3-5.クーポンを進呈
鍋を見下ろす写真が幾つか載っている。赤辛味噌、豆腐チゲ、完熟トマト、スタミナ、全て赤いスープの鍋だ。俺の感覚では赤いスープの鍋は珍しいのだが、この店では全てのメニューが赤い。それもその筈、この店の名前は『紅ニ染ミ込ム屋』、赤に拘っているのだろう。
「ご注文伺います」
あれ、店員が来た。カイライが呼んだのか。こいつ、勝手に呼ぶタイプか。
「赤辛味噌」
「赤辛味噌。ご飯はお付けしますか」
「・・・大で」
「大で。トッピングは如何ですか」
「ニラ」
「ニラですね」
「二つ」
「あ、ニラ二つ。これは赤辛味噌にニラを二つ分お入れすればいいんですよね」
「ああ」
俺はカイライが注文する間に自分の注文を決めた。トマトにしてみよう。食べたことがない。
「俺はトマトで、ご飯は大」
「トマトでご飯大」
ルーレットで儲かったからトッピングは豪勢にするか。
「鶏モモと豚バラ」
「鶏モモと豚バラ」
「二つずつ」
「あ、二つ」
店員が確認のために今の注文を繰り返した。問題なかったので俺が返事をすると、店員は突然今回の俺達の目的を殆ど達成してくれる発言をした。
「七時半からゲームがあるんですけど参加なされますか」
「え、ゲーム?」
俺はカイライを見た。カイライはメニューに顔を向けていて、店員と話す気零だ。俺が色々と聞けということだな。
「何なんだ、ゲームって」
「今回のお会計から使えるクーポン券が貰えるゲームです。いつも沢山のお客様に参加して頂いております」
「何をやるんだ」
「神経衰弱です」
「あ、やっぱり神経衰弱なのか」
俺は言った瞬間にはっとした。今の発言、俺達は初めてこの店に来たのだから不自然だったか。俺はカイライの方をちらっと見たが、カイライの様子は変わらない。店員も何とも思ってない色だ。
「どうなさいます」
「えー、どうしよう」
店内を見回すと、会社帰りのサラリーマンも見受けられるが、殆どが家族連れだ。神経衰弱はガキでもできるゲームだから、俺はガキどもと一緒に遊ぶことになるのか。恥ずかしいな。
俺が返事に迷っていると、店の奥からにこやかなおっさんがやって来て店員の肩を押した。店員は俺達の担当を外れ、そのおっさんが俺達の相手をする。
「やあやあ、どうも。もしかしてゲームのことですか」
「え、ああ」
面倒臭そうなおっさんだ。この一ラリーでおっさんが圧の強い口ペラペラ系だということが分かった。何だ、このおっさん。
「私はゲームの進行をしますイーヤロです。どうぞ宜しく」
イーヤロと名乗るおっさんが俺に手を差し出す。俺がギプスを見ると、イーヤロは、ああ、できないんですね、と言ってギプスをタップし、今度はカイライに手を差し出す。しかし、カイライは容赦なくガン無視するので、イーヤロは手を引っ込めた。このおっさん、握手二連敗だ。というか、俺のギプスに触んなよ。
「大怪我ですね。でも、片腕さえ使えれば誰でも神経衰弱はできますよ。あ、トランプにアレルギーがある人には無理ですね。冗談ですよ。ゲームに参加して頂けますよね。ルールは分かりますか」
「え、まあ、分かるけど」
「なら五百両玉のご用意だけお願いしますよ。なければレジで両替致しますからね」
「あ、金掛かるのか」
「たったの五百両ですよ。お昼ご飯を我慢すれば直ぐに取り戻せる額だ。全然大したことないでしょう。運が悪くない限りお客さんの方が得をしますから大丈夫ですよ」
「得って何だ」
「これからやる神経衰弱では、お客さんがペアを作る度にそのお客さんに五百両分のクーポンを進呈致します。大盤振る舞いでしょう」
「ああ、クーポン」
「しかも、そのクーポン、なんと今日から使えるんですよ。他のセコい店みたいに次回からとかじゃありませんから。私達は絶対にお客様ファースト、最高のサービスだと思いませんか。そうですよね」
声のデカいおっさんだな。サービスがいいと客に無理矢理言わせるのか。とんでもないな。
「じゃ、ここに札を置いときますね。時間になったら呼びますのでこの札を持って来て下さい。お客さんの札は青です」
イーヤロは勝手に青い札をテーブルに置いて別のテーブルに行った。何だ、あいつ。俺はやるなど一言も発してないのに。
「五百両玉はあるのか」
カイライが言った。カイライは既にメニューを片付けている。
「やった方がいいのか」
「ああ」
