第五話
「そういう訳だ。頼めるか? 灰ヶ峰」
安曇野先生が、その女子生徒の事を本気で慮っているのだという事は、彼女の表情から十分に伝わってきた。冗談交じりに言っているわけではなく、この現状を常態化させまいと考えているということも。
俺はその問いかけに即座に返事を返すことができなかった。いや、返したくなかった。正確に言うならば、安易に請け負いたくなかったのだ。他人の人生のターニングポイントになるかもしれない案件を。俺の手に負えない事柄を。
「……無理してやろうとしなくても大丈夫だよ、灰ヶ峰くん」
「……廻栖野さん」
「灰ヶ峰くんが言っている事もわかるし、正しいと思う。 断ったからって、灰ヶ峰くんの事を悪く言う人なんて居ないよ」
違う、違うんだよ、廻栖野さん。他の誰でもなく自分自身の、自分に対する心象の問題だ。
「やりたくは、ない。そこははっきり言っておくべきだと思う」
「……あぁ」
「だが、このまま廻栖野さんに全部丸投げして知りませんという顔をするのもダセェ」
「くくっ、そうだな」
「――乗せられてやるよ。不登校児の連れ戻しでもなんでも、やってやる」
泥を吐き出すように。眉を下げ、目尻をあげてニヒルに笑む。心底嫌ですという心情をこれでもかと表情に出しながら当てつけるように、安曇野 藍音へそう言った。
「実に頼もしいが……一つ良いか?」
「なんです?」
「教師に向かってその口の聞き方はなんだ」
「グェッ」
彼女がそう言うやいなやゴツンと頭に走る鈍い衝撃。黒い出席簿で頭をどつかれたのだという事を認識するも早く、カエルの潰れるような声が俺の喉から飛び出した。
「な、なにするんですか!?」
「言葉遣いには気をつけたまえ。私は君の友人というわけでは無いぞ」
「ふふふっ!」
完璧な正論で殴られ(物理)た。そりゃまぁ先生にタメ口で喋るほうが悪いのはわかりますけど!? 今どき暴力ってのもどうかと思いますよ!?
「何か言いたげな顔だな?」
「え、あ、いや、なんもないです」
「うむ。よろしい」
学校は社会の予行演習とは言うが、理不尽な上司というロールまで演習しなくて良いと思うんだ。ニコニコと楽しげに笑う廻栖野さんへと、抗議の目線を送らざるをえない。
「灰ヶ峰くんってとても面白い人だね!」
ありがとう、安曇野 藍音。俺は貴女に対して人生最大限の感謝を送ろう。
貴女のおかげで、こんな金髪美少女に“面白い人”などと過分な評価を頂けたのだ。感謝以外に何が在るというのか。いや、ない。
「お気に召したようなら、まぁ、なによりで」
「じゃ、まあそういうわけだから頼んだぞ、二人とも。詳しい話は放課後にな」
安曇野先生は何事もなかったかのような顔をして、この教室から立ち去っていく。先生という絶対権力者がテリトリーからいなくなったからか、喧騒が教室の中に戻ってきた。
「おい、アイツやばくね?」
「やべーよな。先生に向かって何かめっちゃ言ってたぞ」
「何言ってるのか全然わかんなかった」
「キモかったな、正直」
「っていうかあんなヤツ同学年に居たんだ」
うわキッツー。そんなストレートに罵倒します? 普通。
もうちょっとこう手心とか加えて頂けないもんですかね? 俺が不登校になりそうなんですけど。心折れるわ。ていうか折れてる。おっと、俺の心は硝子だぞ?
《《少し》》はしゃいでしまった為か、久方ぶりの明確な悪意に晒される。薄ら笑いを浮かべる者、珍獣を見る目で眺めてくる者、種類は様々だがそのどれもが取り繕おうともしない不快感を示していた。
「そう言えば、自己紹介まだだったよね?」
そんな疎外感の中に指す一筋の光があった。
目の前で喚き散らす陰キャの様子を、眉一つ顰めずに見守った聖人。圧倒的善人。完璧超人とも言っていい、異常さすら感じさせる美少女。
「私の名前は廻栖野 めぐる! よろしくね、灰ヶ峰……」
「……鋼。 灰ヶ峰 鋼だ」
「――鋼くん!」
ニコニコと、マイナスイオンでも出ていそうな朗らかな笑みを浮かべる彼女。
その顔を見れば、どんな毒気も抜かれるというものだろう。癒やしの化身だ。
「あぁ、うん。 よろしく、廻栖野さん」
なるべく声が震えないように細心の注意を払いながら、彼女の顔を視界に納めないように尽力しながら、端的に答える。
陰キャが美少女とまともに会話できるわけないだろ!??!?!!!・
「ん!」
……ん?
「握手! しましょ!」
――ん?
彼女が俺の目の前へと、純白に彩られた柔らかそうな手のひらを差し出す。
あく、しゅ? あの、肌と肌が触れ合うハンドシェイク? いやいやいや、どういう申し出? 逆にいじめ? 怖いんだけど。美少女が俺に握手を求めるとか、この世にありえない選択肢なんだけど。どういうバタフライ・エフェクト? 頭がはてなでいっぱいだよもう。
次の瞬間、俺の頭は真っ白になった。
呆然として一向に手を取らない俺に焦れたのか、だらんと下がった俺の手をたぐり寄るように掴んできたのだ。彼女が。
「これから一年一緒に活動するんだから、そんなに気負わないでいいよ!」
えっ、あっ、やわらかっ……。俺手汗かいてない?! なんで俺今女の子と握手るんだ!?!? 脳の処理が追いつかず、何も言い出せない俺。
徐々に彼女の手が俺の手の中へと沈み行き、その柔らかさを十全に主張してくる。
もう十分に堪能したよ、と頭のどこか冷静な部分がそう囁くも、彼女の手が離れる気配はない。
どんどんと深く入り込む彼女の指は、ついに硬質さを携え……俺の手へと爪を立てた。
……???
「(ニコッ)」
いや、「ニコッ」じゃないが!??! 痛い痛い痛い!
彼女はその力を緩めるどころか、さらに増していくばかり。さながら、身体測定の握力検査ばりに俺の手のひらを圧殺せしめんと力を込めてくる。
――もしかして、裏表あるタイプ?
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