃなくサラリーで稼げ。博打に向いてねえんだよ。お前は空っぽのなんちゃって博奕打ちだ。


 俺は目を開き、賽子を拾った。各賽子の6の目を探し、それを上にして2の目同士を接触させる。そして、二つの賽子を保持したまま木枠に収納させようとした。


 これで終わりだ、保険男。せいぜい倍払いで納得するんだな。俺より多少頭が切れるとしても、俺の方が男だ。それが分かっただけでも十分だ。


 この目でぶっ潰してやる。


 しかし、その刹那、俺はギリギリのタイミングで手を止めた。気付いたのだ、賽子の特性に。人生で一度も気にしたことのない特性に。


 これは駄目だ!


 6の目を上にしては駄目だ!


 四分の一になってしまう!


 俺は歯を食いしばって力を込め、手を体の方へと振り戻した。息を吐く余裕もなかった。指に力が入り過ぎてしまって、賽子から離れなかった。


 危ない所だ。賽子を収納する前に気付けてよかった。俺はまんまと罠に嵌まっていたぞ。


 俺は、はあ、と息を吐いて気持ちを落ち着け、指をゆっくりと開いた。賽子が下に落ちて、ころころと転がる。


 6の目を上にしては駄目だ。こいつ、俺に6の目を上にさせるために、説明でもそうしたに違いない。常識的に考えれば、説明で上にするのは1の目だ。6の目はおかしかったのだ。


 やはり、只者ではない、傷の男。四分の一で殺されていた。あ、危ねえ・・・。


 今、部屋の中で動いているのは俺だけだ。皆は凪だが、俺の心にはサーファー感涙のビッグウェーブが訪れていた。かなり激しい波だった。


 だけど、溺れずに済んだ。大丈夫、ここから持ち直せばよい。落ち着け、落ち着け。あの方は、常に落ち着いている。そのことを思い出して見習え。


 強めに息を吐く。両腕を回し、肩の凝りを解す。俺は平静を取り戻せた。


 6の目は駄目だ。向きがある。今は黒い点が、二列三行で並んでいるが、九十度回転させると三列二行で並ぶ。


 二列三行の状態でもう一つの賽子と接触させると、接触している面の候補が、3の目か4の目に絞られ、三列二行の状態では、2の目か5の目に絞られてしまう。


 賽子二つともが二面に絞られる。つまり、目の組み合わせは、たったの四通り。四分の一で四十倍払い、超優良博打となってしまうのだ。


 ああ、気付けてよかった。本当に死ぬところだった。この傷の男、正気ではない。四分の一の博打で大金をせしめようとするなんて。


 6の目を上にしては絶対に駄目だ。


 2と3の目も駄目。右上がりと右下がりで向きがある。絶対に駄目だ。


 4の目だ。これなら安心できる。4の目は向きがない。


 よし、落ち着いたぞ。では、合計を幾つにするか考えよう。


 4の目を上にした場合、考えられる目の合計数は『2』『3』『4』『6』『7』『8』『10』『11』『12』の九通りある。どれがベストか考えよう。


 そして、俺は直ぐに違和感に気付いた。九通りはおかしくないか。さっき、6の目を上にしたときは七通りだったぞ。


 間違えたか。いや、正しい。九通りで合っている。


 なぜ俺は九通りがおかしいと思うのか。その理由は傷の男の発言を振り返ることで分かる。傷の男はこう言ったのだ。


「どの面を上にしても確率は等しいから」


 俺はこの発言を何の抵抗もなく受け入れた。賽子は全ての面において出る確率が等しい道具なので、賽子に関する確率には全て対称性があると勘違いしていた様だ。しかし、実際は違う。つまり、この発言は傷の男が用意した罠だったのだ。6の目を上にするだけで俺に不利なり、その6の目に俺を誘導しようとしたということだ。


