5-1.ポイン
鞄の側面、その下の方の一部に穴が空いている。小さい穴だ。確かにここからコードが出ていても気付く人は居ないだろう。鞄の中ならドライヤーの音もそこまで目立たないだろうし、いけそうだな。
しかし、ここまでのことをしても勝つ確率は百パーセントではないとカイライは言う。もちろん博打なのだから必ず勝つということはないだろうが大金が賭かっているのだから、こう、何とかならないものかな。確実に勝たなくていいのかよ、とツッコミたくなるが。俺は何も考えないけど。
「ジョー、ちょっと見てくれ」
トランプを弄るカイライが俺を呼んだ。見てみると、カイライはテーブルの上でトランプの半分を二十センチ程離れた場所に置き、残りをその上に置いた。そして、俺を見る。
「今、俺は何をした」
「何って、トランプをカットしたんだろ」
「そうか」
そう言ってカイライはトランプを箱に仕舞った。何だったのだ、今の質問は。なぜ俺にカットするシーンをわざわざ見せた。俺に見せた、確認させたのか、カットできているかを。ということは、カットしてないのだな。実は下半分を移動させて、その上に残りを乗せたということか。それをテンポよく見せるとカットした様に見えるのだな。成る程。いつ使うのだ、その技術。何か企んでいるな、こいつ。
「第八ディールで俺が配る前だ。配る前にケトルとドライヤーを頼むぞ」
「分かってるよ。電気ケトルを点けてからのドライヤーだろ。んで、お前と合流してトランプを交換だな」
「金はどうなった」
うわ、突然聞かれた。俺は目を逸らしたくなる。そりゃ聞くよな、大事なことだから。怒られるかもなあ。
「言っとくけど俺のせいじゃないからな」
「幾ら取られた」
俺の前置きを遮るカイライは早く金額を聞きたい様だった。仕方ない、言うか。
「半分だ」
半分と聞いてあからさまに溜め息を吐くカイライ、きっと頭の中では瞬時に計算を終えたのだろう。先ずイーヤロに三百万負け、その後ガイザワが七百万勝ち、その半分をガイザワに取られたから、三百マイナスと三百五十プラス、つまり儲けはたったの五十万両、あれだけやってたったの五十万両なのだ。しかし、これは俺のせいではない。
「最初は七割寄越せって言われたんだぜ。そこから俺が粘って半分にしたんだ」
「お前は百万で呼べるって言ったよな」
「違う違う、呼べると思うって言ったんだ。言い切ってはないよ」
「いや、言い切っていた」
「う、そう言われたらそんな気もしてきた」
「・・・」
「ガイザワが出て来るなんて思うかよ。もっと格下が来るって聞いてたんだけどな」
「・・・」
「まあ、ギャングに関わったら搾られるってことだ。ギャングに金借りるとかはやめた方がいいな。悪かったよ」
閑散とした喫茶店、カウンターには拘りの強そうな店主が居る。俺達が入ってから新たな客は居なかったが、たった今、入り口の扉からこの店にそぐわない派手な女が入って来た。ショートの金髪でベースボールキャップを目深に被っている。その後ろにはもう一人居て、普通そうな見た目でこちらに向かってニコニコしている。なぜこちらを見ているのだろう。
二人は店主にコーヒーを注文すると、こちらに近付いて来た。嘘だろ、金髪の方の、スーッと滑ってるぞ。あいつ、ローラーの靴履いてるのか、大人なのに。そして、何だ、座ったぞ、俺達のテーブルに。金髪は俺の隣、もう一人はカイライの隣だ。金髪は踏ん反って俺達を見ている。何だ、こいつら。
「どこで会ったか覚えてる?」
キャップで表情の見えない金髪が口を開いた。俺達は戸惑いを隠せない。こいつら、俺かカイライの知り合いか。
「会ったことないよな。初めまして」
金髪が続けて言う。何だよ、初めましてかよ。
「お前、アウタイ・ジョーだろ。ジョー、よろしく」
