3-1.西帰
今日もまた暑い中を歩かされている。温度は昨日より多少は下がっているかもしれないが、それでもやはり暑い。この男もそう心の中で嘆きながら歩いているのだろうな。
俺の後ろを付いて来る若い男、ナカセ、という名前だ。今日の予定は、ナカセを迎えてともに駅に向かい、若と落ち合って西に帰るだけ。
俺はこのナカセという男の博打の腕を信用していなかった。代打ちにしては若過ぎる。博打に勝つには経験がかなり重要になってくるだろうから、その点で若さは不利に働くのではないか。
あ、でも、そういえば、昨日の傷の男も若かった。俺と同じくらいか。あいつはなぜ若いのに勝てるのだろう。
俺は昨日のマキヤの合計が7になる目は完璧だったと評価している。合計7は目の組み合わせパターンが一番多いので一番狙われ易い。だからこそ逆に合計7が有効になる。それなのに、傷の男は当てた。しかも左右の目までどんぴしゃで。これは尋常ではないことだ。
俺はナカセのことをよく知らないが、ナカセには絶対に無理だ。若に命令されたから駅まで連れて行くが、ウチの代打ちは務まらないと俺は考えている。本心を言うと、あの傷の男が代打ちになってほしい。俺はあいつの博打を見ていたい。あと一回だけでもいいから見たい。あいつはこの国でトップクラス、いや、この大陸全体で見てもトップクラスの博徒だ。もう一度見たい。
もう、あいつには会えないのだろうか。
外は湿度も高い。風で飛んできた埃が顔に汗でくっ付いた。まだ午前中なのにこうも暑いと、正午を過ぎたら建物が溶け出すだろうな。
俺は寝不足で頭が痛いのに、空気から熱を加えられると更に痛くなる。ナカセの方を見てみると、余り暑がっていない様だった。暑いのは俺だけかよ。
俺は昨日の勝負の最後に壺振りが言ったことが気になって夜中はずっと目が冴えていた。ピンの目のズレ。一晩中考え抜いて、ある結論に辿り着いた。上を向いた目の向きによって、接触面の目の候補が四通りに絞られるのではないか。
この事実に気付いたとき、俺は布団の中で唸った。我ながらよく気付いた。運のいい者ならば、四つの中から、正解の一つを選べるだろう。俺はてっきり傷の男がマキヤの心を読んだのかと思っていた。しかし、実際は心など読む必要なかったのだ。俺はあの博打で見当違いなことを考えていた。それなのに歯を食いしばったり首の筋を立てたりして、緊張だけは立派にしてた。駄目だな、俺は。
駅に到着した。切符は二枚ある。一枚はナカセに渡し、一枚は俺が改札の駅員に見せる。駅の中は太陽が当たらないのでいい。日向になるからホームに行きたくないな。とはいえ、電車が来るまで、若を一人で待たせる訳にはいかないので、ナカセと一緒にホームへと続く階段を上った。
このときの俺は、俺達の跡を付ける男の存在に気が付かなかった。
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はあ、電車の中も暑い。
電車は空いていた。殆どの座席が空いている。車内の壁の上部に、皆に平等に貢献しようと努める扇風機が首を振っていた。だが、定期的に撫でてくる微温い風は鬱陶しいだけだ。
向かい合った四人掛けボックスシートの通路側に、俺と若は座っている。俺の隣の窓側にはナカセが居て、若の隣には足許に鞄を置いた男が座っている。その男は小さい魚型醤油入れで弁当のシュウマイに醤油を掛けた。その際に、醤油が人差し指に付いたのだが、それを口元に運び、吸う。
俺は、あの、と若に声を掛けた。
「いつになったら説明してくれるんですか」
「こいつのことか」
「そうです」
「昨日、約束したんだよ。高レートの博打を紹介するって。だから百万に値下げしてくれたんだ」
ああ。若は昨日、耳打ちしていたが、その内容はこれか。へえ、成る程ね。再会できたのは嬉しいが、こうも早いとは。
傷の男は自分のことが話題になっているというのに、弁当を食べながら外を眺め、存在感を消している。
「何で付いて来るんですか」
