2-2.狂人の予感
道行く人は皆、あんちゃんから露骨に視線を逸らして歩いている。彼らが仮にあんちゃんのことを知らなかったとしても、この風貌から何となく察せるのだろう、目を合わせてはいけないタイプの人だと。
「あんちゃん、わざわざ来てくれなくてもよかったんですよ。俺とかだけで対処できますって」
「いいよ。弛んでるからな、最近の若い奴は」
「すいません、教育が足りてない様で」
「様じゃない。実際に足りてないんだ」
「は、すいません」
時刻は丁度昼時で人通りが多くなっている。わざわざこの様な時間にあんちゃんが出て来なくてもいいのにとは思ったのだが、この商店街の人々にフルズを舐めてはいけないということを知らしめたいのだろう。
俺はあんちゃんに合わせてゆっくりと歩き、目的地であるラーメン屋に向かっている。相変わらず人々は伏し目がちだが、意外にも年寄りはあんちゃんにビビらない様だ。
ラーメン屋に向かう途中で古ぼけた喫茶店の前を通ると、あんちゃんが歩きながら口を開いた。
「懐かしいなあ。俺もこんなサ店でバイトしてたよ」
俺は驚いて振り返り、あんちゃんに言った。
「あんちゃん、バイトしてたんですか」
「うん。俺、ギャングになるの大分遅かったからな」
「そうなんですか。ちゃんと働いてたんですか」
「当たり前だろ。金貰ってんだから」
「問題も起こさず?」
「お前、俺を問題児扱いするな。ちゃんとしてたよ」
「え、それじゃあ、最終的にどうなったんですか」
「首だよ」
「ああ、クビですか」
「店長の首を絞めちゃってな」
「は、クビって首絞めの首ですか」
「そんでクビになった」
「ああ、クビ。何で店長の首を絞めたんですか」
「実験してたんだよな。アメリカンコーヒーを注文する客に普通のブレンドコーヒーをお湯で割った物を出して気付くかどうか。殆どの客が気付いてね。クレーム殺到って訳よ」
「そりゃバレるでしょ。店長に注意されなかったんですか」
「されたよ。凄えされた。そんでクビだって言われてな。俺、悔しいから、じゃあ俺はお前の首をやってやるよ、って言い返したんだ」
「問題児も問題児じゃないですか」
「そんでクビになったって訳」
「・・・いや、首絞めの前にクビになってません?」
「あれ、ウチの若い奴だろ」
あんちゃんが指差した先には柄の悪い男が四人居て、そこはラーメン屋の向かいの青果店の前だった。俺はなぜかその四人が商店街の雰囲気に合っている気がした。
四人のうちの一人が俺に気付き、手を挙げ掛けた。だが、俺の後ろに居るあんちゃんを見付けたのか、ピタッと固まって動かなくなる。俺はそいつに構わず四人に声を掛けた。
「ここか」
「お疲れ様です」
「今日はあんちゃんも来てくれたから」
「あ、ありがとうございます。お疲れ様です」
「じゃあ、あんちゃん、早速行きますか」
俺はあんちゃんの方を見てみると、あんちゃんは店先のスイカをコンコンと指で弾いていて、その様子を店主が気不味そうに眺めていた。俺は再びあんちゃんに声を掛けると、あんちゃんは、ああ、と言い、若い衆の方を向いた。
「ここじゃねえよな。あっちのラーメン屋の親父だよな」
「はい、そうです」
「何で手子摺ってんだ」
「はい、何か柔道やってたみたいで体がデカいんです。脅しにも中々屈しなくて」
「親父には家族居んのか、子供とか」
「あ、いや、知らねっす」
俺の心臓に一瞬圧力が掛かった。不味い、あんちゃんに対してこのぶっきらぼうな口調は。俺はあんちゃんより先に注意してこの場を丸く収めようと思ったのだが、あんちゃんは俺より早かった。
「知らねっす?知らねっすだって。知らねっす何て言葉ある?」
「おい、お前、失礼だろうが。謝れ」
「あ、すいません」
「知らねっす君さ、もっと頭下げろよ」
そう言ってあんちゃんは若い衆の下げた頭の後頭部にスイカを叩き付けた。インパクトと同時にスイカが割れて中の赤い実が飛び散ったため、若い衆の頭が割れたのかと思った。
「スイカよりこっちの方が嬉しいか」
今度は、あんちゃんはメロンを若い衆の頭に叩き付けた。俺は慌ててあんちゃんを止めようとしたが、あんちゃんに、触るな、と凄まれてしまった。
あんちゃんの怒りは収まらず、倒れた若い衆の頭の左右の地面を交互に杖で突き出した。回数を重ねる度に杖で突くスピードがどんどん上がっていく。
「ほらほら、これ怖えだろ。頭の横ガンガンされんの怖えだろ」
「ひいい、ごめんなさい」
「何だ、それ。小学生か」
こ、これは何か意味があるのだろうか。頭の横ガンガンやって精神を削っているのか。でも、これ、やらなくてよくね。
あんちゃんは満足したのか、杖で突くのをやめ、颯爽とラーメン屋に向かった。俺は青果店の店主に一言詫びると、スイカとメロンの代金を払わずに若い衆を立ち上がらせた。店主もあんちゃんに金を払われたくないと思っている筈だ。