金髪が俺の肩を突然引っ張ったので俺は面食らった。強引な奴だな。だが、なぜ俺の名前を知っている。
「そっちのお前の名前は知らない。何て言うんだ、教えてくれよ」
カイライを指差す金髪だが、カイライは何も答えない。得体の知らない者に名乗る気などないのだろう。
「言葉分かんねえのか、お前」
金髪が呆れた様に言った。もう一人の女はニコニコしたまま黙っている。金髪に主導権を委ねている様だ。
「お前が名乗らないのならあたしもそうするまで、だ。あたしの名前はジューロク・ポイン」
ん、名乗るのかよ。何なのだ、こいつ。それで誰だ。聞いたことのない名前だぞ。
「ポインさん、そろそろ本題に入った方がいいんじゃない」
「いいだろう。お前ら、イーヤロと揉めたな」
微かにカイライが眉間に力を込めた。こいつら、俺達とイーヤロの勝負を知っている。どうして知っているのだ、誰にも話してないのに。俺達のことを嗅ぎ回ってたのか。そして、なぜ俺達に会いに来た。くそ、複雑な話になりそうだ。近いうちに大勝負があるってのに。
「イーヤロに恨まれてるんだって?災難だな、あんな奴に付き纏われてるなんてよ」
「待てよ、恨まれてるって何だ」
俺はポインが来てから初めて口を開いた。ポインが聞き捨てならないことを続けて言ったからだ。恨まれているなど初めて聞いたぞ。
「あたしはそう聞いたけど。お前らが何かしたんじゃないのか」
「あ、いや、まあ」
「どうせ博打でイカサマしたとかそんな話じゃねえの。何だよ、そのトランプの箱は。もしかして、これからまた別の所でイカサマする気なのか。懲りねえな」
ポインの声が大きい。わざと声を大きくしているのだ。そのうえ内容が正しい。くそ、厄介な奴だ。
「用件は何だ」
遂にカイライが口を開いた。もうポインを放っておけないと判断したのだろう。カイライはポインを睨んでいる。
「あたし達はイーヤロを追ってるんだが、そのイーヤロがドロンした。だから、お前らを餌にする。いいな」
「いや、駄目だ」
「駄目じゃない」
「駄目だ」
「何だ。何だ、お前。この野郎」
ポインが声を荒げる。カイライが反発することに苛立った様だが、カイライが受け入れる訳がない。当然だ、こちらに何のメリットもないのだから。餌って、何だそれ。駄目に決まっているだろう。
「あ、いい?」
「いいぞ」
「あの、さわやかブリッジクラブに通っているんですよね」
もう一人の方の女がポインに許可を取ってから喋り出した。こっちの方が話が早そうだ。いや、でもその前に、なぜ知っている。なぜブリッジクラブのことまで。
「そもそもお宅らは何なんだ」
「えーっと、そうですね・・・」
「超簡単に言っちまえばギャングだ」
ポインが口を挟む。
「いや、ギャングではないんですよ」
「今、丁度ギャングとは関わらない方がいいって話してたところだ」
「ギャングではないです」
「お前ら阿呆どもの意見には興味ない。ただ餌にすることを親切心から教えてやっただけだ。黙っててもよかったんだぞ」
「ねえ、ポインさん、ちょっと私に話さしてくれる?」
「ああ、もちろん。いいよ」
コーヒーが運ばれた。ポインはそれに直ぐ口を付け、グビグビ飲み出す。熱くないのか。
「無理強いしません。ただ、お二人が通っているブリッジクラブはエル会にみかじめを払ってます。イーヤロに見付かるのは時間の問題かもしれません。私たちならあなた方を守れます」
俺は腕組みをした。イーヤロが俺達の危険になっているとはな。ブリッジクラブがエル会のシマとも知らなかったし。今度の勝負、やって大丈夫なのか。
「もしまたそのブリッジクラブに行くのなら、私達が外で張っています。イーヤロが来たら直ぐに私達が捕まえるので。もう行かないのなら、それはそれでいいです」
