1-3.メーガvsモルヒロ
この開けたレース会場は月の明かりでよく照らされている。だが、自分の体で少しでも影を作ってしまうとその部分が真っ黒になるので作業はライターの炎を照明にして行う(もちろん、リックは炎に驚かない様に鍛えておいた)。
細いスプーンで地道に穴を開けていく。土を掻き出しながら穴を深くし、ある程度深くなったら割り箸を挿して深さを確かめる。割り箸に印した黒い線と地表が一致した。オッケーだ。
大丈夫だよな。上手くいくよな。ウチが明日の勝負を提案したのはこの割り箸のテストが成功したからだ。明日もこの割り箸が上手く作動してくれないと困る。色々と割り箸の細さや穴の深さを試したが、上手くいったのはあのときに作った割り箸だけだ。その割り箸がこれ。大丈夫に決まっている。
私は何度も穴の深さを確かめてから立ち上がった。無事に穴を掘れたからミッションコンプリートだ。よし、もう帰ろう。しかし、そう思った矢先、後ろからまたあのくそ野郎がやって来やがった。
「メーガ、何してんだ」
モルヒロだ、くそ。今までこのタイミングで私の所に来たことないのに。何で今日に限って来るんだよ。
「おい、何やってる」
「虫が居たから眺めてたんですよ。もう居なくなっちゃった」
「は」
モルヒロが近付いて来た。私は穴がバレない様に足で塞ぐ。さっさと自分の仕事に戻れ、モルヒロ。
「そいつ、その犬、えー、何だ」
「リックです」
「リックの」
「違った。ビルです」
「え」
「ビルでした。どっちも顔が似てるんで言い間違えました」
「・・・ビルの夜の散歩じゃなかったのか」
「そうですよ。で、見掛けたんです、虫を」
「お前はライターで地面を照らしながら散歩すんのか」
私は自分がライターを握っていることを思い出した。ポケットに仕舞う。
「・・・違いますよ」
「じゃあ、こんなに暗いのに地べたの虫が見えるのか」
「言う程暗くないでしょ。それに私、目いいし」
「何でライターを持ち歩いている」
「タバコを吸うからですよ」
「じゃあ見せろ、タバコ」
私はモルヒロの望み通りポケットからタバコを取り出した。だがその際、同じポケットに入れていた割り箸とスプーンが少し飛び出してしまった。私は慌ててそれらをポケットに戻したのだが、案の定モルヒロに指摘されてしまう。
「今の何だ。出せ」
しまった。何てヘマをしでかしちまったんだ。不味い、割り箸は何とかなるかもしれないがスプーンは無理だ。これは化学薬品の計量に使う物で一般人の持つ物ではない。こうなったらポケットには何もない振りをするか。しかし、モルヒロは何としても調べようとするだろうし、隠し切れる訳がない。なら、さも当然といった顔で渡した方が切り抜けれる可能性は高いか。
「はい」
私は割り箸とスプーンを手渡し、無表情を貫いた。何を聞かれても惚けてやるぞ。
「・・・割り箸に線があるけど、これは何だ」
「それは、私も知りません。昼に弁当買ったら二膳付いて来て、もう一膳の方は普通だったんですけどね」
「店に文句言ったのか」
「ああ、そうか、言えばよかった」
「・・・この細いスプーンは何だ」
「それは、餌にゴミが入ったときとか、手で直接触るのも、あれだし」
「餌のゴミを取るのか、これで」
「そうです」
「へー、成る程。これでか。冗談だろ。土が付いてるぞ、これ。こんなんで餌触ったら不衛生で仕方ねえ」
何か、致命的な指摘を受けた気がする。私は兎に角、もう、無表情を貫くしかない。動揺しては駄目だ。今は我慢のとき。黙って切り抜ける。いや、言い訳をした方がいいな。何かいい言い訳がないか探そう。何かないのか、何か。
直にモルヒロは私の足許を見る様になった。くそ、真相に近付いてるぞ、こいつ。どうする。どうすればいい。え、どうする。どうするの。
「足を退けろ」
あ、言われた。もうどうしようもない。遂に穴のことがバレてしまう。いや、足を退かす訳にはいかない。いかないが、この状況・・・、従わないとかなり不自然だ。力尽くで退かされるだろう。くそ、畜生。
私は足を退かし、モルヒロに穴を提供した。暗いから見逃すかもしれないとも思ったのだが、そうはならなかった。
「離れろ」
最悪なことにモルヒロは穴の近くに座った。穴をじっくりと見る。私は考えを必死に巡らせてはいるのだが、今のところ誤魔化す手立ては浮かんでいない。あ、モルヒロが穴にスプーンを挿しやがった。不味いって。不味いよ。
でも、今の段階では、私が意味もなく穴を掘ったという程度で大した問題にはならない、かもしれない。モルヒロ、スルーしてくれ。軽い口頭の注意で済ましてくれ。
穴からスプーンを抜いたモルヒロ、今度は割り箸を挿した。割り箸の黒い線と地表が一致する。これで私が特別な意図を持って穴を掘ったことが発覚した。モルヒロの中で疑念が確信に変わっただろう。もう言い逃れはできない。モルヒロには何とかして黙ってて、いや、その様な甘い考えでは駄目だ。モルヒロには死んでもらう。
