2-4.ドラゴン
「よし、皆、賭けて」
次のゲームが始まっていた。俺はタマホクを不審がりながらもグラスにチップを入れた後、腕を組んで耳を澄ませた。茶碗の中の様子は全く見えないが、音から何か分かるかもしれない。
ぐわんぐわんぐわんぐわぐわぐわぐわ
ぐわぐわわちゃちゃちゃちゃちゃちゃ
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「開けてくれ」
うーん、いや、でも、まあ、何も分からなかった訳ではない。部屋の中も外も話し声でうるさいが、耳を研ぎ澄ませれば意外としっかり音は聞こえるということは分かった。茶碗の中の手掛かりはこの音のみか。
「出たよ、このパターン」
「やっぱりソーイだ」
「うわー、マジかー」
タマホクが賽子の2の目を天井に向けた。俺は負けたが、それより腕組みを維持し考え続ける。茶碗の中の十両玉、タマホクが持つトランプ、賽子、それがタマホク考案のオリジナルゲーム。そして、俺の中で払拭されない違和感。このゲームがタマホクの都合のいい様にデザインされている気がする。
そのとき俺の顔の横から腕がにゅっと生えてきた。俺の注文したビールを持って来た腕だ。考えごとに集中していただけに驚いてしまった。
「よし、俺の番だ。このソーイの流れを止めるからな」
「お前にそんな力ねえだろ」
「いや、いけるね。次こそはイッチだ」
俺の隣の客が十両玉を回転させ、茶碗を被せた。俺は執拗にチップをグラスに入れ続ける。絶対にイッチで勝ってやるからな。
タマホクの配ったトランプが茶碗と卓の間に刺さった。隣の客が茶碗を上げてトランプを捲ると、相も変わらず結果はソーイだ。
「あ、来た、ソーイだ」
「遂にドラゴン」
「やべ、集中しねえと」
タマホクがチップの精算を終えると、賽子に手を伸ばした。目の向きを確認し、卓に置く。その目は1、いや、ドラゴン。1の赤い目をドラゴンの目に利用したイラストだ。ここからは特殊ルールが発動され、イッチかソーイかを予想するのではなく、ドラゴンかドラゴンリセットかを予想することになる(今回の場合はドラゴンがソーイ、ドラゴンリセットがイッチに相当する)。
「さあ、カイライ、初回転だな。でも、ここ、責任重大だぞ」
「カイライさん、指を閉じないでくれ」
「ドラゴンリセット来い」
隣の客が俺の前に十両玉と茶碗を置いた。俺は何の気なしに指先で十両玉をひっくり返すと、縁を卓に当て、回転させた。十両玉は回転しながら真っ直ぐ進み、静止する。そこで俺は茶碗を拾い、上から被せた。このときにふと思い付く、今回はドラゴンに賭けよう、と。
俺はチップをグラスの外に置いた。初めてチップをグラスに入れない選択をした訳だが、これが吉と出るか凶と出るか。
「もう変更はなしだ、いいな」
タマホクが右手を左手のトランプに近付けた。右手の親指が一番上のトランプにコンタクトする寸前、左手の手首から先を、くいっ、と上に振る。そのせいで俺からはトランプの縁しか見えず、右手が一番上のトランプを掴む瞬間を目撃できなかった。・・・つまり、そういうことだ。
一枚のトランプが卓の上を滑り、俺の許へやって来た。俺はそのトランプを穴が空く程見詰める。何か、ないか。
タマホクは両手の間でトランプを広げ、また勝手にそれをカットした。堂々とすれば怪しまれないとでも思っているのか。俺は怪しむぞ。
「早く開けてくれよ」
俺は客に急かされ、茶碗に手を伸ばした。それを取り除くと、その下には表を向いた十両玉がある。他の客が口々に表であることを指摘した。そして、今度はトランプに手を伸ばした。他の客がやっていた様に角を少し捲る。通常なら角を捲れば直ぐにインデックスが目に入ってくる筈だが、俺が捲った角は真っ白だった。
「カイライさん、そっちじゃない。逆の角だ」
・・・。
俺はトランプの角を捲った。そこには黒字で『♣︎8』と書かれている。十両玉が表でトランプが黒、つまり、ドラゴンだ。
「おお、ドラゴンだ」
「マジかよ。何連続でソーイなんだ」
勝ったのは俺と隣の客と端の客だ。三人だけか。俺は勝ったが、ドラゴンで勝っても賭け金の四分の一しか増えないので余り嬉しくはない。十両玉と茶碗を次の客に回す。
「いくぜ」
次の客は早速十両玉を回転させ、茶碗を被せた。客達が次々とチップを出す。グラスにチップを入れているのは一人だけで、それ以外は全員グラスの外にチップを置いている。ドラゴンリセットに賭けているのは一人だけ。
・・・俺はグラスにチップを入れた、それも少額、五百両分のチップを。
「変える奴は居ねえか。確定でいいんだな」
タマホクがトランプを配った。十両玉とトランプが明らかになる。その結果はドラゴンリセットだった。
「ドラゴンリセーット」
「あー、ドラゴンリセット」
