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1-4.壺を囲え

 俺は、タイミングを呪っていた。


 長いこと、ここで壺振りをしているが、ニシマツの旦那が来たことは一度もなかった。それなのに、選りに選って今日、この賭場を訪れるなんて。間が悪過ぎる。俺は小さく溜息を吐いた。


 部屋の中の熱気が幽かに増している。熱源はバックヤードから出て来た弟分達だ。息苦しく感じるのは、熱さのせいか、張り詰めた空気のせいか。


 俺は目の前で胡座を掻く傷の男をきっと睨んだ。確実に仕留めてやる。俺はかなり意気込んでいた。あの方から、傷の男を成敗しろ、と命令されている。


 この男は不当にこの賭場を利用した。俺達から百五十万程掠め取ったのだ。百五十万くらい構わないだろう、と思う者も居るかもしれないが、百五十万勝ったら百五十万負けてもらわないと困る。そうなってくれないと俺達の給料が出なくなるだろうが。


 だから、俺達は勝負を持ち掛けた。それも傷の男にとって超好条件の百万勝負だ。俺達に大人しく百万払ってこの賭場に二度と近付かなければ、こちらも手荒なことはしない。


 これ程破格の好条件なのに傷の男は賭け金を四百万に引き上げやがった。俺達のことを虚仮にしてやがる。俺達は肩がぶつかって相手が謝らなかっただけでも決して許さないギャングだ。だから、傷の男はもっと許さない。俺達は名誉を回復するためには何だってする。金ではない、名誉の問題なのだ。


 今、この傷の男を逃してしまうと、もう二度とこの賭場に現れないかもしれない。チャンスは今回限り。ニシマツの旦那方の存在は誤算だが、予定通り執り行う。


 俺は頃合いを見計らって、切り出した。


「ご両人、例のものはお持ち頂けたでありやしょうか」


 傷の男は、おもむろに折り畳み財布を取り出し、札入れから三つ折りの借用書を俺に提出した。受け取った俺は、それを開いて、記載の文言を確認する。


 《借入金額、金四百萬両也》

 《貸主、マキワ・マキヤ》


 全員が静かに見守っていた。気楽に見ていても差し支えないニシマツの旦那方も、気を張っている様だった。俺は一応、眼鏡の男が差し出した借用書にも目を通す。


「ありがとうございやす。確と受け取りやした」


 俺は弟分に、おい、と声を掛けた。二人の前に百万両の札束がそれぞれ四つずつ置かれる。


 弟分達は傷の男の後ろで列を成し、壁を作っていた(正確にはニシマツの旦那方から勝負が見えるように隙間があるが)。これは傷の男へのメッセージだ。勝つなよ、というメッセージ。


 これで準備は整った。始めようか、一振り四百万の勝負を。いや、勝負というより脅迫の側面の方が強いか。


 俺は体の右側にある三つの壺のうちの一つを、傷の男に手渡した。傷の男はテキトーに調べ、眼鏡の男に渡した。調べ終わった眼鏡の男は俺の右手に壺を渡し、俺は左手で体の右側の少し遠い所に置いてある二つの賽子を拾い、二人にそれぞれを調べさせ、二つとも受け取った。この時点で摺り替えは完了している。


 右手で壺の中が傷の男に見える様に掲げて、左手で二つの賽子のピンの目を示した。


 静寂の同調圧力があるので掛け声は出さないことにする。俺は賽子を壺に入れた後、壺を盆に置き、左右に振った。その後、右手は壺を押さえながら、左手は膝の上で握り拳を作る。その際、左手の親指を人差し指の第二関節に宛てがう。そして、傷の男を睨み付け、予想を促す。


 目の予想をする二人はどちらも壺に視線を落としたまま、微動だにしない。俺は静止画を眺めさせられている気分になった。汗が俺の額から唇まで真っ直ぐ滑り落ち、その足跡が凍える。手袋の中でも汗が激しく分泌されていた、その一方で、傷の男は悠然そのもの、目を開けて眠っている様だ。


