1-2.傷の男、カノ、狂人、
この川は国境だ。川を挟んで向こう側が外国になる。今夜の俺達の仕事は荷物を受け取ること。素早く受け取りを完了するために、川をずっと見張らないといけない。
車の中は退屈な時間だった。そろそろ来ることは分かっているのだが、それがいつかは正確に分かってない。この様な仕事、あんちゃんが来るまでもないが、今回の取引量はいつもの何と八倍。つまり、重要性も八倍、あんちゃんに直接管理してもらわないといけないのだ。
「おい、何か数字を言ってみろよ」
助手席のあんちゃんが言った。俺はあんちゃんがなぜ数字を聞きたいのか分からなかったが取り敢えず答えた。
「数字ですか。じゃあ、76」
「本当に76でいいんだな。今から賽子を振ってお前の言った数字が出たら五千両やるけど、それでいいんだな」
「え、待って下さいよ。変えます」
「待ったはなしだ」
「何でですか。酷いっすよ。俺、賽子って聞いてなかったから。1にします、1」
「仕様がねえな。1ね。それで決定だな」
「はい。1でいいです」
「これ、外したら俺に千両払えよ」
「え、金払うんすか」
「当たり前だろ。何で俺がお前にお前しか得しないゲームを持ち掛けんだよ。お前、親戚の子かよ」
「分かりました、払いますよ」
「よし、じゃあいくぞ。そおい」
あんちゃんは俺との間にあるコンソールボックスに賽子を振った。賽子は余り転がらずにある面を上にして停止する。その面は意外にも俺が言った1だった。
「あ、え、嘘。よっしゃ。よっしゃ、1だ」
「うわあ、マジかよ。余計なこと言わなきゃよかった」
「やった、あんちゃん、払って下さいよ」
「五千両ってバイト一日分くらいじゃねえかよ。超やだよ」
「でも、駄目ですよ。払って下さいね。やった、五千両儲けた。よし」
「お前、俺が負けたっていうのに嬉しそうだな」
あんちゃんが声色を変えた。俺は突然あんちゃんに詰め寄られ、え、と言うしかない。いや、喜ぶでしょう、この状況。
「普段面倒見てやってんのに、その態度はどうなのかなあ」
「でも、あ、ええ。俺、勝ったんすよ」
「五千両払うんならその無礼に目を瞑ってやってもいい」
「ちょっと、それはないですって。王様じゃないですか」
「よく分かってんな。俺は王様だ。で、お前は国民だ」
「そんなあ。・・・はい」
「いいのね。よし、負けを取り戻したぞ、パワハラでな」
あんちゃんは楽しそうだった。俺もあんちゃんに合わせて笑ってはいたが、五千両をなかったことされたのに関しては心の中でブチギレていた、本気ではないが。
再び車内に静寂が訪れる。俺達が見張っている川の様子に変化はない。まだ来ないのか。
「なあ、もう一回数字を・・・、もう一回やる程のゲームじゃないか」
兄貴は賽子を手の上でぽんぽんと跳ねさせ出した。数回跳ねたところで賽子は変な方向に跳び、あんちゃんの足許へ落下したが、あんちゃんはそれを拾わなかった。
「いつから賽子を持ち歩いてるんですか」
「今日拾った、トラップで」
「ああ、そうなんですか」
「拾った直後にさ、あ、それ、俺のです、って言ってくる奴が居たんだけどさ、よく言えるよな、この俺に向かって。この目の下のラインの数すらロクに数えれねえのかな」
「そうですね、あんちゃんに言うなんて・・・、いや、言いますよ、自分のだったら。そいつの賽子だったんでしょ」
「ウチのシマにあるのは全部俺のだろ」
「まあ・・・、ははは」
あんちゃんの話に気を取られていると、川からざぶんという水の音がした。辺りは暗いが音の方を見ると川岸に先程までなかった大きな鞄が置かれている。そして、暫くすると川からもう一つの鞄が現れ、既に置かれている鞄と並んで置かれた。二つ鞄が置かれた後は何も起きない。配達人は帰って行った様だ。
「行け」
俺は、はい、と返事すると車から降りた。もちろん、俺はあんちゃんより格下なので鞄を取りに行くのは当然なのだが、そもそも、あんちゃんは足を怪我してしまい、杖がないと歩けない(完治するかも分からない)。尚更、俺が行くべきだ。
鞄の許に辿り着くと、俺は鞄のファスナーを開け、中身を確認した。約束通りぎっしりと詰まっている。もう一つの鞄も同じだ。全部捌けたらとんでもない金額になるぞ。
鞄を持ち上げようとしたそのとき、俺の体は鞄の上を通り過ぎて川の中へと落ちた。俺は突然、逆さまで水中へと放り出されたため、水を吸い込んでしまい、鼻が猛烈に熱く痛んだ。
何が起きた。これは、一体、やばい、パニクるな。どうしよう、落ち着け。
