2-7.簡易バカラ
「それじゃあ、タマホクさん」
「ん、もう帰るのか」
「ああ、明日早いんだ。悪いな、それじゃ」
その客は立ち上がり、メーガの許で両替をすると部屋から出て行った。これで卓に残った客の中で俺の顔見知りは一人だけになってしまった。
俺はトランプを広げ、印を見てカットする。これで上から赤、黒になった。上が赤。後で手許を見なくて済む様にちゃんと覚えておこう。上が赤。
次の客が茶碗と十両玉を取った。俺に始めていいか聞いてから十両玉を回転させる。
妙な感じがするな。今居る六人の客のうち五人が一見などという状況はかなり久し振りだ。顔見知りではないだけで普通に会話のできる普通の客の様に見えるが、俺はカイライに狙われているかもしれないと知ってからは気が抜けない。
「くそ、イッチか」
「またかよ、畜生」
この知らない客達は三人グループと二人グループの客だ。五人とも少額しか賭けないが、五人とも十万両以上両替している。大量のチップを抱えているのにチビチビとしか出さない。これも妙に感じる。
俺は精算をし、サイコロの3の目を天井に向けた。テキトーに客達の言葉に相槌を打って思考を続ける。
この客達はカイライの手先なのだろうか。メーガとタッグを組んでこれから何かをしてくるのか。どうなのだろう。分からない。逆にこちらから何かを仕掛けて反応を見るか。
次の客が十両玉を回転さそうとした。俺はそれを制し、メーガの方を向く。
「メーガ、悪いが俺の水を取って来てくれ」
俺はメーガに退室を要求してみた。メーガの反応はいつも通りで、やれやれといった態度を露骨に示して部屋を出る。五人の客の様子も見てみたが無関心といった感じだ。おかしなところは見受けられない。
「始めてくれ」
この言葉を契機に客が十両玉を回転させ、茶碗を被せた。客達が予想を始めるが、気になる点はない。この客達は本当にただの客なのか。
俺は取り敢えずいつも通りに進めることにした。客達と喋りながら聴覚を鋭くし、茶碗の中の音に神経を傾ける。
リリリリリリリリリリリリ
裏だ。一番上のトランプが赤なので普通に配るとソーイになる。今回はソーイに賭けている客が多いのでイッチにするか。俺は音が止まる前にセカンドディールで黒を配った。
客が茶碗を開け、トランプを捲る。もちろん、その結果はイッチだ。
「またかよ」
「はあ、マジか」
俺は賽子の2の目の上にして卓に置いたのだが、それと同じタイミングで水が置かれた。メーガが戻って来たのだ。メーガは何も言わず、定位置に座る。
メーガの居ないゲームに異変はなかった。ならば、そうだ、ドラゴンになったらどうなる。何か仕掛けるとしたら大勝ちの可能性のあるドラゴンのときだ。ドラゴンにしてみてどうなるか確かめよう。
俺は左手に持ったトランプの上半分を右手の親指と中指で挟んで持ち上げ、その上半分の一番上のトランプを左手の親指に当てながら、右にスライドして抜いた。すると、一番上のトランプが下半分の上に残る。右手のトランプを元に戻せば、一番上の一枚だけが中程に移動した形となる。これで今トランプの一番上が赤で二枚目が黒だ。
次の客はもう既に十両玉を回転させ、茶碗を被せていた。耳を澄ませると中の音がよく聞こえる。
リリリリリリ、リリリリリリ
表か。普通に配ろう。
客が茶碗を開けてトランプを捲ると、当然イッチであり、賽子のドラゴンが露わになる。
俺はトランプを確認した。もちろん一番上は黒だが、二番目は赤だった。好都合だ。カットしなくて済む。
さて、ここだ。これからどうなる。何か起きるのか。いいぞ、何でも来い。
・・・。
部屋の外が騒がしい。しかし、それは元からそうだ。なぜ今、改めてそのことを認識したかというと、この部屋の中が急に静かになったからだ。つい先程まで楽しそうに話していた俺の知らない客達が突然黙った。
その静けさの中で動いたのは次の客だった。十両玉を滑らせて自分の前に置き、左手を卓の縁に当てた後、右手で茶碗を取って十両玉に被せ、茶碗ごと左手の方へ引く。すると、俺からは見えないが、茶碗の中で十両玉が左手に落ちる筈だ。しかし、俺から見えないのはよくない。注意しよう、としたそのときだった。
「やんのか」
メーガの声だ。俺は反射的にメーガの方に首を振る。そのメーガの前には男が立っていた。カイライだ。カイライ、来やがったか。万札をかなり手に持っているな。いや、今はいい。それより十両玉だ。
俺は客の方に向き直った。俺が見たのは客が卓の上の茶碗に十両玉を乗せる瞬間だった。えーっと、この客は茶碗で隠しながら十両玉を手に取って茶碗の上に置いたということか。本当にそれだけなのかな。何かやったのではないか。
両替を終えたカイライが空席に向かった、俺はまだ参加の許可を出してないのだが。カイライは席に向かう途中、他の客達の後ろでしゃがむ。俺はカイライが何しをているのか確かめるために覗き込んでみると、カイライは靴紐を結んでいる様だった。何で靴紐?
