3-9.やるだけだ
長針が『2』を指した。では、あと五分くらいで行くか。四十分前に着けば食べ終わる頃に八時前になるから丁度いい。もう少し待とう。
「俺、調査結果まだ聞いてねえんだけど」
俺の隣でタバコを吹かすジョーが言った。できるだけ情報は誰にも与えたくないが、勝負直前だし、教えてやってもいいか。
「他のデザインは使われなかったが、紫と緑が使われた」
「マジかよ。最悪だな」
「・・・」
「マークは予想通りだったんだよな」
「ああ、客が♠︎で店側が♣︎だ」
「勝敗は」
「店側の二連敗だ」
「店側ってイーヤロのことだろ」
「いや、違う。多分イーヤロの手下だ。イーヤロ本人は時間があるときかデカい勝負のときしか来ないんだろ」
「へー。あ、そうだ、額はどうすんだ」
「三百」
「え、三、三か。大金賭けるのは危険だって話になったんじゃなかったのか」
「気が変わった」
「何でだよ。せめて百、百でいいじゃねえか」
「兎に角一千万を倍にする」
「待てよ、焦ってんのか、カイライ。落ち着け。急いでもロクなことねえぞ」
「・・・」
「チャンスはまだあるんだ。安全に百、いや、五十の方がいいんじゃねえか」
「次にいい博打が見付かるとも限らない。チャンスは今日だけかもしれないぞ」
「・・・そうか、分かったよ。お前が決めることだ」
「手筈は頭に入ってるか」
「もちろん。協力者の鞄に突っ込みゃいいんだろ」
「こそこそしなくていい。堂々とな」
「練習したから大丈夫だ」
「時間だ。行くぞ」
「もう時間か」
ジョーがタバコを捨て、踏み潰した。俺達はイーヤロの店に向かう。今日の俺の仕事はかなりハードだ。結構な無茶をする。でも、やるしかないのだ。やらないと六色の壁は突破できない。もし六色以外が使われたら、そのときは完全に俺の負けだ。
「二名様ですか」
賑やかな店内に入店した。前に来たときよりも混んでいる感じだ。店員に席を案内される。席に着くと直ぐに注文をして店員を退かせた。
俺は店内を見回してみた。どの客の顔を見ても至って普通、全員堅気にしか思えない。奴はこの中に居るのか。それとも後から来るのか。くそ、ギャングなど信用して本当によかったのか。来てくれるよな、奴は。絶対に来いよ。ジョーが言うには信じるしかないとのことだったが、来るにしても俺の勝負の直後でないと意味がないのだ。そこら辺もしっかり伝わっているのだろうか。いや、信じて待とう。これも避けれないリスク、一千万を得るためのリスクだ。
十分程して鍋が配膳され、それと同時に店の中央の卓で神経衰弱が始まった。取り仕切っているのはイーヤロではない。今日は居ない日の様だ。それは都合がいい。あの取り仕切っている若い奴は勝負前のチェックが軽いらしいからな。好都合だ。
俺達は大分ゆっくり食事を進めたが、それでも十五分もすれば食べ終えてしまう。勝負の八時まで十分程、何もすることがない。
七時五十五分、店員が食器を下げに来た。その店員が戻って来ると、勝負の準備ができたから地下に来いとのことだった。約束の八時には少し早い。奴は来ているのか。来てないのではないか。しかし、ここで粘るのも不自然だ。俺達は鞄を席に残して地下に向かった。
コルクボード脇の通路から階段を下りる。俺はこれから地下の部屋に入った瞬間に二つの大きな壁を突破しなければならない。一つは六色の壁、一つは不審物持ち込みの壁だ。これらを突破しない限り、勝ちはない。
「やあやあ、どうも。お待ちしてましたよ」
イーヤロだ。居たのかよ。なぜ先程の神経衰弱は若い奴にやらせた。まあ、いい。どうでもいいことだ。相手が誰だろうと俺のやることに変わりはない。
それより重要なのはイーヤロが持つトランプの色、青だ。よし、青、問題ない。青ならいける。
「ちょっと、ボディチェックしますよ。おい、やらせてもらえ」
部屋の入り口に立つ明らかに飲食店の店員ではない雰囲気の男が俺の前でしゃがみ、俺の足首を掴んだ。急に始まったボディチェックだが、俺は慌てずに手を後ろポケットに回し、左手でトランプの束と長財布を、右手で小さく折った大判のハンカチを掴んだ。長財布は重力に従い自然と開く。ハンカチも自然と一折り分開く。この開いた長財布と左手の指と甲で六十枚のトランプの束は完全にカバーされていて、最後までこの存在に気付かれてはいけない。
