4-3.ハイリスク・クラップス
考え過ぎだよな。まさか、こいつがあの噂に聞く傷の男の訳がない。顔に傷がある奴は沢山居る。沢山居るっけ?まあ、兎に角、こいつはあの傷の男ではない顔に傷のあるただの傷の男なのだろう。あの傷の男が俺の前に現れる訳がない。
俺は精算を終え、次の番の客に六個の賽を差し出した。その客が二個を選ぶと、残りを回収する。客が賽を振った。俺は振られた賽を卓の中央に寄せ、客全員から見易くする。目は、えー、10か。
「10です」
今回は精算はない。俺は木標をプレイス枠の10の所に置き、賽子を拾った。決投だ。手の上でテキトーに転がし、普通の賽であることを示す。よし、振るか。
「3です」
今回も精算はない。振り直しをする。
「4です」
また今回も精算はない。振り直し。
「4です」
またまた精算はなし。早く6か7か8か出てくれよ。・・・ああ、くそ。
「10です」
喜ぶ客達。俺は卓の下から紙幣を取り出し、精算を始める。負けても構わないのだが、問題は傷の男だ。先程から普通にプレーしているが、あの傷の男なのかな。もしそうなら厄介なのだが。多分、違うとは思うけど。
「お前、間違えてるぞ」
「え」
「それはパス賭け分だろ。オッズの方じゃねえ」
「あ」
考え事をしていたせいで隣の兄弟に注意された。落ち着け、俺。ただ客の顔に傷があるだけだろ。
精算を終え、賽を客に返した。客が再び賽を振る。
「12です」
俺は賽を中央に寄せ、卓の下から紙幣を取り出した。ただ卓から紙幣を拾うだけの精算なのだが、精算のときは紙幣を持っていることが当たり前、という印象を客に与えるために取り出す必要があるのだ。
俺は次の起投役の客に六個の賽を差し出し、四個戻した。客が賽を振る。
この様にしてゲームは問題なく進行していった。傷の男も勝ったり負けたりで怪しい動きはない。しかし、数十分後、俺が摺り替えで不当に勝とうとしたときだった。俺が傷の男をもっと警戒していれば避けれたことなのに、俺の考えが甘かった。
「9です」
傷の男の振り、その一つは3、もう一つは6。俺はそれらを卓の中央に寄せる。今回、客達の張りがかなりデカいな。そろそろやるか。
俺は精算を始めた。そして、ここ、いきなりだがここが肝、精算のために卓の下から紙幣を持ってくるここ、このスピードが肝だ。
俺は卓の下の二つ上下賽の位置を確認し、左手の手の平を天井に向けながら上下賽を人差し指と中指の間で挟んだ。それを紙幣でカバーし、卓の上へ。よし、もたつくことなくできた。
客から見れば俺はいつも通りに紙幣を持っているだけだが、実はその下に上下賽が隠されている。俺は兄弟と精算をしながら左手を卓の上の通常賽の客側に持っていき、上下賽をリリース、そして通常賽を薬指と小指の間でキャッチした。
キャッチの際、指の根本で掴まないと二つの賽のうちの指先側の方が落ちてしまうので注意。リリースした上下賽は、指にくっ付いていたり着地して衝撃を受けていたりして、二つが離れてしまうが、まだ紙幣でカバーされて客から見えてないので、右手で紙幣を取る際に右手の指先でゆっくり位置を直せばいい。
薬指と小指で挟んだ賽は精算の間ずっと保持しておき、終わったら卓の下へ。これで摺り替え完了だ。
この上下賽は一つが、1の目の反対側も1、2の目の反対側も2、3の目の反対側も3の1、2、3しかない小上下賽で、もう一つが4、5、6しかない大上下賽だ。
客の中には紙幣で賽をカバーしたことを疑う者も居るだろう。その疑いを今から払拭する。小と大のセットだからこそ払拭できるのだ。
俺は右手で小上下賽を、左手で大上下賽を持った。右手で1、2、3を示し、左手で6、5、4を示す。その後、賽を片手で二個同時に百八十度水平回転する。すると、右手側に大、左手側に小が来るのだ。そうなることによって更に右手で4、5、6、左手で3、2、1を示せる。
