2-2.オール・ヘッズ・オア・テイルズ
俺はスローラインに立った。狙いは20のトリプル。息を吐いて体の力を抜く。肘から先だけを引いてテイクバックを取り、最終回の第一投を放った。
実は、俺は一時期賭けダーツで食っていこうと考えていた。ただ、ダーツが余り面白くなくて諦めてしまったのだが、かなり練習をしたのは間違いない。記憶では忘れていても腕は中々忘れないものだ。やっと思い出してくれた俺の腕は矢を20のトリプルに連れて行ってくれた。
この感覚、もう一度同じことを再現できそうだぞ。もう一度20のトリプルに入れて俺の勝ちだ。よし、先程と同じ感じで、あ。
手許が狂ったのが分かった。一瞬、心臓にクッと圧力が掛かったが、矢自体はそこまでずれていなかったらしく、矢は20のダブルに刺さる。くそ、ひやひやしたぞ。だが、20のダブルなら何の問題もない。
えーっと、今の点差は・・・、あ、勝ってる。勝ってるのか。最後の一投が必要なくなってしまった。要らないや、この一投。しかし、俺が計算ミスをしている可能性もあるので、最後もしっかり20のトリプルを狙っておこう。
再び手許が狂った。矢は吸い込まれる様に的のど真ん中、ブルに突き刺さる。それを見てゴツい男が俺の方を向いた。
「ブルは無得点って自分で言ったんだからな」
したり顔だった。
俺は直ぐに的をゴツい男の許に運び、ガムテープを剥がした。計算してみると、やはり俺の計算は間違ってなかった。一点差で俺の勝ちだ。
「おいおい、マジかよ、くそ、たった、たったの一点差かよ。そんなのありかよ」
ゴツい男が頭を抱えて嘆いた。俺はその嘆きを完全に無視して、的を元に戻し、ゴツい男が嘆き終わるのを待った。
はあ、危なかったな。最後に20のトリプルに入ったからよかったものの、シングルが多過ぎた。ゴツい男の二桁ナンバーはたったの三投分だけ。九投とも連続したナンバーをヒットさせていれば、五投分か六投分が二桁ナンバーになることを考えると、ゴツい男は相当不運だったらしい。だから、何とか勝てた。
「くそ、ここに置いておくぞ」
バーテーブルの上を見ると五万両が置いてあった。ちょっとガムテープを買っただけで五万儲けたのだから効率のいい勝負だったな。この方法がどの様な相手であれ通用するのならば俺は結構稼げるのだが、実際はこのゴツい男の様に余り考えないタイプ相手にしか通用しない。というかゴツい男相手でもたったの一点差だからな。あと少しで負けていた。やはりダーツで生計を立てるのは厳しいか。
俺はテーブルの五万両を拾い、ポケットに仕舞った。勝負が終わったら直ぐに退散するのが俺の信条だ。さっさと帰ろう。
バーを後にしようとした俺だが、腕を誰かに掴まれたので足を止めた。強い力で掴まれている。振り返ると、それはゴツい男だった。何だ、俺に因縁を付ける気か。
「もうちょい楽しんでけよ。まだ来たばっかりだろ」
「・・・」
「俺ともう一勝負だ」
「お宅とダーツはしない。さっきので実力が分かった。お宅の方が上だ」
「んなこた分かってんだよ。どうせ俺が幾ら粘ってもあんたはダーツ勝負に乗ってこねえ。だから、今度はコインで勝負だ。タマホクに教えてもらったからな。今度は倍の十万を賭けろ」
ゴツい男は興奮していた。だが、自信ありげでもある。その自信はどこから来るのだろうか。こいつはダーツの様にこれからやる勝負に関する技術に秀でてでもいるのか。
「三枚の十両玉を使う。あんたが三枚ともスピン、回転させるんだ。それで出た表の枚数が三枚か零枚ならあんたの勝ち、一枚か二枚なら俺の勝ちだ。いいだろ。十万賭けろ」
ゴツい男がバーカウンターに三枚の十両玉を置きながら言った。
・・・変だな。ゴツい男が回すのではないのか、回す技術でもあるのかなと思ったのだが。俺が回すと何が出るか分からないぞ。それなのになぜ俺に回させる。
回すのが誰でも勝敗に関係ないのか。誰が回しても俺は負けるのか。ということは、この十両玉に仕掛けがあるのか。いや、普通に考えてバレてはいけない仕掛けが施されている物を相手に渡したりはしない。相手に渡すのは仕掛けのない物か、絶対にバレない程精巧にできている物かだ。
十両玉に精巧な仕掛けか。違う気がするな。なぜならこのゴツい男は先程、タマホクに教えてもらった、と口走った。タマホクに貰った、ではなく、タマホクに教えてもらった、だ。それが気になる。もしかすると特別な道具がなくても知識があれば勝てるゲームを教えてもらったのではないか。
・・・これ、そもそも対等な勝負なのか。もしかすると若干ゴツい男の方が有利なのかもしれない。その可能性、あるな。しかし、表が出る枚数のパターンは零枚、一枚、二枚、三枚のどれか。なら、俺が勝つ可能性は四分の二で対等ということになる。
待てよ、そもそも十両玉三枚でやる必要はないよな。一両玉、十両玉、百両玉それぞれ一枚ずつでやっても同じ筈だ。この様に違う種類の三枚でやるのならば、一両玉が表のときをA、裏のときをa、十両玉Bb、百両玉Ccとすると、考えれるパターンは次の様になる。
『ABC・ABc・AbC・aBC・Abc・aBc・abC・abc』