男が俺のズボンのポケットを外から叩いた。そのまま手は上がっていき、俺の捲った袖を調べ始める。袖が調べられると、俺は男にハンカチを差し出した。男は当然の様に受け取り、調べる。俺は調べ終えたハンカチを受け取って長財布の上に重ね、ハンカチとトランプに挟まれた長財布を引き抜いた。それを男に渡し、男が調べている間にトランプをハンカチに包んで後ろポケットに仕舞う。
この間、他の者の視線はジョーに集めてもらった。ジョーは不自然に俺から離れ、挙動不審に歩いている。明らかに怪しい。これは敵からすると目を離せないだろう。逆に怪し過ぎかもしれない。
俺のボディチェックが終わった。六十枚ものトランプを隠すのはハードな仕事だったが無事にパスできた様だ。今度はジョーがボディチェックを受ける。
「このギプスはどうなってる」
「どうって固まってるに決まってんだろ。何だ、調べたいから壊せっつーのか」
「・・・ゲーム中は卓に近付くな」
「変なことはしねえよ」
一悶着あったがジョーもパスした。俺はモルヒロの対面に座る。その際、さりげなくポケットからハンカチを出して足の間に挟んだ。もちろん、トランプの束も一緒に。
「えー、賭け金なんですが、取り敢えず三百で、だけど当日用意できるのはそれ以下かもしれないとお聞きしたのですが、結局幾らなんですかね」
「三百用意できた」
「おお、素晴らしい」
俺はイーヤロから顔を逸らさずトランプの準備をする。上から、赤、青、緑、黄色、オレンジ、紫、の順だ。つまり、上十枚を下に回せば、青が一番上に来る。
「こちらも三百万ご用意してますよ。ただですね、数万なら商品券にできるんですけど、三百万はさすがに額が大き過ぎまして。だから現金になっちゃうんですね。すいません、このことは税務署には黙っててもらえますか。連中は蜂みたいににびーびーうるさいんでね」
青の十枚以外をハンカチに戻し、青の十枚を左手の中指の腹と手の平で水平に保持した。ジョーが三百万と参加費十五万の入ったポーチを卓に置く。
「では、このトランプをお調べください。私はお金を調べます。別にこれお客さんを疑ってる訳じゃありませんからね。一応、ね。あ、十五万は頂きます」
俺は右手で卓の二十枚のトランプを上から掴み、自分の方に滑らした。トランプが卓の縁に達すると、左手の俺が用意したトランプと合流させ、体の前で垂直にした。計三十枚のトランプは分厚い。トランプの縁はできるだけ手で隠す。
今、手前の十枚が俺の用意した♣︎だ。そして、確認すると、奥の十枚がイーヤロの♣︎だった。奥からA、2、・・・9、Tなので、Tだけを少し下にずらし、三十枚をぴったり重ねる。
その三十枚を再び左手の中指の腹と手の平で挟んで水平にすると、出っ張っているTを下に押す。上二十枚と下十枚が分離するので、上二十枚を右手で上から掴んだ。
右手は前へ、左手は下へ、そして、右手の二十枚をひっくり返しながら卓に広げ、左肘を卓に突き、左手が卓の下でも違和感のない体勢を取った。
右手で何枚かひっくり返したり裏をじっと見たりと調べている振りをして、もういいや、と体を退け反らせる。左手のトランプをハンカチに入れ、摺り替え終了だ。
イーヤロは複数人掛かりで俺の金を調べている。今がチャンス。
「これ、鞄の中に仕舞ってきてくれ」
「ん、ああ」
俺はジョーに長財布を渡した。そのままジョーはイーヤロに咎められることなく部屋を出ることに成功する。これで証拠隠滅だ。あの長財布は不恰好に膨らんでいたが、イーヤロ達は金に集中していて気付かなかった様だな、もう必要のないトランプが挟まっていたことに。
「オッケーですね、問題ないです。そっちはどうですか」
イーヤロが金を元に戻して言った。
「問題ない」
俺はトランプを重ねてイーヤロに渡す。
「じゃあ、やりましょうか」
階段の方から足音が聞こえた。ジョーが戻、いや、ジョーではない。一人ではなく二人、いや、三人くらいの足音だ。
階段を下りる音が聞こえなくなると、部屋に三人の男が入って来た。三人とも長い髭を貯えてサングラスを掛け、全く同じスーツを着ている。何だ、こいつらは。妙に厳つい奴ら。俺を脅しているのか。それとも勝負終わりに俺が金を持って逃げるのを防止しているのか。わざわざこいつらを用意する程のことでもないだろ。
「すいませんね。こいつらは見学です。お気になさらず」
イーヤロは不気味な笑みを浮かべている。勝つ気なのだ。完全にそう思い込んでいる。しかし、残念ながら俺はイーヤロの理屈を見破っている。どうやっているかは分からないが、こいつは一番下のトランプをバレない様に一番上に持って来ているだけ。ただそれだけだ。それを打ち破る方法はもう既に思い付いている。
(終)