「・・・」
モルヒロは振り返って立ち上がり、小くなった黒目で私を捕らえた。今まで私に見せたことのない顔だ。完全に私を敵と見做しているな。私は、恐らくモルヒロも、これから起きることに緊張している。
「どういうつもりだ」
「・・・」
私はタバコを咥え、火を付けた。これでモルヒロの注意を引く。
「・・・」
「やはり、ポイントナインか、お前は」
「どうせお前は近いうちに死ぬ。それが今になったってだけだ」
「てめえ、認めるのか」
私はナイフや鉄砲などの武器を持っていない。許可なく持っていることがバレたら私が中ゼミに敵意を持っていることの証明になるからだ。しかし、だからといって丸腰という訳でもない。ここで作り上げた取って置きの武器がある。
モルヒロが私を睨みながら一歩下がりポケットに手を入れた。恐らくグラブだ。距離を取って私を撃ち殺す作戦か。鉄砲を持たれたら面倒だな。やってやる。
「行け!」
私はモルヒロを指差して叫んだ。すると、座っていたリックが弾ける様にしてモルヒロに突っ込む。モルヒロとの距離をあっという間に詰めたリックはモルヒロの腕に噛み付き、モルヒロは驚いて尻餅を付いた。よし、上手くいったぞ。私も透かさず距離を詰め、腕をリックに振り回されているモルヒロの顔に膝を食らわせる。モルヒロの頭は私の膝とダミーの走るレールに挟まれる形となったのでダメージが大きかったのだろう、地面に崩れ、私はそのガラ空きになった腹を蹴りまくった。
何度か蹴った後、私は地面にモルヒロのグラブとモルヒロの服のどこかから落ちた鉄砲があることに気付いた。素早くそれらを拾い、装着すると、リックをモルヒロから離して銃口を向ける。
「動くんじゃねえ。腹這いになれ」
私はこれでモルヒロを屈服させれると思ったが、足首に衝撃を感じた。体が宙に浮く。モルヒロが足払いをしやがったのだ。くそ、まだ戦える元気があったのか。
倒れた私の上にモルヒロが襲い掛かって来た。私を殺す気だ。しかし、今更反撃に転じてももう遅い。私は引き金を引けばいい。
大きな音に反応してリックが吠えた。犬舎からも吠える声が聞こえる。
はあ、やれやれ。殺されずに済んだか。私は緊張から解放されてどっと疲れを感じた。
私は胡座を掻き、リックを撫でながらこれからどうするか考えた。このくず野郎の死体は、車に積んでどこかに置いてウチの誰かに何とかしてもらうか。あとは、血だ。辺りに散っちまっている。掃除しないといけない。
よし、やるか。私は立ち上がり、リックを連れて犬舎に戻った。リックをビルの部屋に入れると、スコップと沢山のタオルと犬の入れ替えに使った台車を死体の許へ運ぶ。
先ず、タオルを死体の傷跡に当てて台車に乗せ、次にレールやゲートに付いた血を拭き取った。地面の血はその部分を掘ってテキトーな場所に埋める。これで大丈夫だ。・・・あれ。
私はふと思い出した。割り箸はどうしたっけ。あれがないと困る。
慌てて辺りを見渡すと、レールの支柱付近に折れた割り箸の一部を発見した。残りは私が掘った穴に挿さっている。どうやら戦いの最中に折れた様だ。
ヤバい。ヤバいぞ。これはヤバい。明日絶対に必要なのにこれはヤバい。同じ物を作らないといけないぞ。急いで帰ろう。
私は台車を押した。しかし、台車が何かに引っ掛かり急停止した。その勢いで死体がずり落ちそうになったため、慌てて手で支える。死体は落とさずに済んだが、私の手が血で汚れた。反射的に手を服で拭ってしまう。
あ、そういえば服が血塗れだった。誰かに見られたらお終いだぞ。でも、これは大丈夫。上着を脱げばいいだけ。替えもある。
よし、行こう。あ、違う。台車が何かに引っ掛かったんだった。調べとかないと。
私は台車の車輪の周りを見てみると、そこには金色の何かがあった。マメのケースだ。あ、危ない、ケースの回収を忘れるところだった。このケースを誰かに拾われていたら直ぐに私の正体に気付かれていた。
えー、二発撃ったから、もう一個どこかにケースが・・・、あ、あった。これで大丈夫だ。もう忘れている物はない筈、ない、筈、だ、よな。
私は今度こそ死体の乗った台車を押し、車に向かった。しかし、トラブルは続く。遠くの方からこちらへ近付いて来る車のヘッドライトが見えたのだ。この時間にここら辺を通る車など珍しいが、あの車、まさか違うよな。
ただの偶然通り掛かる車だ。そうに決まっている。いや、その様な訳ないか。このタイミングでたまたま通り掛かるなどあり得ない。あの車は中ゼミの車で目的地はここだ。
・・・モルヒロは徹夜でここを見張ることになっている。しかし、そのモルヒロは死んだ。となると、私がすべきことは、・・・いや、駄目だろ、可哀想だ。その様なことは、しかし、くそ、どうする。犬達に罪はない。罪はないだろ。罪もないのに、いや、違うぞ、ギャングの金で生活してる犬だ。つまり、犬達もギャングの一員、罪深い存在だ。なら、一頭くらい・・・。
(終)