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3-2.あなたのクイズ

 俺はムカついた。こいつ、揶揄ってやがんのか。馬鹿にしているぞ、俺のことを。


 どうして一分の一になることがあろうか。昨日、見えていた面は1の目だけだ。確実に当てることなどできない。


 この男、テキトーに言っているのだ。さっきから弁当食いながら喋りやがって。何回醤油を溢しているのだ。あと食うのが遅い。


 俺は怒ることにした。俺だってギャングなのだ。嘗められて黙っていられるか。


 俺が口を開けたタイミングで、若が、待てよ、と制し、傷の男に話し掛けた。


「なあ、そういえばまだギャラを支払ってもらってなかったよ。でもその前に、ギャラについて言いたいことがある」


 金の話になり、さすがの傷の男も箸を持つ手を止めて若の顔を見た。


「相場ってもんがある。俺は有名人だから高いぞ。お前の提示する三割はあり得ないな。俺もあのとき突然言われたもんだから言い逸れちまってな。三割はないわ。お前が負けていたらタダ働きになる訳だしな」


 傷の男が何かを言おうとしたが若は続けた。恐らく傷の男は、今更何を言う、と言おうとしたのだろう。


「目を当てた方法を教えてくれたら、これ以上文句は言わない。もうあの木枠を使うこともないんだろ?なら教えても問題ないさ」


 傷の男は少し考えた。賭場での傷の男には禍々しいオーラを感じたが、こうして見るとただの捻くれた普通の男だ。傷の男は、まあ、いいか、と呟き、話し出した。


「イカサマをしたのは、あっちが先だ。俺のは正当防衛と同じ。悪意があるのは奴らだけだ」


 は、イカサマ?イカサマをしたのか。


 昨日の傷の男は、ずっと座布団の上に座っていただけ。イカサマをする余地はない。


 あ、でも、そういえば、一回だけ木枠に触ったか。木枠をマキヤの目の前から自分の手許に移すときだ。でも、それ以外は何もしていない。イカサマって何のことだ。


「実物の木枠は賭場に置いてきたから、想像してくれ。あの木枠、というか正確にはストッパーテープに仕掛けをした。あれは実はストッパーではない。何の役割も成さないただの飾りだ」


 目の当て方を教えてくれるのかと思ったのだが、何の説明をしているのだ。


「カッターナイフの刃の平べったい部分を、蓋が閉じられた木枠の内側、蓋がくっ付いている長い側面板に宛てがう。そして横に滑らせ、角に掛かっているストッパーテープの一部分を切断する。そうすると、ストッパーテープが付いているにも関わらず、蓋がパカパカ開いてしまう。次に、蓋と短い側面板が接触する部分に強力な糊を付ける。糊をいい塩梅に乾かせば、蓋を押し付けると閉じて、指で引っ張ると開く様になる」


 もちろん、ストッパーテープに切れ込みが入っていることと実は糊で蓋が閉じられていることは勝負の前に説明しない。そうすることによって、ストッパーテープが木枠に付着しているから蓋が閉じられている、と誰でも信じ込んでしまう。


「で、マキヤが賽子を入れるだろ。普通の人だったら、『右』『左』の文字が書かれている長い側面板を手前にする。マキヤもそうだった。そのお陰で、蓋がくっ付いている長い側面板は俺の方を向いた。で、受け取るときに、両手を使うことによって左右からの視線を遮り、木枠を俺の方に少し傾けることによってマキヤからの視線を遮った。あの一瞬だけ俺は木枠の蓋を一人占めにすることができた。指で蓋を開き、賽子の側面が何の目なのかを確認する。蓋の高さはちゃんと目が確認できる様に調整した」


 賽子の上を向いている面が1か6の場合、側面の目は2、3、4、5のどれか。これからの説明は賭場の賽子を使った説明だ(メーカーによって規格が違うため)。


 蓋を開けて、左側に黒い点があると2であり、右側にあると3である。黒い点が二個あって、マーキングの黒丸があると4、ないと5である。上を向いている面が1と6以外の場合は簡単なので割愛する。


「昨日は、二つとも右側に黒い点が一個あった。つまり、手前の目は3。これで接触している面の目が分かった。注意するのは、蓋を開けるのは一瞬だけということだ。確認したらもう二度と木枠を見ない。相手の顔を凝視し、俺が木枠を触ったことを忘れさせる」


 俺は神妙な面持ちで聞き入った。


 傷の男はその様なことを行っていたのか。始めから仕掛けがされていた。つまり、あそこに居た全員が始めからこの男の手の平で転がされていたのだ。壺振りも、マキヤも、俺も。


 それで・・・、傷の男が、弁当を食べ出して、お茶を飲んだ。あれ、説明、終わった?