「その勝負が用意できるまで、俺達がこいつを守る。フルズの誰かと勝負することになるだろうからな。連中が勝負の前に手を出してくるかもしれない。もう連中はこいつの恐ろしさを知ってしまったからな」
傷の男のことを、こいつ、と呼んでいる。昨日は、あなた、と呼んでいた筈だが、もう仲よくなったのか。
「フルズに喧嘩を売るから売るフルズだな」
傷の男が吹き出した。そういえば昨日も笑っていたな。仲よしなのか、この二人は。
俺はナカセよりも傷の男を代打ちに推薦したい。ナカセが居る手前で申し訳ないが俺は若に提言する。
「この傷の男を代打ちにするんですか」
若が苦笑いをした。それを言うなよ、といった表情だ。
「そうではないよ。次の博打だけだ」
この様子から察するに、若も傷の男を代打ちにしたいのだろう。そう思うのは当然だ。昨日の博打を見物した者なら誰でもそう思うだろう。
俺がもう言ってしまおうか、ナカセはやめて傷の男に代打ちを依頼しましょう、と。しかし、それは幾ら何でもナカセに失礼だ。何ヶ月も前から連絡していたうえ、ナカセもやる気だ。急に切る訳にもいかない。
ナカセは俺の隣で小説を読んでいる。カバーには『潤滑』と書かれていた。
取り敢えず、ナカセを切る提案をするのはやめよう。それより傷の男に聞きたいことがある。話し掛けたいのだが、いいのかな。傷の男は横顔で、私はこのグループの人間ではありません、と主張している様に見えるが。でも、気になることがある。傷の男に認めてほしい、目のズレのことを。
俺は傷の男に、なあ、あんた、と声を掛けたが、案の定無視された。俺は意地でも認めてもらうつもりだったので、傷の男の腕を突き、おい、と言った。すると、傷の男がこっちを見てくれた。
「壺振りが最後に言ってたろ、ピンの目が何たらって。あれは何なんだ」
傷の男が答える。
「ああ、あれ。俺も分からない。何を言ってたんだ、あいつは」
俺はその返答で納得できる訳がない。お惚け作戦かよ。絶対に認めてもらうからな。
「ズレてたんだろ、目の点の位置が。そのせいで面に向きが生じて、面が縦向きか横向きかで左右の位置に来る目を特定できるから、あり得る目の組み合わせパターンが四通りになっていたんだろ。それで当てれたんだろ」
傷の男が固まった。俺を凝視している。え、何だよ。俺、何か変なこと言ったか。
次の瞬間、傷の男が納得の溜息を漏らしながら天を仰いだ。
「ズレることがあるって訳か。トランプの裏模様もズレていることがあるからな」
傷の男はそれから頻りに頷いた後、食事を再開した。
「おい、認めろよ。お前、それを利用したんだろ」
傷の男は首を捻った。
「ピンの目って本当にズレてるのかな」
俺は腹が立ってきた。なぜ認めない。俺はお前がそれを利用した証拠を握っているのだ。惚けるだけ無駄だ。
「じゃあ、何でお前は4の目にマーキングしたんだ。向きを作るためだろ。まさか本当に摺り替えをされない様に、とか言うんじゃねえだろうな。何でだ」
傷の男の口角が上がっていた。見下した笑いだ。
「まあ、でも、四分の一は無理だろ」
俺は傷の男の意図が汲めない。どういうことだ。嘘を言っている様には感じられない。こいつの言い方からすると、昨日の博打は四分の一を越える確率で当てることができる、と主張しているのかな。
気になる。どうやって当てたのだろう。教えてくれるのかな。いや、この男は教えてくれないな。手の内を明かすことはしない。
傷の男は教える素振りなく弁当を食べている。でも、気になる。
「俺はお前の博打に協力したよな。見ず知らずのお前に、わざわざ。そうだろ」
傷の男が、そうだな、と肯定した。
「じゃあ一つだけでいいから質問に答えてくれ。一つだけならいいだろ」
傷の男は反応しない。しかし、俺は構わず質問した。
「どれくらいの確率で当てることができたんだ。三分の一か」
傷の男が、まあ、それくらいなら、と言って顔を上げた。
「一分の一だ」
俺はムカついた。こいつ、揶揄ってやがんのか。馬鹿にしているぞ、俺のことを。