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3-5.実力を目の当たりにしたら

 ナカセは開き直って自分の無実を主張する旨の発言をした。往生際の悪い奴だ。


「ナカセさん、いい加減にしろ。どう見てもあんたの負けだろ」


 俺は立ったまま言った。ナカセが俺の方を向く。


「なぜ」

「なぜって、イカサマをしたろ」

「していない」

「は」

「全てこいつの妄想だ。こいつの言っていることは現実ではない。こいつがおかしいのはカノさんも分かっているでしょ。出鱈目を言ってるだけだ。ただ、僕も疑わしい行動を取ってしまったかもしれない。それは申し訳ない」

「いや、したろ」

「何を」

「だから、その、イカサマだよ」

「証拠は」


 証拠?証拠はカバーを替え、あ、そうか、それをやったという証拠がないのか。証拠がないということは想像に過ぎないという扱いになる。あれ、証拠は、ないのか。ない、いや、待て、ある。指紋だ。


「指紋を取れば分かる」

「指紋?僕がカノさんの隣の金髪の男の本にノータッチなら僕の指紋は検出されないってことですか。でも、どうだろう。あの売店の本全てに僕の指紋が付いているかもしれない。何せ色々と触りましたからね」


 お、これは言い逃れられたな。ナカセの言葉を否定できない。俺に誰かの追求など荷が重いわ。


 俺は傷の男を見た。焦ってはない様だ。俺が話すことがなくなったのを察知して、代わりに傷の男が話し出した。


「お宅、弁当は買ったのか?」


 金髪の男に質問した。


「ホームの売店で弁当は買ったのか?」


 その男は首を振った。


「そうか、俺は買った。弁当に付いてる醤油入れって扱い辛くないか。あ、味が分からないって言ったのに調味料使うっておかしいな。自己矛盾してしまった。まあいい。醤油が指に付いてしまうんだよ」


 ナカセは文脈のない弁当への言及を訝しんだ。


「何を言っている」


 傷の男はナカセを無視した。


「指に付いた醤油に気付かず、服とかに付けちゃうことないか。あるよな」


 若だけ頷いた。


「さっき付いてしまった、栞に。お宅の栞を汚してしまったんだ。つまり」

「待て」


 ナカセが話を遮った。


 傷の男が言いたいのは、金髪の男の本に醤油が付いた栞が挟まれていれば、それはもともとナカセが持っていた本ということだ。なぜナカセが持っていた本を金髪の男が持っている。それが不正の証拠だ。


 ナカセが反論する。


「この男が弁当を買っていなくても栞に醤油が付く可能性はある。前の客がテーブルに付けたんだ。それに気付かず、この男はその上に栞を置いてしまった」


 傷の男はナカセの反論を物ともしない。


「分かってる。俺だって栞に醤油が付いてるなんて重箱の隅を突かない。俺がぺらぺら喋っていたのは、栞の意味を明確にしたかったからなんだ」


 傷の男は俺の方を向いた。表情は穏やかだったが、俺は何とも言えない気迫を感じた。


「俺の名前が気になるか」


 俺は、へ、と腑抜けた声を漏らしてしまった。


「俺の名前を聞いたよな」


 あ、そうだった。名前を聞こうとしたらナカセが勝負を持ち掛けたので聞き損ねたのだった。


「俺の名前はカイライ。この名前を知っている者は限られている」


 カイライ、傷の男の名前。本名だろうか。


「手許を見ずに、指先に付いた醤油で名前を書くのは困難だ。だが、皆が俺の話、味覚がない話とかを聞き入ってくれた。そのお陰で時間ができ、ゆっくり書くことができたんだ。時間が余るくらいだったよ。だから、カノさんの名前も書いておいた。ナカセさん、お宅の名前もな」


 俺はカイライの話を理解すると、直ぐに確認に移った。座席の上の四冊の本から『潤滑』を取る。カイライの話が正しかったら、これは始めにナカセが『フローレンス』のカバーを付けていた物の筈だ。


 ページを捲ろうとしたら自然とあるページが開いた。栞が差さっているページだ。66、67ページ。98ページではなかった。このページに栞があるのだが、今、見えている栞の面には何も書かれていない。


 俺は栞を手に取り、ひっくり返す。すると、書いてあるではないか。


 『カイライ』『カノ』『ナカセ』


 汚くて茶色い鏡文字だった。俺やナカセの名前は兎も角、カイライの名前は言い訳できない。この文字を書くことができたのはカイライのみ。つまり、この栞は先程までカイライが持っていた物ということになる。その栞が金髪の男の本から見付かった。不正だ。


 金髪の男も、ナカセも、口を開けて思い詰めた顔をしている。もう言葉はない様だ。そこでカイライが追い討ちを掛けた。


「罰符は十倍払いか」


 電車が停まった。停まったときに発生した慣性力で座席の上に置いていた物が動いてしまい、ガラス製のカップ酒が座席の端から半分程身を乗り出してしまった。


「一億五千万だ」


 ナカセは何も言えない。何もできない。敗北を思い知らされるのみ。


 電車のドアが開き、沢山の人が乗って来た。我先にと座席に向かう。ボックス席部分の通路に立っている俺は座席競走の障害物だ。そのため、誰かに背中を押された。俺は前につんのめり、座席にぶつかった。


 その衝撃でカップ酒が更に身を乗り出し、その重心が座席から飛び出た。落ちるのは必然である。一瞬で床まで到達し、盛大に割れた。


 ガラスの砕ける音が車内に響いた。楽器が出す様な大きな音だ。その音は周りの乗客の視線を一斉に集める。その視線はナカセにとって自分を責めている様に感じられるだろう。


「言っとくけど一億五千万はもっとねえからな」


 誰も何も言わない中、若が喋り出した。


「本当に俺が一億五千万も立て替えるのか」


 周りの乗客は既に音への興味を失い、視線を戻していた。


 車内に十分の停車を知らせるアナウンスが流れる。乗客は発車を待ち、各々の時間を過ごしていた。 


 