カイライが席に着いた。籠の中のチップの枚数を数えている。
「メーガ、一枚多い」
「え、マジで」
カイライが一枚のチップをメーガに渡しに行った。そして、戻って来る。落ち着いている奴だ。本当にこれから俺を嵌める気か。
俺は、どうしよう、カイライを追い出してもいいが席に着かれた以上追い出し難いな。しかし、そう簡単に認めたくもない。少し反応を見てみよう。
「メーガ、暫く外してくれ」
「え、何で」
俺は何も返事をしなかった。メーガは溜め息を吐いて部屋を出る。このメーガの反応に違和感はない。では、カイライはどうだ。
「・・・」
カイライは卓の上のトランプに集中している。メーガが居なくなっていることにすら気付いていないのかもしれない。それくらい卓の上に熱視線を送っているのだ。
どういうことだ。メーガは関係ないのか。それとも仕掛けなどはないのか。メーガ以外に怪しいのは何も・・・。
「始めていいのか」
「え、ああ」
客が十両玉を指差して言った。
十両玉?
さっき、十両玉が隠れて、あ、もしかして、そうか、摺り替えられたか、十両玉が。
分かったぞ。この客、やはりカイライの仲間だ。摺り替えたのだな、茶碗と卓の縁を使って。摺り替え、俺の十両玉と何を摺り替えた。あ、この十両玉か。何だ、この十両玉は。
・・・そうか、表に切れ込みが入っているのか。俺の十両玉は全て裏の縁に少し見ただけでは分からない程小さな切れ込みが入っている。その切れ込みのせいで音が一瞬途切れるのだ。途切れるかどうかで表裏を判定する。この摺り替え後の十両玉は切れ込みがきっと表にあるに違いない。
となると、あのとき、やはりメーガは十両玉を盗んでいたのだ。それでカイライは俺の十両玉を研究し、表に切れ込みのある十両玉を開発したという訳か。手の込んだことをするものだ。
摺り替えなら対処は簡単だ。この男をボディチェックすればいい。それで俺の十両玉が出てくれば罰符を払わせ、今日は解散。この客とカイライが繋がっている証拠はないが念のため今後一切カイライは出禁だ。それでいい。
さて、やるか。今回は靴もしっかりチェックしないといけないな。パンツの中まで調べてやる。
俺は両手を卓に突いて立ち上がろうとした、が、急遽その行動をキャンセルした。ある可能性に気付いたのだ。ボディチェックしても何も見付からない可能性。チェックしても意味がないかもしれない。
先程カイライはしゃがんでいたが、メーガも十両玉を盗む際にしゃがんでいた。そのときにメーガがしたことと似た様なことをカイライもしたのではないか。何かを拾ったとか、例えば、十両玉を。俺の十両玉は摺り替えの際に床に落とされて、それをカイライが回収したのではないか。
なら、俺の十両玉はカイライが持っているのか。いや、その様なことするか、普通。俺だったら持ちたくない。持つくらいならどこかに蹴り飛ばして処理する。あ、そうか、処理すればいいのか。
そこで俺は頭を抱えそうになった(抱えたら俺の心理がバレので実際に抱えることはないが)。処理って、処理したのは、この俺だ。俺が処理させてしまったのだ。何て馬鹿なことを。なぜ俺はあのとき何も考えなかった。
カイライは一枚のチップをメーガに渡していたが、そのチップは十両玉と重ねられていて、つまり、メーガに十両玉が渡ったのだ。そのメーガは部屋の外に居る、俺の指示で。くそ、外ならどこにでも十両玉が隠せるじゃねえかよ。
ここまでの俺の考えは想像でしかないが、当たっている様な気がしてならない。俺の十両玉は完璧に摺り替えられてしまったに違いないぞ。どうする、中止にするか。中止にすれば何も起きずに済む。
「・・・あ」
俺は声を幽かに漏らした。閃いたのだ。これ、いけるぞ。何も問題はない。
(続)