 しかし、俺はその罠に気付いた。回避したのだ。これはいい流れだ。勝ちに近付いている。


 俺は4の目に視線を落とした。暫く眺めていると、傷の男の罠はまだ終わっていないことを思い知らされた。


 駄目だ。


 4の目も駄目だ。


 何でなんだ。


 こいつ、俺を逃がさない。


 意地でも四分の一の勝負に引き摺り込もうとしている。


 4の目を上にしてはいけない。


 なぜなら4の目には、黒丸がある。


 勝負前に摺り替え防止のためのマーキングをした、その黒丸だ。


 今は右上と左下にある。


 九十度回転で、右下と左上。


 向きが発生するではないか、向きが。


 4の目は駄目だ。もう駄目だ、俺は。


 畜生、もう駄目だ。


 あ、待て、大丈夫だ。


 俺は焦燥に駆られ、指が震えていた。そのせいで賽子を落としてしまったが、必死な思いで賽子を拾って1の目と5の目を確認した。


 やはり、マーキングの黒丸がない。こいつがマーキングしたのは4の目のみ。よかった、助かった。はあ、疲れた。


 俺は頭をリフレッシュさせるために、目を閉じて一回深呼吸をした。


 よし、1の目を上にしよう。そして2の目同士を接触させる。これでいい。これでいい筈だ。


 俺は早く目を決めたかった。考えれば考える程に傷の男の闇に深く入っていく感覚を抱いてしまうからだ。しかし、中々目が決まらない。また新しい疑問が思い浮かんでしまった。


 なぜ傷の男は1と5の目にマーキングしなかったのだ。摺り替え防止を名目に4の目をマーキングするのなら、1と5の目にもマーキングをしたっていいのに、そうしなかった。なぜ、しなかった。


 傷の男は目の向きを利用する。それは間違いない、筈だ。でなければ、一体4の目のマーキングは何なのだ。本当に摺り替えを防止したければ、もっと大きくて奇抜なマークを付ければよい。


 それとも、向きがあると気付いているのは俺だけで、俺は一人相撲をしているのか。もしかして、本当にこいつは何も気付いていないただの保険男なのか。ただの保険男が今まで通用してきた穴開き壺のイカサマを見破ったのか。


 なぜ俺のイカサマを見破れたのだ。


 なぜニシマツの旦那方が居るのだ。


 なぜ4の目にだけマーキングしたのだ。


 俺は両手で顔を覆った。何も信じられなくなってしまった。自分すら疑わしい。それなのに、俺は、また別のことに気が付いてしまった。けど、どうなのだろう、勘違いかもしれない。しかし、頭の中に蒔かれた疑念の種はもうすっかり花を咲かせている。


 嘘だ。嘘だと言ってくれ。俺には、この1の目の赤い点が、面の中心から1ミリ程、左にズレている気がする。


 九十度回転すると上に1ミリ、また回転すると右に1ミリだけズレていて、向きが発生している気がする。というか、もうその様にしか見えない。


 どうやって賽子を製造しているのか知らないが、賽子の数字を表す点が中心からズレていても、賽子としての役割を十分果たすのだから、正確にど真ん中に点を打つ意味はないと判断されるのだろうか。だから、ズレているのか。でも、これは俺の勘違いかもしれない。本当はズレていないのかもしれない。


 体が熱くなってきた。汗が止まらない。


 分からない。本当に僅かな、見えるか見えないかくらいのズレだ。誰も気に留めないだろう。だが、傷の男はこの若干のズレを感知できるのかもしれない。特殊な訓練を積んでいて感知できるのかも。


 分からない、分からない。5の目を見てみよう。駄目だ、ズレて見える。もう、駄目だ。頭がオーバーヒートしそうだ。


 そうか、だから4の目だけマーキングしたのだ。1と5の目はズレてるが、4の目はズレていない。六つある目のうち、唯一4の目だけ、向きがなかったのだ。4の目にマーキングすることによって、どの目を上にされても、四分の一の勝負ができるのだ。


 ああ、そうか、始めからそうだったのだ、四分の一の確率で一億五千六百万と決まっていたに違いない。こいつは俺で笑っていたのだ、俺のことを飛んで火に入る夏の虫扱いして。チックショー。悔しい


 頭に血が上り、額に血管が浮き出る。クソ、馬鹿にしやがって。許せねえ。いいだろう、やってやろうじゃねえか、四分の一勝負。勝った気になるんじゃねえ。てめえは四分の三で負けるんだろうが、クズ。許せねえ。


 よし、決めた!1を上にして『2・2』だ!『2・2』でぶっ殺してやる!行け、関係ねえ!


 俺はヒートアップしていた。敗戦濃厚の喧嘩も気合い次第で何とかなることがある。だから、もっともっと気合を入れるのだ。


 うおお!しゃらくせえ!1を上なんて女々しいことしてられるか!6を上にしてやる!6を上にして徹底的に攻める姿勢を見せ付けてやる!四分の一で死ぬからって俺がビビると思うな!


 四分の一って、ロシアンルーレットよりヤバいじゃねえか!クソ、お前がロシアンルーレットやれ!ボケが!


 あーあ!何でこうなるかな!もう知らん!知らん知らん知らん!もう何も外部からの干渉は受けん!


 俺は夢中になってこの様なことを考えていると、突然誰かから蹴り飛ばされた。

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