 ✳︎


 

 やっと目的地に着いた。俺と若が先に立って、カイライが立ち上がった。


 光が回って来ない時刻になっている。ホームにある光沢のないベンチがグラデーションを作りながら淀んでいた。


 俺達三人はホームに降り立つ。ナカセは若に借金し、ガラスを片付け、協力者と途中下車した。若がカイライを説得し、千五百万両に済ませたのだ。あの感じでは代打ちの話はもう解消だろうな。


 カイライは伸びをして、ゴミ箱に弁当容器を捨てた。この男は昨日と今日で約六千万勝っている。大儲けではないか。税金はどうするのか。


 俺はこの二日間のカイライの活躍を近くでよく見ていたが、カイライについて分かったことが幾つかある。


 もちろん、カイライは俺の手の届かないレベルの天才博徒だということはよく分かった。だが、それは当たり前のことである。それよりこちらの情報の方が意外性があって面白い。それは、カイライは冷徹無慈悲で宵越しの金を持たない一匹狼キャラを演じているだけ、ということだ。実際のこの男は殆ど普通だ。博打になると頭が働く人、それだけ。なぜだかそれを感じ取ったのだ。


 だから、俺は遠慮せずにカイライに話し掛けた。普通の人なのだから話し掛けてもいいだろう。


「栞が窓から捨てられなくてよかったな。そうされたらイカサマが証明できなくなってたろ」


 カイライが鞄を肩越しに引っ掛けた。


「いや、捨てないな。協力者にとって俺達の会話は重要だ。窓を開けるとガタンガタンうっせえから開けないだろ」


 俺は頷いた。ふーん、成る程ね。俺は昨日の博打を含めて聞きたいことが沢山あったが、インタビュワーではないので全部聞く訳にはいかない。


 俺達三人は階段を下りた。


 あ、絶対に聞きたいことがあった。長旅でお疲れのところ申し訳ないが質問させてもらおう。


「何で、後ろの男が協力者だと分かったんだ」


 俺は面倒臭がられるかなと思ったが、普通に答えてくれた。


「あんなに空いてる電車で真後ろに座るか。しかも、ずっと背筋を伸ばしていた。まあ、聞くのに集中していたんだろうな。気味が悪かったぜ」

「ナカセがその男と協力してイカサマするって分かってたのか」

「勝負を持ち掛けられたときから、その前提は一応持っていた。レース前からある違和物を放っておいてスタートする奴は居ないだろ。それと一緒だ」


 俺はまた頷いた。おー、成る程。なんか、俺はもうファンだな。カイライの話を全部肯定している。でも、仕方ない。本当に感心しているのだから。


 俺達は改札を出て、トラップからの迎えと合流した。もちろん、俺ではなく若を迎えに来たのだが。車に乗り込んだ。


 若と話している運転手はカイライのことを教えられている。若は楽しそうだ。だが、バーチャルな想像でカイライを理解するのは無理だ。肌で味わわないと絶対にあの凄みは理解できない。カイライはその持ち合わせた天賦の才能で相手が隠そうとする情報の尻尾を鷲掴みにし、引き摺り出す。相手が地に指を食い込ませて必死に抵抗しても、情け容赦なく引き摺り出す。悪足掻きの小細工など一切通用しない。全て跳ね返し、首を締め上げる。相手を殺さずに済んだのは、若が止めに入ったからだ。それがなければ死んでいたかもしれない。相手も、ひょっとするとカイライも。


 逆に今まで、なぜ生きて来れたのか。


 これは俺の勝手な推測だが、始めから博打に命を賭ける価値を見出してないのではないか。若が止めに入ることもカイライの計画のうちで、危険な橋を渡る気は更々ない。博打は得意だからやるし、賭け金を引き上げることも得意、だけどヤバい所までは行かない。だから、若に止められる前提で狂っている振りをしたのだ。


 もし、この考えが正しいのなら、今まで生きてこられたことも納得だ。そもそも死ぬ気がないのだから。


 俺の頭の中はカイライで一杯だった。俺もカイライの様になりたい。そのためにもカイライには頭の中を共有してほしい。俺はまたカイライに質問した。


「昨日の丁半あっただろ。あれは前もってイカサマに気付いてた訳だ。壺の穴を何日も前に。どういう契機で気が付いたんだ」


 カイライが答えた。カイライは必ず答えてくれる。


「手数料無料だったからな、おかしいと思ってた。んで直に通しのサインに気付いたからイカサマを確信した。通しを見抜くのは大変だったな。色々考えたんだ。海外の言葉で偶数はイーブンで、奇数がオッドだから、『い』とか『お』で始まる文章でも言ってるのかと思ったりもした。そんで最終的に、壺振りの指が上行ったり下行ったり握ったり、それに気付いた。で、通しを見抜いたんだ」


 そうなのか。俺は感動した。傍から見ると、カイライは簡単にイカサマを見抜いた様に見える。しかし実際は苦労しているのだ。頭脳がトライアンドエラーを繰り返して現実と照らし合わせる。合わなくても思考停止にならなずに粘る。不屈の闘志を持って思考しているのだ。


 ギャングはその能力が喉から手が出る程欲しい。だからカイライのファンになってしまったのだ、熱烈なファンに。


 車がトラップに到着した。カイライは颯爽と車から降りる。ここで次の戦いを待ってもらうのだ。俺は次の戦いも、当然の様にカイライが勝つと思っていた。

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