「お前がやればいいだろ」
「・・・」
カイライは沈黙で俺の提案を突っ撥ねた。それから鍋が来るまで、そして、鍋が来ても沈黙を貫く。全然喋らねえな、こいつ。
鍋は美味かった。甘いのかなと思っていたが実際は辛く、とはいえ嫌な辛さではない。トマトの酸味を感じるさっぱりとした辛さだった。ただ、これを食うくらいならチゲ鍋を食うかな、俺は。片腕だけでは食べ辛いな。
「はーい、皆さん、注目。七時半になりました。札を持ってこちらにどうぞ」
イーヤロが店の中央のテーブルで客達に手を振っている。テーブルの上にはトランプが置かれていた。俺は頬張っている鶏肉を急いで噛み砕き、青い札と五百両を持ってイーヤロの許へ向かった。
「札はこの中に入れて下さいね」
イーヤロは抽選箱の様な口の開いた箱を持っている。俺含めた八人がその中に札を入れるが、そのうち半分はガキで親同伴だ。俺がガキの中に一人だけ大人という事態は免れたな。よくよく考えると金賭けたゲームって博打だからな。親がガキ一人でやらせる訳ないか。
「では、順番を決めますよ。早い番の方が情報が少ないから不利です。でもご安心下さい。一番は私が務めます。ただ二番以降はお客様のどなたかになってしまいますが、二番になっても私にパンチしないで下さいね。じゃあ、札を引きますよ。どれにしようか、これだ。あ、オレンジです。お客様ですね。二番をお願いしますよ」
イーヤロがオレンジの札を置き、次の札を引いた。この様にして次々と決めていき、俺の青は最後だった。ラッキー。
「それでは二番のお客様から順番に座っていって下さい」
俺達はテーブルを囲う様に座り、隣がいい感じに空いていた場合はその客の連れが座った。座れなかった連れは立ち見だ。何だ、連れが居てもいいのか。なら、記憶勝負だし、カイライを・・・、呼んでも来ないか。
「同じ色の数字のペアが三十五組で合計七十枚あります。同一カードがありますが、兎に角、色と数字が合えばペアです。混ぜたい人居ます?」
俺は混ぜたかったが骨折しているので控えた。他の何人かの客が混ぜ、テーブルの上に七行十列に並べる。綺麗に並べるヤツか、たまにぐちゃぐちゃにすることもあるけど。
「じゃあ、私から始めますよ。ここと、ここだ。あ、赤の3でペアです。いきなりだ。超幸先いい。では、私がペアを作ったので皆さん、五百両頂きますよ。はい、どうも。まだこれからですからね。がっかりしないで下さいよ。あ、そうだ、ペアを作っても番は次の人に移ります。一人がガンガンペアを作っていったら他の人のチャンスもガンガンなくなりますからね。じゃあ次、やって下さい」
俺はいきなりイーヤロに五百両取られた。何もしてないのに取られるというのは、こう、納得いかない。まあ、仕方ないか。
「あー、残念。ペアじゃない。これらは完全にバラバラですね。皆さん覚えましたか。戻しますよ」
あ、そうか、覚えていかないと。
「はーい、戻します」
あー、片方しか覚えれなかった。
「次いきましょう。はい、どうぞ、一枚目、初見ですね。二枚目どうぞ。あ、見たことありますよ、これ。次の方が大チャンスだな」
俺は必死に覚えた。しかし、テンポが速くて覚え切れない。七十枚もあるからどんどん進みやがる。どれがどれだっけ。
俺の番になる。覚えたトランプにペアはない。テキトーなトランプを捲った。
「おーっと、これは、来ましたね」
赤のKだ。もう一枚、覚えてるぞ。間違いない、ここだ。
「素晴らしい」
「よっしゃ」
俺は赤のKのペアを獲得した。子供騙しのお遊びだがちょっと嬉しいな。
「こちらどうぞ今日から使えるクーポン券です」
イーヤロが拍手する。そうか、クーポン券が貰えるのだった。イーヤロに五百両取られたからどっこいどっこいだな。俺はクーポン券をポケットに突っ込んだ。
「さあ、私の番ですね」
ゲームは何の問題もなく進んでいった。イーヤロがペアを作ったり、客が作ったり、長丁場にならずに最終局面を迎える。
「最後は確実にペアですからね。はい、そことそこで、クーポン進呈です。終わりましたね。ご参加ありがとうございます。クーポンはお会計の際にご提示ください。勝ちましたねー、お客さん。またのご参加お待ちしております」
客達が元のテーブルへと戻っていく。イーヤロはトランプを回収した。素早く集めて奥へと消えていく。俺はカイライの許へ戻った。
(続)