1-5.マスクの男、襲来
俺は普段なら入り口を見張ることなどしない。そもそも入り口のセキュリティーをこれ程厳しくしたことすらない。さすがに出禁にした客を入れる程には緩くはないが、余り厳しくする必要はないと思っている。しかし、今日は特別な日だ。危険人物は一人も通してはいけない。
今日は年に一度の一千万ビンゴの日、客が一斉に集まるビッグイベントだ。いつもの一万両とか十万両とかとは訳が違う。その十倍近くの客がやって来る。この賭場にとって重要な日だ。邪魔されたら敵わない。
俺はある懸念をしていた。モルヒロの賭場を荒らした傷の男だ。奴がやって来る気がしてならない。絶対にこの賭場には入れては駄目だ、絶対に。傷の男の特徴はモルヒロからしっかり聞いておいた。身長は百七十センチ程で頬に七センチ程の傷があるが悪人顔ではないらしい。その特徴に少しでも一致する者なら本人でなくとも突き返す。
次から次へと客が入り口を潜って来る。この時間帯が今日で一番で多く、目が追い付かない。これでは見逃してしまいそうだ。入場規制するか。
「ガイザワさん」
これ程忙しいというのに俺の舎弟が話しかけて来た。なぜこの馬鹿は今、俺に話し掛けてはいけないということが分からないのだろうか。
「うるせえ、殺すぞ」
「いや、その」
「うるせえっつってんだろ」
「あ、重要なことなんですが」
「てめえ、状況見ろ。客が大量に来てんだろうが」
「でもですね」
俺は客から目を離さず舎弟の胸倉を掴んだ。
「ぶち殺すぞ、てめえ。俺が忙しいのが分からねえか」
「いや、傷の男を捕まえたんです」
「ああ?」
俺はその舎弟を見た。
「捕まえてたのかよ」
「ええ、だからそう言ってんじゃ」
「早く言えや、ボケが。どこに居んだよ」
「あそこです」
舎弟が指を差した先にはある男が俺の別の舎弟に挟まれて立っていた。その男は確かに顔に傷がある。確かにあるのだが、その男は身長が二メートルもありそうな迷彩服を着た筋肉ムキムキおじさんだった。そのおじさんが眼光鋭く俺の舎弟を射竦めている。
「あのおじさんのことを言ってんのか」
「はい、顔に傷があって異様な雰囲気があります」
「てめえ、どこまで間抜けなんだ。あのおじさんが博打のスペシャリストに見えんのか」
「え、いや、顔に傷が」
「あのおじさんは爆弾のスペシャリストか何かだろうが。何だ、俺のビンゴを爆破するって言いたいのか」
「俺は言われた通りに」
「とっとと解放してやれ」
俺は舎弟を突き飛ばした。馬鹿野郎、無駄な時間を使わせやがって。本当に馬鹿で無能だ。どうしようもない。
「ノーウポオーベム」
おじさんが舎弟に言った。声のデカいおじさんだ。今、何と言ったのだ。本当に意味の分からないおじさん、どうしようもない。
そのときだった、客の流れの真ん中に俯きがちでマスクをした男が見えた。身長は低くもなく高くもない。少し痩せてるか。これは傷の男の特徴と一致する。俺は近くの舎弟にその男を指差した。
二人の舎弟はその男の許へ行き、両脇を固め、一言二言告げた後、俺の許へ連れて来た。
「お客さん、今日はセキュリティーを厳しくしててね、マスクを外してもらおうか」
「・・・」
その男は落ち着いてはいるが依然として俯いていて、俺から顔を隠そうとしている。益々怪しい。
「一瞬取ってくれればいいんだ。その後はまた付けてくれて構わない」
「・・・」
「取れねえのか」
「・・・」
「仕方ない。取ってやれ」
俺は舎弟にマスクの強制撤去を指示した。その男を挟む二人の舎弟は躊躇なくマスクを剥ぎ取る。その男は無抵抗だった。
「何だ、あるじゃねえか」
マスクの下には傷があった。モルヒロが言っていた様な傷だ。こいつ、傷の男、やはりこの賭場にやって来たか。
「何でマスクを取らなかった」
「・・・」
「その傷を隠したかったんじゃねえのか」
「・・・」
「何でその傷を俺達に隠す必要がある」
「・・・」
「ふん、もういい。摘み出せ」
その男は諦めたかの様に何も言わず、俺の舎弟に引っ張られながら出口へと進んだ。とぼとぼ歩くその姿はまるでこの数秒の間に大きく歳を取ってしまったかの様だ。あの様な男に邪魔されて堪るものか。これで大事な勝負前に不穏分子を取り除けたことになる。よかったよかった。
さて、そろそろ時間だな。会場の方を見に行くか。俺は入り口でガードをしていた舎弟に怪しい人物を見たかを聞いてから会場に向かった。顔に傷があったり、顔を隠してたりした人物は俺が追い出した男だけだそうだ。
会場に着くと、予想通りの大盛況だった。沢山の客がビンゴの開始を今か今かと心待ちにしている。もうこの時点で今日の一千万ビンゴは大成功だと言っていいだろう。俺は人混みを掻き分けて壇上で準備している籠回しの許へ向かった。