こう考えると、全く対等ではなかったと分かる。俺が勝つのは全て表か全て裏のときのみだから可能性はたったの八分の二だ。若干どころかかなりゴツい男に有利ではないか。何だ、これ。この様な酷い勝負を俺に強要しようってのか。
「どうなんだ。やんのかよ」
ゴツい男が俺を煽ってくる。よく言うよ、俺が不利だと分かっている癖に。もう既に勝ったつもりか。
「さっさと決めろよ。どうせやんだろ」
こいつは俺の心積りを見抜いていた。よく見抜いたな。その通り、俺はどうせやる。この程度の勝負なら余裕で勝ってやる。俺はこういった勝負に関する技術に秀でているのだ。
「分かった、やる。でもその前に、お宅はもう一枚十両玉を持っているか。それとこのうちの一枚を交換する」
ゴツい男は俺の要求に納得してない色だが、ポケットから新たな一枚を出した。俺はそれを受け取り、バーカウンターの上の一枚と交換する。そして、これは貰うからな、と言って交換した十両玉をポケットに入れ、手を出したが、この際、手の中にその十両玉を隠し持って出す。薬指の第一関節と第二関節で挟めば簡単に保持できるのだ。これでゴツい男に俺が十両玉をポケットに仕舞ったと思わせることができる。
「あと、これ、回転させるんだよな。回転を止めるのも俺だ。トップスピードでぐるぐる回っているときに上から叩いて止める。いいな」
俺は更に条件を追加した。ゴツい男は困惑した色だ。
「は、何だそれ。駄目だろ。お前が止めたら・・・」
「俺が好きな面で止めれるとでも言うのか」
「・・・いや、まあ、可能性は零じゃないからな」
「そうだ、俺はできる。だからこの勝負に乗ってやったんだ。いやならいい。俺は帰る」
「何。・・・十万勝負を受けるんだな」
「ああ」
「・・・ふん、ハッタリ言うんじゃねえぜ。そんなこと言って脅せば俺が降りるとでも思ったか。分かった。あんたの条件を飲む。あんたが止めてくれていい」
ゴツい男は不審がりながらも了承した。俺は即座にカウンターの十両玉に手を伸ばす。手を改められたら面倒だからさっさと始めたいのだ。俺は右手の中に十両玉を隠し持ちながら、カウンターの十両玉を一枚、右手の親指と左手の人差し指で立たせ、一呼吸置き、回転させる。
回転した十両玉は上から見ると球の様に見えた。直に動きが安定し、静止する。球となった十両玉は段々と平面感を取り戻して、表を天井に向けながら揺れる様に自身の縁とカウンターの表面との衝突音を連続させている。こうなったら十両玉が完全に停止するまで待つ必要はない。表確定だ。
俺は二枚目を回転させた。一枚目と同じ様に、回転させてから数秒後、静止した球の様になる。俺は隠し持った十両玉の表面を指に付け、人差し指と小指の側面で挟んだ。傍から見れば、指同士がぴったり閉じていて若干不自然な形であるものの、指自体は真っ直ぐ伸びているので十両玉を隠し持っていることに気付かれることはない。
回転している十両玉を指の付け根で思い切り叩いた。叩いたら直ぐに隠し持った十両玉をリリースする。指の付け根で押さえた十両玉はそのままカウンターの端まで滑らせ、端に達したら親指を使って回収する。
回収した十両玉を隠し持ち、三枚目を回転させると、先程と同様に十両玉を指の側面で保持し、先程と同様のタイミングでそれを叩き付け、リリースした。指の付け根で押さえた十両玉をカウンターの端で回収すると、堂々とその手をポケットに入れる。そして、相手が色々と考え出す前に言った。
「三枚とも表だ。出せ」
俺はポケットの中に十両玉を残した後、ゴツい男に向かって手を差し出した。これで証拠は何もない。俺の勝ちだ。
「・・・マジかよ」
ゴツい男がカウンターに着きそうなくらい顔を十両玉に近付けて言った。自分で用意した十両玉なだけに信じれないといった色だ。
「くそ、タマホクの野郎、負けてんじゃねえか。くそ、騙された」
カウンター上の十両玉を拾ったゴツい男はその十両玉を何度かひっくり返して両面を確かめた。どちらも表になっていないかを確認している様だが、その様なバレバレのことをする者が居るか。俺はゴツい男を急かした。
「早く出せ」
「うるせえ。くそ、タマホクの野郎、コイン回すのが専門なんじゃねえのかよ」
ゴツい男の独り言だが、それは聞き捨てならない科白だった。硬貨を回すのが専門だと。俺がジョーに教えてもらったバーは硬貨を回すゲームをするらしい。まさかタマホクという人物は・・・。
「おい、タマホクって誰だ」
「え」
「俺は博打ができる所を探している。タマホクってのはどっかで賭場をやってんのか」
「いや、賭場なんて規模じゃねえよ。バーの一角でバーに来た客相手にやってるだけだ」
「今回の勝負はなかったことにする。その代わりにタマホクはどんなことをするのか教えてくれ」
「は」
ゴツい男の目が幽かに見開いた。
「十万なし?」
俺は頷く。ゴツい男はラッキーといった表情で早速タマホクのことをペラペラと喋り出した。俺が頼んでおいて何だが、口の軽い男だ。
しかし、この口の軽さのお陰で俺は予備知識のある状態で勝負に臨める。ゴツい男に勝ったこの勢いでタマホクにも勝ってやるぞ。
(終)