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4-2.銭湯の秘密

 俺は暗い道を早足で歩いている。


 昼間の日差しは少し控えめだった。夕方になると秋の先駆けともいえる寂しい涼しさに変わった。そして、今のこの夜は衣替えを確信させてくれる程に空気が冷たい。


 だが、この冷たさは偽物かもしれない。本当は、辺りの暗さが俺に冷たさを錯覚させているだけで、俺が感じている程には冷たくないのかもしれない。現実はもっと熱いのかも、俺の心の様に。俺の心は怒りで燃えている。


 街灯や家々からの明かりでぼんやりと浮かび上がった建物が見えた。あそこがフルズに指定された場所である。その建物の見た目は何の変哲もない銭湯の様に見えるが、ここから雀荘に移動するのだろうか。


 俺は宿を発つ前、カノに言われた科白に怒りを覚えている。


「悪い、俺達どうしても外せない用があるんだ。チャージク、おっと何でもない。お前の博打が終わる頃には絶対に行けたら行くから。何かあったら、その、宿にでも連絡しといてくれ」


 はあ?何を言っているのだ?


 奴ら、フケやがった。奴らは間違いなくチャージクラブに行きたくて、俺の勝ちを守る仕事をフケたのだ。


 そうに決まっている。チャージクラブでなかったら、チャージクとは一体何なのだ。チャーシューと春菊のハイブリッドか。いや、その様なものハイブリッドしないね。


 許せない。俺だってチャージクラブに行きたい。チャージクラブに行けずにエナジーギャル達と大貧民をすることができなかったら、俺は日々のストレスで死んでしまうかもしれない。


 いや、来ない奴らのことを考えても仕方ない。それより、・・・あれ。・・・ない。おかしいぞ、カラマメがない。俺はズボンのポケットを上から叩いたが、カラマメの感触がないことに気付いた。何だよ、折角、気に入ったから持ち歩いていたのに。落としたか。あ、いや、宿だ。宿の俺の部屋に置いて来た。そうだ、間違いない。あのカラマメからは何となく幸運のオーラを感じたのだが、まあ、いいか。部屋の鍵は俺が持ってるから誰かが侵入することもないだろう。でも、持っときたかったな。何やってんだ、俺は。


 クソ。切り替えよう。俺はカノに対する怒りと自分に対する怒りをを息に溶かして吐き出した。よし、もう忘れよう。指定の場所に来てしまったのだから勝負に集中しよう。俺は肩甲骨を寄せる様に肘を引き、ストレッチした。腕を前に振り、両手をクロスする。その動作を繰り返した。頭を入れ換えよう。絶対に勝つぞ。絶対に。


 絶対に、か。俺は自嘲した。勝って何になるのだろうか。俺にとってもうとっくに博打に意味はなくなっている。わざわざ工場を辞めて、結局、金は間に合わなかった。もっと早くに工場を辞めるべきだった。そうすれば自分の博打の才能に気付くのも早まった筈だ。間に合っていた、早く辞めていたら。俺は自分の博打の才能を、あいつのために使いたかったが、あいつが居なくなってしまった今、誰のために使えばいい。水をザルで掬う様なものだ。自暴自棄な気分になる。いや、そうだな、自分のために使えばいい。それでいい。それで十分だ。もう余計なことは考えるな。もういい。勝負は間もなく始まってしまうのだから、そっちに集中しよう。


 俺は気を取り直して前を見据えた。そして、例の建物に近付くと、男が中から入り口の暖簾を潜って出て来た。その男は白いラインを貯えていた。フルズの構成員だ。


「カイライさんですね」


 身元を尋ねられたので素直に認めた。


「お一人ですか?」


 男は意外そうだった。そう思うのも当然だ。俺はなぜ唯一人で敵陣に突入しなければならないのか。


「後で合流する」

「あ、左様ですか。ではどうぞ」


 俺は強がって本質的には一人でないアピールをした。ここから雀荘に移動するのかと思っていたが、男は俺を銭湯の中に案内した。脱衣所にでも雀卓が設置されているのだろうか。


 中に入ると、男は番台のスイングドアを開けて内側に進み、壁に繋がっている椅子の背面を押し込みながら横にズラした。すると引き戸の様に壁がスライドされていった。


 凄い、忍者屋敷だ。なぜこの様な仕掛けが銭湯に施されているのだろう。俺は気分が盛り上がったが、博奕打ちは冷静沈着なイメージがあるので、平然とした表情を維持することでその盛り上がりを悟られない様にした。