「おい、どうだ」
「え、どうだって何がですか」
「何かおかしなことはないか」
「おかしなこと?別に今まで通りですけど」
「道具に何か細工されているとか」
「細工ですか、されてないと思いますけど」
「断言しろ。されてねえんだな」
「ええ、されてないです。けど、念のためにもう一度確認します」
籠回しが確認作業に入ったが、俺もそれに加わった。自分の目で確かめたい。
先ずは籠だ。見たところ変わりない。穴が空いている訳でもないし形が歪んでいる訳でもない。そして、全体的に触ってみたが異変はない。問題なさそうだ。
次は十二個の球だ。各球に一つずつ全ての番号が書かれている。同じ番号はない。見た目は変わりないが・・・。
「これ、重心が偏っている球と摺り替えられたってことはねえよな」
「はい?」
「ちょっと持ってみてくれ」
俺はそう言って『1』の球を籠回しに渡した。
「んー」
籠回しはゆっくり手を上下させ、今度は空いている手に『4』の球を持って上下させた。
「いや、何ともないと思いますけどね」
「そうか」
「それに試したじゃないですか。重心が偏ってても思い通りの球は出て来ないって結論に至ったでしょう」
「まあ、そうだけどな」
「ええ、問題ないです」
いつもビンゴを仕切っているこの籠回しが言っているので大丈夫なのだろう。俺は最後に一番大事なタオルと卓の穴の磁石を調べた。
卓の長方形の穴にはいつも通り中央に棒があって、その棒が長方形を二分し、手前の正方形と奥の正方形を作っている。穴の短い辺の方の淵に、タオルの短い辺をくっ付けた。問題なく磁力が発動してタオルが穴のカバーをする。手前の正方形の部分をカバーをしているタオルを押すと手前には部屋ができて奥にはただタオルが張ってあるだけになる。逆に奥の正方形の部分をカバーしているタオルを押すと奥に部屋ができて手前の部屋が消える。ちゃんと作動してるな。タオルの長さにも問題はない。俺はタオルを外し、畳んで卓に置いた。
「何ともないですね」
「そうだな」
本当に何ともない。傷の男は一体どうやって勝つ気だったのだろうか。もしかしてビンゴではないのか。この賭場にある他のゲームをやるつもりだったのか。
兎に角、道具に問題はない。俺は籠回しに、いつも通りにやれ、と伝えて去ろうとしたが籠回しが聞き捨てならないことをさらりと言った。
「マキヤが見付かってよかったですね」
「は、はあ?何、え、マ、何の話だ」
「え、知らないんですか。マキヤ、ニシカさんが見付けたんですよ」
「聞いてねえぞ、そんなこと。てか、生きてたのかよ」
「そうですよね、生きてたとはね。これ、他にも生きてる奴が居る気がしますよね」
「まあ、そうだろうな」
「そういう奴らも見付かるんですかね」
「・・・カタタの親父のことだ、どんなことをしてもマキヤに吐かせるだろうな」
「うわ、恐えっすね」
「そんなことはいい。今はビンゴに集中しろ」
「へい」
俺は壇上から降りた。階段を上るときは問題ないが、下りるときはなぜか昔に刺された太腿の古傷が軋む様に痛む。フルズは全滅したのではないのか。全滅できないのならポイントナインと手を組んだ意味がない。とはいえ、ニシカが簡単に見付けれちまうくらいなのだから、近いうちに生き残ったフルズの連中も消されるだろう。ざまあねえな。さっさとくたばれ。もし可能ならポイントナインも道連れにしちまえ。
その様な風前の灯火のフルズに考えを寄せても人生の無駄だ。それよりも今はビンゴ、ビンゴが重要だ。
「さあさあ、お集まりの皆様、大変お待たせ致しました。これから皆さんご存知、一千万ビンゴを開催したいと思います」
会場中が拍手喝采、いい盛り上がりだ。本当に大成功だな。これは毎年思っていることだが、やはり誰にでも馴染みがあって理解し易いビンゴという素材をこの賭場のメインにした俺の判断は間違っていなかった。これでこの賭場の人気がまた一層高まった筈だ。
「真ん中ご購入希望の方は挙手にてお願い致します。一千万両から」
「一千万」
「一千五百万」
早速購入タイムが始まった。やはり真ん中は人気が高い。
最初は一千万という大金を出してまでこのビンゴに参加する者は居ないと言われたが、実際はそこそこ居る。大金を出すとその瞬間、ヒーローになれるのだ。実際に会場の客を楽しませることになる。勝っても負けても拍手を貰える立場になれるのだから大金を出してもおかしくはないだろう。あと実はこちら側が招待した客が何人か居る。それによって購入者零の事態を避けているのだ。