 眼鏡の男は傷の男が動くのを待っていたが、いつまでも経っても動かないので痺れを切らし、木札の向きを縦にした。それに倣って、傷の男も木札を縦にする。


 俺は少し間を置いて、二人に予想の変更の時間を与えた。しかし、変更の色が見受けられないので壺を開けることにしたのだが、いきなり開ける訳にもいかないので、先ず宣言をした。


「勝負」


 俺は壺を持ち上げた。当然ながら、出目は半である。引き分けだ。


 通常なら出目を読み上げるのだが、今回は二人とも近い距離に居て、それぞれの視力で十分見えるだろうから読み上げなかった。


 しかし、もし二人から出目が見えなかったとしても問題はないだろう。そもそも俺も傷の男も眼鏡の男も後ろで壁を成す弟分達も出目に全く興味ないのだから。ニシマツの旦那方からすれば、丁半博打なのに誰も賽子を食い入る様に見ようとしないのは奇妙なのだろうな。


 俺達にとって重要なのは、傷の男の予想を眼鏡の男と一致させないこと。言い換えれば、俺達で傷の男に精神的負荷を掛け、勝負から引き摺り下ろすこと。それでも傷の男が食って掛かる様なら、肉体的負荷を掛けることも厭わない。


 俺は右腕に懈さを感じた。図らずも、壺を押さえ付ける力が強過ぎたらしい。緊張する場面だからといっても力み過ぎだ。俺は懈さを取り除くために腕を振りたかったが、その行動は自分から自分の弱みを見せることと直結している様な気がして憚られた。


 俺は一つ息を吐いてから賽子を拾い、再び壺とともに掲げた。賽子を壺に入れ、盆に置き、振る。膝の上で握り拳を作るが、その親指は人差し指の第一関節を触っている。そして、右腕は先程と同様、壺を押し付けている。


 暫くして眼鏡の男が木札を横にした。先程と比べると早い決断だ。続いて傷の男も横にした。俺は待つ意味がないと判断し、直ぐに壺を開けることにした。


「勝負」


 無論のこと出目は丁だ。引き分け。相も変わらず壁を成す弟分達は出目に無関心だ。


 傷の男は決して折れない。俺達の壁に囲まれるくらいのプレッシャーは物ともしない様だ。しかし、残念ながらそれは想定内だ。俺達は計画を次の段階へ移す。


 壁のうちの一人が、セーフティーグラブを嵌め出した。呼応するかの様に、残りの者達もグラブを嵌め始める。


 俺はニシマツの旦那方を一瞥した。年季が入った方の旦那は何ともなさそうだが、若い方の旦那は表情を緊迫させた。俺はそれを見て、少し口角を上げてしまった。


 怖いだろう、旦那よ。

 俺達は汚いだろう。

 でも、これが俺達のやり方だ。文句は受け付けない。何としても勝つ。

 俺は賽子を拾い、壺とともに掲げた。

 そして、傷の男よ。

 分かるか、最終警告だ。

 次、出目を当てたら、侮辱を名目にマメを放つ。

 当然だ。

 お前が相手にしているのは、ラインを貯えたギャングなのだ。

 不条理を暴力で成立させるのは、俺達の世界では合法なのだ。

 もう、やめるのだな。


 俺は壺を盆に置き、振った。親指は人差し指の第二関節。これで終わりにしろ、傷の男。俺は傷の男を睨み付ける。


 このときの俺は、その日のうちで最も緊張しており、傷の男以外の景色がホワイトアウトしていた。そして、眼鏡の男の前の木札が九十度回転したため、俺の視線は自然と木札に送られた。そのまま、俺は無意識のうちに暫く木札を見詰めてしまった。そのせいだ。そのせいで、気付くのにコンマ数秒遅れてしまったのだ。


 傷の男はいつの間にか胡座を解除し、壺の方へ飛び掛かろうとしていた。

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