この女、どういうことだ。俺達を守ると言っているのか。守るって、いい奴だな。こいつら、いい奴だった。なら、守ってもらおうよ、カイライ。
俺はカイライを見た。カイライはテーブルの上の一点を見詰めている。何を考えているのだろう。護衛をやってくれると言うのだから頼めばいいと俺は思うが。
「あの、考えておいて下さい。明日とか、ここでまた会いましょう」
「いや、今度の勝負に来てくれ」
カイライが言う。
「あ、決めたんですか。分かりました。ごめんなさい、今日決めてもらえるとは思ってなくて、詳細はまだ詰めれないんです。また会いに来ますね」
「ああ」
話が終わった。すると直ぐに、空のカップをぶらぶら揺らしているポインが口を開く。
「あたしがこれから話すのは雑談だ。お前、ミラと勝負するんだろ」
ポインが知らない名前を出した。カイライも知らなさそうだ。誰だ、ミラって。
「あんれ。あたしは確信してたんだが、違う様だな。無用な恥を掻いた。まあいい。じゃあ特別サービスで教えてやる。その代わりにコーヒー代を払え。いいか、あのブリッジクラブには指輪をしている連中が沢山居る。そいつらはグループだ。チーム打ちをして稼いでいるぞ。卑怯だよな」
自信満々に宣言するポインだった。だが、もう既に何回も通ってカイライはそのことを見抜いており、俺もカイライに教えてもらっている。俺はポインが可哀想なので、もう既に知っていたよ、と教えてやることにした。
「あのだな」
「どうやら驚いている様だな」
「いや、悪いが知ってたよ。カツアゲパーティーのことだろ」
「カツアゲパーティー?」
ここでカイライが話に入ってくる。
「それは俺が勝手に付けた名前だ」
「あ、そうなのか」
「カツアゲね、いい名前だ。てか、よく知ってたな。何でそこまで知っててミラを知らないんだ。あの、ガマガエルみたいな奴だよ」
「あー、ガマガエル・・・、あいつか。あいつのことを言ってたのか」
「お、伝わったな。そのあいつだ。可愛いだろ」
「いや、可愛くはないけど」
「カツアゲパーティーのリーダー的存在、多分そいつと戦うことになると思うぞ」
「それは、えー、オポネントになるってことか」
「何だ、それ。知らない。知らない言葉を使うな。知らない言葉を使える自分が賢いと思ってんのか」
「いや、ブリッジだろ」
「ブリッジなんて知らない。噂で聞いたってだけだ」
「待て、そういえばお前らは誰なんだ。何で俺達のことを色々と知っている」
「無駄話は嫌いだ。帰るぞ」
「あ、うん」
ポインが立ち上がって出口に向かった。それに続いてもう一人も俺やカイライに会釈して店を出る。突然帰るのだな。結局、正体不明のままか。
・・・人数が減ると少し寂しい気持ちになる、あいつらは他人なのに。
「予定通りだ、いいな」
カイライが口を開いた。
「あ、ああ。誰なんだろうな、あいつら」
「エル会と敵対してるギャングとかじゃねえのか」
「ギャングか。ギャングにしてはいい奴だったな、色々教えてくれたし」
「いい奴な訳ないだろ。あいつら、俺達でイーヤロを誘き寄せるっつってんだぞ」
「でも、いざってときのために護衛するとも言ってただろ」
「護衛って言えば聞こえはいいが、恐らく奴らはエル会に情報を流して意図的にイーヤロを俺達に襲わせる。そこを押さえるってことだろ。それって護衛なのか。そもそも護衛するだけの力があるのかも疑わしい」
「・・・確かに。じゃあ、危険か。危険なら、大事を取ってやめるのか」
「いや、やめない。予定通りだ」
「いいのか」
「ああ」
「連中がしくじったらやっべぇぞ」
「ああ」
カイライは窓から外を眺めた。俺も釣られて外を見る。車や人が横切っていた。
焦っている訳ではないよな、カイライ。一刻でも早く大金が欲しいという感じがある。焦って致命的なミスでもしでかさなければいいのだが。
(終)