 いや、終わっていない。手前の面を覗き見したことは分かったが、肝心な接触している面はどうなった。その説明をしてほしいのだ。手前の面などはどうでもいい。


 若も、あれ、という顔をしている。


 俺は傷の男に催促した。


「おい、説明の続きは」

「続き?」

「接触している面だ。どうやって分かったんだよ」


 傷の男が息を吐いた。ここまで教えたのだからあとは自分で考えろ、とでも言いたげだ。


「賽子の全面の情報は、何面分かれば手に入る」


 傷の男が聞いてきた。


 全面の情報は六面分からないと、いや、向かい合った面の目の合計が7になるルールがあるから、その半分の三面だ。


「三面だろ」

「違う。二面だ」

「二面?」


 1の目が上、3の目が手前にある場合を考える(この時点で4と6の目の位置が合計7のルールより確定する)。


 2の目は3の目の右隣か左隣かのどちらかにある。あの賭場の賽子を確かめてみると、2の目が左隣にあった。一度分かってしまえば、その賽子において位置関係が崩れることはないので、以降も2の目は必ず3の目の左隣と確定する。合計7のルールより、5の目も確定する。


 これより、1の目が上を向いている状態で、手前が3の目と覗き見できたら、全ての面が分かるのだ。


「これを頭の中で考えるのは意外と難しい。だから賽子二つとも同じ目を上にするという縛りを設けた。別々の目を上にされると十何回かに一回はミスる」


 説明を終えた傷の男は、一仕事終えたかの様に姿勢を直し、また弁当を食べ出した。


 俺は付いていくので精一杯だったが、何とか理解できた。確かに一分の一だ。賽子の側面の一部を見れば全ての面が分かるということに初見で気付くのは無理だ。マキヤには見抜けれない。


 傷の男の勝利は決まっていたことだったのだ。勝つべくして勝つ。運など要らぬ。そういうことか。


 俺は四分の一の時点で舞い上がっていたが、それは確実に勝つことを放棄した考えだったのだ。俺の考えは博打において甘過ぎるのかもしれない。


 車内は依然として暑く、扇風機の風が不愉快だが、心に涼しい風が吹いた。傷の男は涼しい風を吹かせられる男だ。


 まさにパーフェクト。何も言うことがないぞ、パーフェクトだから。


 もう、これ、遠慮しなくていいよな。若にはっきりと提言するとしよう。


「若、代打ちはこの男の方がいいんじゃないですか。この男に頼みましょうよ」


 若が蟀谷を揉んで唸り出した。そうしようか、と言い出すのも時間の問題だ。


 この逸材に出会えたのは奇跡なのだ。ニシマツカジノの一員になってもらって、組織の発展に貢献してもらおう。


 こいつが味方になるとは心強い。何せこの男はパーフェクトギャンブラー・・・、あれ。そういえばこいつの名前は何だ。


「なあ、お前、名前は」

「ちょっと待って下さい」


 ナカセが声を上げた。小説は閉じられている。


「勝手に話を進められては困ります。僕は代打ちになる気満々で来てますから」


 尤もである。仕事が決まったのに、その仕事先へと向かう電車の中でクビを宣告されたら堪らない。


 しかし、相手が悪い。悪過ぎる。傷の男は、昨日は若に宥められたものの、もし八百万勝負をしていたら、三億の大金を荒稼ぎしていた。そのような男相手では、ナカセがどれだけ博打に強いかよく知らないが、敵わないだろう。辞退してくれないかな、自分から。


「僕の腕を疑っているんですね」


 いや、そうではない。もう興味がないのだ、お前に。俺たちは傷の男のことをもっと知りたい。それを達成するには邪魔なのだ、お前が、こっちの都合で悪いのだけれども。頼む、ナカセ、次の駅で降りてくれ。