大体どのマスも二千万強で売れる。全て売れた場合は最低でも一億八千万プラスになり、マイナスは最高でも一億六千万になる様に不正、あ、いや、調整をするため、売上は確実に二千万以上になる。しかし、それはマスが全て売れた場合だ。今回招待でできたのは五人なので、もしかするとプラスは一億だけになるかもしれない。もちろん、カタタの親父と相談して今日の開催を決めているので売り上げがマイナスになっても大問題にはならないが、数千万の損失を生んでしまうと今後の俺の進退に関わるかもしれない。だから、この購入タイムはいつだって緊張の瞬間なのだ。
会場が、おお、とどよめいた。俺は考えごとをしていてこのどよめきの理由が分からなかったため、近くに居る舎弟に尋ねた。
「あの最前列のグラサンしてる男、真ん中を三千万で買ったんですよ」
高く売れるのはいいことだから俺は少し喜んだ。しかし、三千万か。あのサングラスの男、強気だな。ビンゴ二つで獲得できるのが三千万なので、ビンゴ三つを獲得しないとサングラスの男にとって儲けがない。あの男はビンゴを三つも獲得する気なのだ。
「何番に致しますか」
「『11』」
「分かりました、『11』です」
あのサングラスの男、招待客ではないな。ということは最低でも一億三千万プラスか。もう少し欲しいな。
「それでは次、左上です」
こうして着々と購入タイムが進み、最終的には七マスが売れ、一億六千二百万プラスになった。危ない、ギリギリで一億六千万を越えた。これで一安心できる。損失が出ることはなくなった。
よかった。ここをクリアしたらもう心配することはない。しかし、気の毒だ、サングラスの男が。このビンゴで『11』は絶対に出ない。何があっても出さない。真ん中を空いたままにすることによってビンゴ数を大きく減らす、それが俺達の不正、いや、調整だ。だから、真ん中を買った者は一両も獲得できないことが確定している。ただ、これは普段の一万ビンゴではやっていない。十万ビンゴのときでもたまにしかやらない。だが、今回は一千万ビンゴ、やらない訳がない。サングラスの男は毟らせてもらう。
「残った二マスの番号は多数決を採りたいと思います。皆様、個別の番号を購入する際、係員に希望の番号をお告げ下さい。それと、マスの購入者の方で道具を調べることを希望なさる方は壇上にお越し下さい。それでは、どうぞ」
会場の客がわらわらと動き出した。今日は客の数が多いので、係員の数を増やして対応してはいるが、かなり時間が掛かるだろうな。
ふと係員に目を遣ると、丁度、サングラスの男がボストンバッグから三千万を取り出していた。そして、そのままサングラスの男は壇上に向かった。
壇上には四人の客がいる。それぞれが思い思いに道具を触っているが、直ぐにそれをやめた。幾ら調べても何も出ないと思っているのだろう、壇上に来る者は皆、直ぐに調べるのをやめる。そもそも壇上に来ない者も居るくらいだ。四人は記念に上がっているだけ。
客が球を籠の中に入れ、籠の蓋を閉じ、試し回しを始めた。それぞれが回し、四個の球が転がり出る。いつもならここで終わるところだが、サングラスの男が籠回しに何かを言い、二周目に入った。更に四個の球が転がり出る。サングラスの男は八個の球の中から一個を徐に取り上げ、籠回しに何かを告げた。籠回しがそれに答えるとサングラスの男は何度か頷き、手に持った球を排出口から籠の中に入れた。
今度はサングラスの男とは別の男が籠回しの服を調べ出した。しかし、何も見つからず、四人の客は壇上から降り、元の位置に戻った。籠回しにはポケットのない服を着せている。球の摺り替えなどしない。調べられたら直ぐにバレるからな。
籠回しは四人の客が戻る際に、堂々とタオルを穴にセットし、手前に部屋を作った。そして試し回しで出て来た八個の球、今回は一個をサングラスの男に戻されたので七個だが、そのうちの一個を部屋に入れ、残りは籠の中に入れる。本来ならば籠の中には十二個の球がないといけないのだが、実は十一個しかないのだ。しかし、バレることは絶対にない。編み目から籠の中が見えると言っても個数まで分かるものか。
部屋には何番が入ったのだろうか。『11』が理想だ。『11』だったら、もう二度と籠から『11』が転がり出なくて済む。まあ、他の番号でも何の問題もないのだが。
「もう番号を購入される方はいらっしゃいませんか。では、締め切らせて頂きます。えー、集計の結果、残ったマスの番号は『2・9』になりました」
それにしても、サングラスの男は随分と用心深いな。試し回しの二周目を要求する客は初めてだ。それ程に用心深いのなら博打に関わらなければいいのに。
「ビンゴマップを読み上げます。左上から『4・12・7・6・11・2・8・9・3』となっております。それでは、よろしいでしょうか。これからビンゴを開始致します」
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