俺は目を開け、どちらが水面かを確認した。恐らく明るい方が水面だろう。俺は今にも窒息しそうだったが気合いで水面に向かって泳いだ。
指先が空気に触れる。すると直ぐに、顔が川から脱出したのが分かった。体中が酸素を欲し、呼吸が激しくなる。ここは川岸から1メートル程の所だ。俺は急いで水から上がった。はあ、助かった。
「ダイオ、生きとったんかワレ」
俺は膝に手を突いて俯いていたのだが、声に反応して顔を上げるとそこにはあんちゃんが居た。あんちゃんは片手に杖、片手にナイフを持っている。
そこにはあんちゃんの他に二人居た。一人は血を流して倒れ、恐らく死んでいる。もう一人はあんちゃんの前で尻餅を付き、怯えた顔であんちゃんを見上げている。
「お前、後ろから刺されて川に落ちたのかと思ったぞ」
・・・そうか、こいつらが俺を押しやがったんだな、ドラッグを奪うために。あんちゃんが来て正解だったな。奪われる訳にはいかない。
それにしても、俺が水に落ちていたのは十数秒だったと思うのだが、その間にあんちゃんは車からここに来て一人倒したのか。速いな。さすがあんちゃん、足を怪我しているのに。
「てめえ、クソ野郎、何でここを知ってんだ」
あんちゃんが尻餅を付いている男を杖で小突いた。
「や、やめ、違う。やめろ」
「誰に教えられた」
「俺、は、違う。や、めろ」
「聞いてんだよ。誰だ。怒らないからさっさと言え。てめえみてえな汚ねえ奴と長時間喋りたくねえんだよ、こっちは」
あんちゃんの前で怯えている男、ギャングの様には見えない。ギャングというよりホームレスだ。倒れている奴もホームレスに見える。どこかのギャングがこいつらに金を払って俺を襲わせたのか。
「違う。俺達は、寝てた、そこ、で。そし、たら、川から、何か鞄が、出て来、た。ドラッグの、取り引、きみたいだか、ら、ら。ドラッグ、が、欲しくて」
「はあ?たまたまってことか」
俺は鞄を拾ってあんちゃんの許に向かった。俺も鞄も徹底的に濡れている。この状態で車に乗らないといけないと思うと憂鬱だ。
「お前、何濡れてんだよ」
あんちゃんが俺に言った。
「すいません」
「人差し指出せ」
「は、あ、はい」
「どっちの鞄も置け。両手開けろ」
俺は言われた通りに鞄を置くと、あんちゃんは俺に杖を手渡した。俺は片方の手でそれを受け取る。
「ツメのやつするぞ。ほら、人差し指」
は、ツメのやつ?
俺は杖を持ってない方の手の人差し指を出すと、あんちゃんは片方の手で俺の手を支え、もう片方の手の親指の爪を俺の人差し指の爪の付け根の下の部分に宛てがい、思い切り突き刺した。
「あああ」
痛え。あああ、痛え。俺は絶叫して手を引き、その親指を太腿の間で挟んだ。これで少しは痛みが和らぐと思ったのだ。痛え、俺、何でだ、ビショビショなのに。ビショビショなのに体罰を課された。
あんちゃんは俺から杖を奪うと、俺の頭を叩いて言った。
「突き飛ばされてんじゃねえよ。何のためにぶくぶく太って図体デケエんだ、てめえはよお」
「すいません、不意を突かれて」
「何で不意突かれて生きてんだよ。奇跡だぞ、これ」
「はい、すいません」
「お前が生きてるってことは、こいつは本当のことを言ってる。もしギャングに吹き込まれていたらお前は刺されてた筈だからな」
あんちゃんは俺に、ほら、と血の付いたナイフを差し出し、俺は流れでそれを受け取った。
「あとは任せた。車で待ってるから」
「え、あ、こ、こいつ、殺すんですか」
「俺達から盗みを働いたのに許すのか」
「でも未遂ですよ」
「成る程、未遂か。じゃあ、こいつを生かしたいのなら、そこに倒れている奴も生き返らせておいてくれ。生き返らさないんだったら、こいつも殺せ。どっちでもいいぞ」
「ああ、はい、分かりましたよ」
「こいつらで殺し合ったことにしようか。ナイフの指紋拭いておけよ」
「理由はどうします」
「理由?」
「殺し合った理由です」
「そうだな、好きな女の子が被ったことにしようか」
「あんちゃん、真面目に」
「ドラッグにしよう。こう、死体に振り掛けておけばいいよ。ちょっとだけでいいからな。ちょっとだぞ」
そう言うとあんちゃんは車に向かって歩き出した。俺がこれから殺さないといけない男はそっぽを向いてぶつぶつ何かを呟いている。この様なジャンキーは俺が手を下さなくても勝手に死ぬが、あんちゃんに指示されたのだから仕方ない。やるか。
俺は渡されたナイフを見た。そして、ある疑問が湧いた。
「あんちゃん、このナイフ、どこに仕舞ってたんですか」
✳︎