 隠し扉の先には無機質なコンクリート打ちっ放しの下り階段があり、静かな地下へと続いている。


 俺は男の後に続き階段を下りた。幽かに緊張感が心臓に迫る。博打の場面に出向く経験は何度もしてきたが、未だに慣れず、緊張してしまう。


 地下の部屋の扉の前に立った。扉はコンクリートではなく、茶色い木目だった。


「ダイオがお待ちしております」


 男はそう言い、陶器の取手を回した。階段は暗いので、扉が開いて急に部屋の明るさを浴びせられると、顔を背けてしまう程室内が明るく感じられた。


 顔を戻すと、部屋の中には揉み手をする太った大男が一人とその弟分と思われるフルズの構成員が十数人居る。大男は白いラインを二本貯えていた。


「ようこそいらっしゃいました。お客様のこと、お待ちしておりましたよ。西からいらしたということで、お疲れではありませんか」


 はだけたシャツから金のネックレスをちらつかせる茶髪の大男、こいつがダイオだと思われる。にこやかに社交辞令の定型文を述べてはいるが感じの悪い男だ。ボタンをちゃんとしない、金のネックレス、茶髪、感じ悪い。


「タバコは吸われますか」

「ん、ああ」

「地下なんで全席禁煙なんです」

「そうか」


 全席禁煙なら聞くんじゃねえ。


 俺は部屋を見回すと、そこには在り来たりの雀荘の風景が広がっていた。なぜわざわざ地下に作ったのか。


「実はここ、雀荘ではないんです。普段は麻雀専門のカジノとして営業しております。ただカジノの申請はしていないので、この賭場の存在は呉々もご内密にお願い致します」


 ダイオはまだ揉み手をしていて、その手には黒い手袋が嵌められていた。構成員を観察すると、ダイオの他にも二人が手袋を嵌めている。


「では、早速。お客様は壁を後ろにして誰にも見られない様にするのがいいかな、と思いまして、一番奥の卓はいかがですか」


 ダイオが壁際にある卓を手で示した。その卓の上には箱が置かれているが、見た目は普通の雀卓である。俺はその卓を使うことを認めた。


 その卓の方へ向かう間も、ダイオは話し掛けてくる。


「丁半のチームからお客様のこと聞きました。マキヤを打ち破られたとか。いやはや大変な実力をお持ちで」


 お餅?


「どうぞ、壁際の席でもよろしいですし、お好きな席をお選び下さい」


 あ、お持ち、か。突然お餅に言及するタイプの人間かと思った。その様な訳ないか。


 俺は壁を背にする席に座った。ダイオは俺の対面の席に座る。残った二席は手袋をした構成員で埋められた。それにしてもダイオはデカい。ダイオが座ると席の背もたれがすっかり見えなくなってしまった。


 上家の構成員は若かった。背もたれに体重を預け、足を組み、リラックスしている。俺は試しにその構成員に話し掛けてみた。


「ポイントナインとドンパチやってきたのか。セーフティーグラブだろ、それ」


 その構成員は体勢を直し、やや前屈みになってダイオの方を見た。動揺してる様に見える。そして、ダイオが答えた。


「いえ、これはただの手袋です。私達は戦闘要員ではありませんからね。ほら、私なんて太ってて俊敏に動けませんから戦ったとしても足手纏いです。手袋はこれから説明しますね」


 ダイオは依然としてにこやかだ。だが、俺は上家の構成員が幽かに脱力するのを透かさずキャッチした。


 ただの手袋、か。


 ダイオは兎も角、上家の構成員は穴だな。恐らく、下家も同じだろう。しかし油断はしない。


「ルールを説明させて下さい。ウチは不正撤廃を掲げておりまして、そのため、特殊なルールとなっております」


 卓の上には、麻雀牌と一辺約三十センチの立方体の箱、薄いがデカい鉄色の塊、一組の黒い手袋が置かれていた。


「積み込み、という最強の不正があります。この賭場でも積み込みをやられたというクレームを何度かお受けしたのですが、積み込みは証拠が残らないので摘発できません。そこで私達はそれを封じるために様々な策を考えました。その結果至ったのがこの箱です。希望者の方に無料でお貸ししております」


 ダイオが動き出した。先ず、抽選箱の様に上に口が開いている立方体の箱の中に鉄色の塊を入れる。これが重りとなり、箱は動かなくなる。その後、牌を全て入れる。箱の口にはアスタリスクの形に切れ込みの入ったスポンジシートが貼り付けてあるため外からは中が見えない。