卓が今日一の盛り上がりを見せた。タマホクは客と喋りながらチップを精算し、賽子を5の目が天井を向く様に置く。
成る程、勝ったか。二千両儲けたな。だが、トータルで見ればマイナスか。でも、もう十分だ。
俺はグラスを伏せて立ち上がった。俺の疑っている態度がタマホクに伝わったら不味い。そうなる前に退散しよう。しかし、帰ろうとする俺を隣の客が引き止めた。
「ちょっと、帰んの」
「ああ」
「ドラゴンリセット当てといて帰るなんて勿体ないよ」
「調子に乗ってどんどん賭けたときに限って大負けするからな。その前に帰る」
「あ、そう。ビール持って行きな」
俺はチップの入った籠とビールを持ち、メーガの許へ向かった。卓では既に次のゲームが始まっている。メーガは客と喋りながら籠を受け取り、両替をするのだが、よく喋りながらできるな。俺は両替の間にビールを飲み干した。
「ほらよ」
メーガがテーブルに金を放り投げた。俺はそれを拾い、直ぐに異変に気付く。
「おい」
「ん、何だ」
「足りない」
「いや、足りてる。千両少ないってことだろ。手数料と心付けだよ」
「・・・帰りもか」
「帰りっつーか、両替したら」
「心付けは二百両じゃねえのか」
「次回ってのは次来たときって意味だよ」
俺は鼻から短く息を吐くと金を財布に仕舞った。部屋を後にする。空のビールグラスと千両札をカウンターに置いてバーを出た。
外は夜だ。先程の店内の騒がしさが嘘の様に空気が大人しい。駅までの道中、余り人と擦れ違わないことが原因か、先程の勝負について集中して考えることができた。
先ずタマホク、あいつは不正をしている。セカンドディールをしていたのは間違いない。あいつは状況によって一番上か二番目かのどちらかを選んで配っていたのだ。
では、一番上と二番目のトランプは何なのか。それは簡単、黒と赤だ。あのゲームでは数字もマークもどうでもいい、黒か赤だけだ。その証拠にあいつは勝手にトランプをカットしていた。あれは恐らく裏からそのトランプが黒か赤か分かる様な印が付けられていて、それを利用することによって上二枚が黒と赤になる様にカットしたのだ。
しかし、それだけでは意味がない。幾らタマホクがトランプを操作しても、茶碗の中の十両玉にはノータッチだ。タマホクがあのゲームを完全に支配するには十両玉も何とかしないといけない。タマホクが十両玉を操作できないのにトランプだけを操作する筈がないのだ。十両玉にも何かしてるに決まってる。
何をしているのだろうか。十両玉と茶碗は客がほぼずっと持っているので仕掛けを施しているとは思えない。ならば、卓か。あの卓は実は下から見ると透けていて茶碗の中が丸見え、とか。まさかな。
ただ、何をやってるかは分からないが、稼げそうではある。タマホクが支配しているということは、タマホクを相手にすればいいということだ。何が起こるか完全にランダムの十両玉の表裏を予想するより、タマホクの癖を読む方が現実的だ。実際、俺は今日の勝負の最後、ドラゴンリセットを当てた。
しかし、これには問題がある。それはあのゲームの参加者は殆どがタマホクの顔馴染みということである。仮に俺がタマホクの癖を完全に読んだとしても、タマホクは俺に読まれていることを認識し、俺を出禁にするだろう。参加者が常に不特定多数なら俺が勝っていても目立たないのだが。
考えているうちに駅に着いた。改札を抜け、ホームに立つ。他に人が少ないということは電車が行ったばかりなのだろうな。俺はベンチに座り、目を閉じて思考を再開した。
うーん、どうしよう。どうするか。タマホクの手口を特定することとタマホクの癖を特定すること、どちらを優先すべきか。どちらにしても時間が掛かりそうだ。
手口を特定できたら俺もどこかでやろうかな。確実に稼げるギャンブルを開催する、最高ではないか。いや、特定できた後のことを考えても仕様がない。どうやって特定するか、だ。
特定の仕方か。何度も通うしかない。しかし、特定するだけでは駄目だ。タマホクに目を付けられる前に特定し、稼がなければいけない。やり甲斐はあるかもしれないが難儀だぞ。
誰か協力者が居るとしたらどうだ。あの客の中に協力者が居て茶碗の中のことをタマホクに教えている。あ、でも、そうか、結局その協力者はどうして中のことが分かるのかが問題になるのか。駄目だ、協力者が居ても。
・・・あ。電車が来てる。いつの間に来た。早く乗ろう。考えごとに集中し過ぎて電車が来てることに気が付かなかった。
ん、気が付かなかった?
なぜ俺は今気が付かなかったのだろう。逆にどうすれば気が付く。
・・・そうか、そうだよ。その方法があった。それなら何も証拠を残さずに不正ができる。しかし、実際できるのか、それ。慣れれば普通にできるのか。
・・・どうやら、あのゴツい男からまた話を聞かないといけない様だ。
俺は発車ベルが鳴り終わる前に電車に飛び乗った。
(終)