5-8.仕事の終わり
俺は入り口付近の休憩所で伸びをした。博打が終わったらしい。あの雰囲気から察するに勝った様だな。
いやあ、焦った。そろそろ電気ケトルを点けようと思ったらケトルの中に熱々のお湯が入っているのだから。心臓が止まるところだった。大慌てでお湯を捨てたよ。そして、新しく水を入れてからケトルを点け、鞄の中でドライヤーの電源を入れたのだ。ギリギリ間に合った様でよかった。
では、建物内の皆が大勝ちしたカイライの卓に注目している隙にドライヤーのコードを抜くか。あ、いや、店員がこっちに来た。あの店員が行ってからにしよう。そうだ、ついでにカイライが幾ら勝ったか店員に聞こう。
「なあ、あいつは幾ら勝った」
「えーっと、八百万くらいですね」
「マジか、凄えな」
カイライ、めっちゃ勝ってんじゃねえか。まあ、目標には二百万届かなかったが、それでも大勝ちだ。上手くいったんだな。
よし、店員が行った。回収しよう。俺は座ったまま上体を曲げ、椅子の下のコンセントからコードを抜き、鞄の穴の中に突っ込んだ。これで証拠隠滅だ。
「おい」
俺は驚いて顔を上げた。しまった、見られたか。
「来い」
そこに居たのは厳つい髭の三人、あれ、こいつら、どこかで・・・、あ、イーヤロと勝負したときに見掛けた奴らだ。なぜここに居る。
カイライの方を見ると、嘘だろ、イーヤロだ。何だよ、ポイン達が何とかするという話だったが、違うのか。普通に居るぞ、イーヤロが。ヤバくないか、この状況。
俺は服を引っ張られて立たされた。そして、一発殴られた後、背中を押されてカイライの方に歩かされる。
何だよ、折角勝ったのに。これでは意味がないではないか。くそ、あの女どもに騙された。これから俺は何をされるのだ。
「おっと、君も居たか。久し振りだな」
イーヤロがスマイルで俺を迎え入れる。くそ、不気味な奴め。
「また博打かい。飽きないね。幾ら勝ったんだ。彼に聞いても何も教えてくれなくてね」
「別に。八百くらいだ」
「八百って、八百万か。凄いな。相変わらず悪いことしてるんじゃないの。あんたもやられたのか」
「・・・ふん」
ミラは、イーヤロは危険だと判断したのか、席を立った。それと入れ替えで店員が戻って来る。
「あ、あの、ここに置いておきますね」
卓の上に札束が七個と折り畳まれた十枚一組の一万両札の束六個が置かれた。店員はそそくさと帰って行く。ああ、この大金、折角の大金が・・・。イーヤロがあと五分遅れて到着していたらなあ。
「ほお、稼いだね。凄い」
「・・・」
「じゃあお二人さん、行きましょうか」
「どこに行くんだ」
「秘密だよ。秘密の方が楽しいだろ。丁度いいや。これ、持ってっちゃえ。・・・ん?あ・・・」
イーヤロが俺たちの後ろを見て目を丸くした。そして、叫び出す。どうした、急に。俺は振り返った。髭の男達はナイフを取り出して構える。
そこには異様な人影があった。何だ、こいつ。目出し帽を被った明らかに堅気ではない雰囲気の細いシルエットが屈強な髭の男達に向かって恐れることなく突き進んで来る。その目出し帽はある程度まで距離を詰めると、バイタルを守る様に体を少し捻り、摺り足で髭の男達にアプローチした。
不運にもその目出し帽に一番近い髭の男は最初の戦闘を強いられる。髭の男は、にじり寄って来る目出し帽にどうナイフを振るか、その様なこと考えずに突進すればよかったのではないか。結局、ナイフを使う前に脛を思い切り蹴られ、更に叫び声を上げる間に掴まれた腕の下から肋骨に膝蹴りを食らった。目出し帽は腕を掴んだままくるっと回転して男と同じ方向を向くと、男の腕の外側から上体を捩って男を転倒させた。その後、男の頭を踏み潰し、ナイフをもぎり取る。
強いな、この目出し帽。いや、俺もぼーっと眺めていては駄目だ。イーヤロに拐われて生きて帰れる保証はない。恐らく目出し帽はポインの仲間だ。共闘しよう。
目出し帽が奪い取ったばかりのナイフを残った二人の髭の男の方に投げた。投げたと言っても矢の様に鋭く投げた訳ではなく、ふわっと放物線を描く様に投げた。それでもナイフは危険である。自然とナイフに目が行く。
あ、そうか。見ていては駄目、あのナイフは視線誘導だ。俺は目出し帽の意図を直ぐに理解できたのでナイフから目を切り、取り敢えず近くの髭の男の膝の裏を蹴飛ばした。その衝撃で崩れる髭の男。