「こうやって洗牌します」


 両手で箱を挟み、箱を卓に付けたまま振る。


 重りが入っているので動くのは心持だが十分混ざる。


「この黒い手袋は盲牌防止のために嵌めているんですよ。ですからお客様もこちらを嵌めて下さい」


 ダイオが手袋を拾い、俺に手渡してきた。俺は受け取ったが、ずっとダイオの説明するルールが不満だった。なぜなら俺は積み込みをやろうと思っていたからだ。俺ははっきり言って麻雀をするときはいつも積み込みをする。何せ積み込みをすると俺は敵よりも多くの牌の情報を得られるのだ。やるに決まっている。


 麻雀では例え一枚でも多く敵より牌の情報を持っていたら有利となる。それが十枚、二十枚となると殆ど放銃しなくなっていく。確実性が高く、証拠が残らない不正なのでよくやるのだが、先手を打たれてしまった。俺が積み込みを使うという情報がどこかから漏れたのだろうか。


「この箱を使って麻雀をすると幾つか問題点が発生します。それを解決するために通常のルールを変更しました。変更点は四つ」


 次から次へと聞いていない話が出てくるな。もし、昨日の電話でここの特殊ルールを聞いていたら、この賭博には来ていなかったかもしれない。それ程積み込みをできないと不安を感じる。実は純粋な麻雀の腕には自信がない。


「では変更点の一つ目、配牌があるのは親だけ。つまり、手牌は親だけが作る」


 は?


 何で親だけなのだ。


「この箱がありますと対面の河が全く見えません。箱の横から対面の河を見ようとすると上家や下家の手牌が見えてしまう恐れがあります。となると立ち上がって箱の上から見ることになるのですが、そうしてしまうと、麻雀は考えることが多くて対面の河に何があるか直ぐ忘れてしまうので、四人が頻りに立ち上がることになります。傍から見るとモグラ叩きのモグラみたいで、何というか、滑稽なんですね。親だけにすれば考えることが断然少なくなり、立つ回数も減ります。よって手を作るのは親だけです。あ、もちろん連荘はなしですよ」


 何だ、それ。よく言う。俺はこの説明が建前であることを一瞬で見抜けた。そして、このルールの真の目的も見抜けた。こいつらは間違いなくチーム打ちをする。


 今回は半荘一回勝負なので俺の親は二回だ。ダイオが親のときは上家か下家の構成員がダイオに差し込み、俺が親のときはダイオはベタオリする。それを二回繰り返せば、それだけでダイオの勝ちは確実になる。今、説明されたルールではこの勝利の方程式が簡単に成立してしまう。


 これは酷い。この様なルールを認める者が居るのか。一人も居ないだろう。だが、俺は認めるかどうか迷っている。今、抱えている問題の半分を解決する方法が思い付いているからだ。しかし、残りの半分はまだ解決していない。


「二つ目、子は一度のツモで両手に一枚ずつ箱からツモる。この麻雀で子ができるのはツモった牌を切ることだけです。それだけでは味気なさ過ぎますでしょ。ゲーム性を上げるために、二枚ツモって好きな方を切り、もう一方は箱に戻してもらいます」


 このルールは少し意外だ。これではダイオにリスクがある。二枚引いて、二枚とも危険牌という事態は往々にしてある。つまりベタオリが確実にできない。勝利の方程式の一角が崩れる。どの様なルールを設けてもいい立場なら確実にベタオリできるルールにする筈なのに、ダイオ、お宅は一体何をするつもりなのだ。


 そして、俺は違うことも考えた。・・・いや無理だろう。ダイオの腹を見る限り、俺の画策しているベタオリの方法と同じものをやれる様には見えない。何か他の方法を採るだろうな。現時点ではダイオがどうやってベタオリするのか分かりそうもない。


「三つ目、親がカンをしてもドラは増やさない。その代わりカンをすると子がツモれるのは一枚だけになる。これもゲーム性を上げるためです」


 このルールも意外だ。このルールは俺を追い込むが、ダイオ自身も追い込んでいるではないか。増々ベタオリができなくなる。なぜダイオは自分の首を絞めるのだ。


「四つ目、絶一門」


 あ、これか。


「親には絶一門で手を作ってもらいます。手を作るときに振り込みを一切気にしなくていいのは親に有利過ぎます。よって縛りを設けました」


 これだな。この存在感を薄めるために二つ目と三つ目のルールを設けたと思われる、はっきりと断言はできないが。


 兎に角、勝利の方程式が理論上成立することは分かった。しかし、現実でどの様にして成立させるのかはまだ分からない。


 手袋か。いや、でも、毎回長時間箱の中に手を入れていたら俺が注意するに決まっている。そのうえ俺がその気になったら徹底的に牌を混ぜることもできる。どうするのだ、ダイオは。

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