誕生以来の大幸運のせいで、その男が賭場に入って来たことに気が付かなかった。男の存在に気が付いた契機は、壺振りの、俺からしてみれば、傍若無人な発言だった。
「皆様、手前勝手で恐縮ですが、これにて早仕舞とさせて頂きやす。皆様にはお帰りお願い申し上げやす」
耳を疑った。信じられなかった。そんな提案を甘んじて受け入れれる訳がなかった。
「おい、ふざけんじゃねえ。てめえ、俺に神懸かったツキがあるからって賭場を閉めさせてやるかよ。続行だ。勝てるときには勝つんだよ。続行続行!」
俺は壺振りに文句をぶち撒けた。壺振りは俯いて嵌めている手袋を眺めたままだ。
「仰る通りでございやす。しかし、大事な客人との予定がございやして、その客人がもういらっしゃってしまっておりやす」
振り返ると男が壁にもたれ掛かって立っていた。男の上背は約一七〇センチ。堅気の様だが瞳の中には落ち着いた色が見え、頬には一条の傷跡がある。細身で無口そうな男だ。こいつが大事な客人なのか。だが、それが何だというのか。
「関係ねえ。待たせればいいだろうが。俺が負けるまで待たせてろ」
若が間に入った。聞いていられなくなったのだろう。
「カノ、俺達は見物に来ただけだ。もうケロケロ帰るぞ、蛙だけに」
息巻いていた俺は若に、そういうのいいから、と叫んでしまった。即刻謝った。
「お前、駄目だぞ、そういうのは、本当に」
「申し訳ございません」
「礼を尽くさないってのは侮辱するのに等しいからな。分かってんのか」
こういうときに限って怖いことを言いやがる、この若は。悪いのは俺だから平謝りするけど。
若は暫く小言をぶつけてきたが、これ以上言っても仕様がないか、といった様子で切り上げた。
「兎に角、もう行くぞ」
名残惜しいが若の言葉に従う他ない。俺は渋々頷いた。他の客も帰り支度をしている。中には既に換金を済ませて帰った者も居た。皆、素直に壺振りの願いを聞き入れた様だ。
俺は一番奥の眼鏡の男に目を遣った。正座をしたまま畳の一点を見詰めている。あいつは帰らなくていいのだろうか。
しかし、あいつも賽子では却々冴えていた、俺程ではないがな。グッドラックだったと言っていい。俺は最早ゴッドラックだったがな。
ゴッドラックだっただけにもっと勝負したかった、と口惜しがりながら立ち上がり、若の後に続いて賭場を後にしようとした。そのとき、頬に傷がある例の男が若に話し掛けてきた。
「お宅、ニシマツカジノの人だろう」
俺はかっかしていただけに、その発言が頭に来てしまった。何なのだ、この男は。堅気なのに、若に関わろうとするとは度胸が据わっている。その点は褒めてやる。若の眉骨は出っ張っていて目に影を落としており、眉間周りには傷にも見える皺が刻まれ、目は斬り刻むように空を睨み付けている(本人曰く無表情らしい)。ギャングなら憧れる顔だが、堅気なら目を背けるおっかなさだ。堅気で話し掛けられる者など先ず居ない。よく話し掛けれたな。
しかし、傲岸不遜な発言を看過することはできない。こういった輩はしっかり恫喝せねばならないな。
「あ?何だ、てめえは。てめえが気安く話せるお方じゃねえんだよ。黙ってろ。てか退け。邪魔だろうが、そこ退け!」
俺は可能な限り凄んだ。これは傷の男もおっかなびっくりになるだろうと思ったが、傷の男は何事もなかったかの様に涼しい顔をしている。俺はばつが悪くなってきた。立場を回復するために、恫喝の第二波を浴びせようとしたが、若が制した。
「ウチの若いのが失礼致しました。ご用件を伺いましょう」
傷の男が若の方に向き直った。
「俺はこれからフルズと勝負をする。お宅には勝負の立ち合いをしてほしい。三割でどうだ」
傷の男が、再び気安い口調で頼んできた。藪から棒に何を言い出すのだ。この男、自分の立場が分かっているのか。若がその様な依頼を引き受ける訳がない。三割とは勝ち取った金額の三割が依頼料になるということだろうが、そもそも見ず知らずの男が若に依頼するなんて身の程知らずだ。
俺は若に、行きましょう、と声を掛けようとして顔を向けたが、その前に若が返事をしてしまった。
「いいでしょう」
俺は、えっ、と声が漏れた。急いで若に提言する。
「待って下さい。いいんですか。下手をすればフルズに恨みを買いますよ」
「そうはならねえよ。筋を通すだけだ」
「しかし」
若は俺の言葉を待たずに、傷の男に言った。
「すいませんね、こいつは心配症でね。ご安心下さい。しっかりと見届けさせて頂きますよ」
傷の男は頷いて壺振りの方へ進んだ。俺は謗りの声色で、若、と呟く。
「いいじゃねえか。もしかしたら面白いものを見れるかもしれねえよ」