「分かりました。ちょっと、あんた、いいかな。俺と勝負をしないか」


 何だ、ナカセが傷の男に挑戦状を突き付けたぞ。見た目と裏腹に好戦的な男だ。無茶なことをする。勝てる訳がないのに。


 でも、傷の男の戦いが見れる。ナカセにもそれなりの実力がある筈だ。でないと、ニシマツの代打ちの仕事を依頼されることはない。これは中々いいカードではないか。


「勝負?」


 傷の男が反応した。


「この小説を使った漢字当てクイズで勝負だ、付き合ってくれよ」


 クイズをするのか。博打らしくないな。でも、ここにはトランプも何もないから、そうなってしまうか。


「いや、クイズ」

「あんたのせいで職を失いかけているんだ。あんたにリスクはないからいいだろ」


 傷の男は、うーん、と唸った。それでもナカセは続ける。


「人助けだと思って。頼むよ」


 傷の男は箸を休めない。まだ食っている。ややあって、飯を頬張りつつ、分かった、と傷の男が言った。乗り気ではない色だったが、気変わりしたのか。


 ナカセは、どうも、と答えた。なぜ傷の男は断らなかったのだろう。目的地まで長旅になるので退屈凌ぎに、とでも考えたのだろうか。


「じゃあ、始めようか。そうだな、あんた、何人家族だ」


 勝負に関係のないナカセからの急な質問だった。


「家族のことは言いたくないな」

「付き合ってくれるんじゃなかったのか。何かしら人数が必要なんだ」

「俺が妻帯者か聞いてるのか」

「どういう解釈でもいい。あんたが子供という立場の家族でもいい。テキトーでもいい」

「じゃあ、そうだな、二人だ」


 二だな、と言ったナカセは鞄から同じ文庫本サイズの別の小説を取り出した。


「これは『フローレンス』という小説だ。二という数字は後で使う」


 ナカセは右手に『潤滑』を、左手に『フローレンス』を持った。


 これ、もう勝負は始まっているのか。


「どっちが要らないと思う」


 要らない、とはどういうことなのだ。ナカセの言うことは先程から要領を得ない。


「『潤滑』かな」

「そうだ。こっちはもう読んだからもう要らない。これをあんたにやる」


 ナカセが『潤滑』を差し出した。


 傷の男はそれを受け取ったが、指が醤油で汚れていることを気にしてか、変な持ち方だった。


 漢字当てクイズとのことだが、ナカセの説明が少な過ぎて、今、何をしているのか分からない。


「こういう文庫本って、紙の栞が付いているんだ、これ。持っといてくれ」


 今度は栞か。一体いつクイズをするのだ。余り説明をしないのもナカセの作戦なのか。


 傷の男は『潤滑』を膝に置き、ナカセが『フローレンス』から取り除いた栞を受け取った。


 ナカセは『フローレンス』のアタマとケシタを持って、小口(背表紙の反対側のぺらぺらと捲れる面)を、傷の男に向けた。


「栞を差してくれ」


 どんどん話を進めるナカセだったが、傷の男はそれを拒絶した。


「待てよ。一番重要な話はいつするんだ」


 急に傷の男の態度が変わった。うんざりしている色だった。恐らくナカセのペースに嵌まるのを嫌ったのだ。少しだけ緊張感が高まった。


「俺に不毛な時間を過ごさせる気か」


 ナカセは鋭い目をして聞いている。


「金は」


 傷の男は賭け金の話を切り出した。それを理解したナカセが直ぐ様、返す。


「先に言うべきだったな、賭け金のこと。クイズの出題者はあんたで、選択肢を幾つ作ってもいい。お互いに賭け金を出すが、僕が出す賭け金はあんたの金額を選択肢の数引く一で割った額だ。あんたの選択肢が多い程、僕の賭け金は少なくなる」


 成る程、トレードオフか。というか、傷の男が出題者なのか。てか、トレードオフってこの状況に合ってるのかな。


「選択肢を幾つにするかは、まだ決めなくていい。あんたの賭け金だけを先ず決めてくれ」

「俺は選択肢を二つにする。ナカセさんの賭け金は俺と同額になるが、いいな」


 この発言は俺の思った通りだった。傷の男は選択肢を最少にすると思った。十択にでもすれば確実に勝てるだろうが、この男の昨日の賭場の感じからすると、この男はハイリスク・ハイリターンの勝負を望んでいそうだ。


「賭け金は」


 ナカセが尋ねた。


「四千万だ」

「おい、馬鹿言うな」


 ナカセは間髪を容れずに反応した。その後、呆れた顔で外に視線を遣った。電車の中で何気なく始まった勝負に四千万は賭けられない、とナカセは考えたのだろう。これはナカセが正しい。


 この傷の男の要求は少し行き過ぎだ。傷の男はもっと他人の歩幅に合わせるということを学習した方がいい。熱い勝負がしたいのは分かるが、世界の殆どの人はお前に振り回されたくないのだ。百万でも多いくらいだ。


「四千万なんて大金どうやって用意するんだ」


 傷の男は足の間にある鞄を蹴って九十度回転させた。ファスナーを全開にすると、鞄の中には昨日稼いだ現金四千万、憧れの景色があった(実際は札束の下に衣類などで嵩増しされているが)。


「これでいいかな」

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