俺が若い衆とともにラーメン屋の暖簾を潜ると、そこは既にあんちゃんのせいで静止した世界になっていた。客全員が手を動かすのをやめ、あんちゃんに視線を送っている。暫く間を置いた後、あんちゃんが、出ろ、と言うと客達は直ちに食事を中断し、ぞろぞろと店を出て行った。完璧に客をコントロールしている。
あんちゃんが客を全員見送り届けると、厨房からこの店の店主が現れた。噂通りデカイな。怒っている様だぞ。
「何なんだ、お前ら。警察を呼ぶぞ」
「本当だよ。集団食い逃げなんて一面記事だろ」
「違う、お前だ。営業妨害だぞ。金払ってもらうからな」
店主はあんちゃんに対して全く恐れを抱いていない様だ。ガンガン文句を言ってくる。きっと自分の力に自信があって、あんちゃんと取っ組み合いになっても勝てると思っているのだろう。
あんちゃんはカウンターからレンゲを取り、そこにピッチャーから水を垂らした。
「何で俺を通報すんだよ」
「どうせお前みかじめ取りなんだろ。お前らに払う金はねえ」
「勘違いするな。俺はただのセールスマンだ。みかじめ取りじゃない」
レンゲの水に、あんちゃんがポケットから取り出したラップに包まれている白い粉が加えられた。レンゲをライターの火で炙る。
「ふざけんなよ。お前、ギャングだろ。みかじめは払わねえ。とっとと今のお客さん達の代金支払って帰れ」
「思い込みって中々取り払えねえよな。俺は本当に試供品を持って来たセールスマンだよ。今なら特別なプレゼントもある」
「いつまでも意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞ。今直ぐに金を払わねえなら警察を呼ぶからな」
「待てって。お巡りが今来たら面倒だ。もういい。お前ら、この親父を押さえろ」
この言葉を皮切りに四人の若い衆があんちゃんの前に飛び出して店主に飛び掛かった。しかし、店主は若い衆より一回りも二回りも大きいため、若い衆をどんどん投げ飛ばしていく。若い衆は最早、戯れてる子供の様にしか見えない。
その間にあんちゃんは注射器で水を吸い取り、口で咥えた。何をする気なのだろうか。その後、あんちゃんは杖を置いたまま片足でピョンピョンと跳び、店主に近付く。当然、店主は近付いて来たあんちゃんに攻撃されると思い、あんちゃんに掴み掛かった。
しかし、あんちゃんは片足しか使えないため、掴み掛かられたらそのまま倒れるしかない。それが店主にとって意外だったのだろう、店主も一緒になって倒れた。
床に重なって倒れた二人だったが、それから動かない、店主だけが。あんちゃんはもぞもぞと店主の下から這い出ようとしている。俺は急いであんちゃんの許に行き、引っ張り出した。
「大丈夫ですか」
「何でお前は何もしてねえんだ」
「いや、若い衆だけでやるのかなと。まさか、あんちゃんも参加するとは思わなくて」
「杖取って来い」
俺は杖を取ってあんちゃんに渡した。あんちゃんは手に持った注射器を机に置いてから受け取った。注射器の中身はなくなっていて、店主は首を押さえて蹲っている。
まさか、あんちゃんは倒れている間に店主の首の血管に素早くドラッグを注入したのか。その様なこと可能なのか。いや、あんちゃんならできるのかもしれない。かも、というか、できるのだろう。あんちゃんはそういう人だ。
「これでお前も立派な俺の客だ。俺の客からみかじめを受け取る訳にはいかねえな。特別に免除してやる。この注射器も特別プレゼントだ」
可哀想に。一度ドラッグを始めてしまうともう止まらない。本人の意思とは関係ないのだ。この店主もこれからど嵌まりしてしまうのだろう。何というか、あんちゃんを敵に回したのが運の尽きだとしか・・・。
これでこの商店街でみかじめを拒否する者は居なくなるだろう。こういった容赦ない対応を取れるのはギャングでも中々居ない。
「お前ら、こいつは俺の客だ。店の中、綺麗に片付けておいてやれ。ダイオ、行くぞ」
「いや、あんちゃん、このためにドラッグを持ち歩いてたんですか」
「そうだけど」
「職質されてたらどうするんですか。言い訳できないですよ」
「はん、確かし。けどな、俺はみかじめ取りっぱぐれる方がムカつく」
「今度やるときは俺が持ちます」
「ああ、成る程。お前は献身的だな」
あんちゃんは出口に向かって進んだ。俺もあんちゃんの後に続いたのだが、出口付近になぜか賽子が落ちていた。
「お、これで二個目だ」
「またですか」
「最近しょっちゅう落ちてんな。二個あれば何か面白い遊びができるかもしれねえ」
「丁半ができるじゃないですか」
賽子を拾おうとしたあんちゃんの手が止まった。
「丁半、あれ、それ、どっかで聞いたぞ」
「あ、マキヤの賭場のことですか」
「そうだ、マキヤの、そうか。・・・嫌な予感がするなあ」
「何すか、嫌な予感って」
「何か巡り巡って俺の所に来る様な気がする」
「何がですか」
「・・・」
あんちゃんは杖を振り上げ、床にある賽子を杖の底で潰した。賽子は沢山の欠片になって散らばる。
「スッキリ。お前も一応気を付けとけよ」
そう言ってあんちゃんは店を出た。