一方で目出し帽はもう一人の方の髭の男と対峙していた。その髭を掴んで思い切り振り回し、床に叩き付ける。指に絡んで抜けた髭を払ってナイフを拾った。
俺が蹴った髭の男は俺ではなく目出し帽の方に向かって構え直した。目出し帽は髭の男を中心とした円の周上を歩いて、俺の方にやって来る。俺は目出し帽のサポートをしようと思ったが、髭の男の後ろで首振り扇風機きの首を無理矢理振ったときの様な音がして、その直後髭の男が倒れた。
「ちょっと待って。もう一周して来る」
髭の男の後ろから現れたのはポインだった。ポインは手にしたスタンガンで倒れた髭の男達に追撃を食らわしていく。髭の男達は立ち上がれない様だった。ポイン、お前、遅、いや、それより今はイーヤロだ。
振り返ると、目出し帽は既にイーヤロの相手をしていた。イーヤロのパンチを受け止めてハンマーロックに移り、卓に叩き伏せる。イーヤロは蛙の様な声を漏らし、嘆いた。
「おい、乱暴はやめろ」
「・・・」
「全く、使えない奴らだ。そういえば今日はあの忍者は居ないのか」
「黙ってろ」
目出し帽がイーヤロを卓に押し込んだ。イーヤロの顔が目出し帽の手と卓で挟まれて潰されている。
形勢逆転だな。俺は安堵の溜め息を吐いた。それにしても、この目出し帽、強いな。俺ならとてもこの髭の男達に立ち向かおうとは思わないが、よく倒したな。
「あるか」
「いんや、なさそう」
ポインが髭の男の持っていた鞄の中を探ってる。カイライは、先程まで卓の下で小さくなっていたのだが、今はイーヤロが叩き付けられた衝撃で卓から落ちた金を拾って袋に入れていた。あの袋、どこにあった物だろう。持って来ていたのかな。
「ちょっと、もう一周して来る」
倒れている髭の男達が少しずつ動き出した。ポインが再びスタンガンを取り出す。
「それ、鞄の中の、その、紐が糾われている、えー」
「ん、これ?縄のことか」
「そう、縄だ。縄で縛ればいいだろ」
「変な言葉知ってるんだな、お前。おい、ジョー、暇なら手伝え」
「え、俺?」
名指しされた。手伝えとのことだが、まあ、歯向かう必要もないし、手伝うか。
俺はポインとともに髭の男の手首を縛っていった。下手をすると逆に俺の方がこれで縛られていたかもしれない。本当にポインとこの目出し帽には感謝だ。
「さあて、退散しますか」
「ああ」
目出し帽がイーヤロを卓から引き起こす。イーヤロの顔にはうんざりと書いてあった。
「嫌だな。お前ら、覚えてろよ」
イーヤロは俺達に向かって言った。いつもとそれ程変わらないイーヤロの態度だが、心の中ではどう思っているのだろうか。
「遅れて悪かったな。ゴタゴタしてた。これ、詫びだ。あいつが金集める係なのか。投げるぞ」
ポインがカイライの方に何かを投げた。カイライが受け取ったのは、金だ。しかも札束二つ、二百万両か。
「それじゃあな」
「おい、待て」
カイライがポインを止める。
「何の金だ、これ」
「あたしの金じゃない。こいつの鞄に入ってた。多分、逃走用の金じゃないの。要らねえからやるよ。お前の好物なんだろ」
こう言ってポインと目出し帽はイーヤロを連れて去って行った。イーヤロは抵抗しても無駄と判断したのか大人しく歩いている。三人が消えたクラブには髭の男と少しの一般客と静けさが残った。
行ったか。ポインは俺達に礼を求めるどころか金をくれた。いい奴だよな。というか、結局何者なのだ、ポインは。やはり新興勢力のギャングなのか。・・・怖いな、ギャングは。きっと出世しても常に殺されるリスクと隣り合わせなのだろう。俺もギャングと関わるときは慎重に行動しないといけないな。
「俺達も行こう」
カイライが言った。
「ん、そうだな。よかったじゃねえか、二百万もタダで貰えて。目標金額到達だろ。こういうこともあるんだな」
「ああ」
目標金額到達、つまり、これでカイライとの仕事は終了。最初は殴られるだけだと思っていたが、終わってみれば色々あって、まあ、結構楽しかったな。
俺は、また一緒に仕事しよう、とは言わなかった。どうせカイライは俺に対して何も思ってない。そのときどきで都合のいい人間を雇うだけだ。そもそも仕事とはそういうものだしな。
ドライヤーの入った鞄を回収して俺達は出口の扉を潜った。少し遠い駐車場にある車に向かう。外は暗くて寒い。車の許に着くまで俺達の間に会話はなかった。
(終)