つまり、客からしたら右手で1、2、3、4、5、6と、左手で6、5、4、3、2、1と見せられたので、左右の賽にはそれぞれ1の目から6の目まで全て揃っているという当たり前を見せ付けられることになるのだ。しかし、実際は上下賽で目など揃っていない。摺り替えられた賽を堂々と示されても、それが摺り替えられた物だと気付けないのだ。
これで客は俺の賽を疑わない。俺は安心して振れる。この賽の目は最低4最高9だ。今回のポイントナンバーは9だから、客が勝つ可能性もある。もちろん、勝ってくれて構わない。今回勝たれても俺には幾らでもチャンスはある。しかし、実際には9は出ないだろう。9が出る確率は九分の一だ。ほぼ客は負ける。この卓の上の大金はウチの物だ。
さて、振るか。・・・ん。
俺は手の上で賽を転がすのをやめた。目の前の傷の男が動き出したのだ。
何をしている、この傷の男は。この様な妙な行動を取るということは、こいつ、本当にあの傷の男なのか。くそ、一体何を考えてやがる。
卓の上には二つの封筒、一つは傷の男の近くで、もう一つは俺の目の前に差し出されている。傷の男が腕を引っ込めた。意味の分からない封筒が俺の心を不安にさせる。
・・・初めてだ、こういった事態は。俺はどうするべきか。無視か。無視が一番いいのか。いや、無視したら取り返しのつかないことになる様な気がする。受け取るしかないか。中身が何か気になるし。
俺は左右の兄弟と顔を見合わせた。何も言わない兄弟達。これは受け取れということなのかな。いいのだな、受け取るぞ。
上下賽を卓に置いて差し出された封筒を親指と人差し指で摘んだ。そして、期待と不安に満ちた感情で封筒を開ける。カードが二枚入っているな。俺はそのうちの一枚を出し、そこに書かれていることを読んだ。
『1・青天井にすること
2・決投は客に振らすこと
3・数字の大きい賽を客に渡すこと』
俺は困惑した。どういう意味だ、これ。三つ、何かの条件の様だが、この三条件が、何なのだろう。
隣の兄弟が俺の持つカードを奪って読み出した。兄弟も困惑している様だ。
それではもう一枚の方も見てみるか。それを見たら分かるのかもしれない。
俺は封筒からもう一枚を出した。そして、そこに書かれていることを見て愕然とする。傷の男、こいつ、ふざけやがって。死にてえのかよ、ボケが。
『数字の小さいさいころ 121
323
数字の大きいさいころ 454
656 』
この数字の並びは賽の展開図だ。しかも、上下賽の展開図だ。くそ、傷の男、こいつ、本物か。バレていたのか。なぜバレた。どこで、くそ。
畜生、バレるとは。今までこれで荒稼ぎしてきたのに。どれ程沢山の客が居てもバレない完璧な不正だったのに。今日だってこの沢山の客から確実に大儲けする筈だったのに。
くそ、見抜きやがって。傷の男、予想以上の男の様だ。さすがだ、その実力は本物。しかし、このカードは何だ。何の意味があるのだ。脅しのつもりか。お前にバレたから何だ。他の客にチクって回るのか。その様なことをしても誰も信じない。証拠はどこにある。何もないだろう、ここにある賽以外は。
もしかしてこの賽を奪うつもりなのか。どうやって。ここはエル会の賭場、俺たちのホーム、何か起きても直ぐに対処できる。この賽だってバケツリレーの要領でバックヤードに一瞬で処分できる。それを阻止するとしたら、ここに居る従業員に掴み掛かって奪うしかない。できるのか、傷の男に。無理に決まってるだろう。
俺は余裕の表情でカードから顔を上げた。どうせ傷の男は何もできない。そして、俺はある変化に気付く。いつから居た、こいつ。全く気付かなかったぞ。音も立てずに忍び寄ったのか。こいつ、こいつが傷の男の切り札か。
傷の男の後ろに女が立っている。先程までは居なかった、急に現れた女だ。禍々しいオーラを発している。誰だ、こいつ。顔中傷まみれで杖を持っていて所々怪我している。まるでニーボリさんだ。只者ではない臭いがプンプンするぞ。
女は一言も声を発さず、ピクリとも動かない。サングラスをしているため表情も読めない。気色の悪い女だ。女だよな。男ではないよな。
(続)