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 ダラダラと書いてしまったので、いつまでも書こうと思っていた事に手の届かない感じになっている。急いで書きたかった事について言及する事にしよう。

 

 私がイメージしているのは、現在においては、文豪達がかつて素材としたような「場」がないという事だ。この場合における「場」は、小説がテーマなので、ある形式や価値観を持って生きている人間社会、とでも定義しておこう。かつて文豪がその芸術的素材とした人々は消え、変わって違う人々がーーつまり、我々がやってきたので、同時に文豪もその姿を消してしまった。全てを想像力で作り上げるというのは難しい。代わりに我々の元にやってきたのはその穴を埋めるべくやってきたサブカルチャーだった。

 

 例えば、さっきあげたハネケやウエルベック、伊藤計劃のような作家・監督は、ニヒリズムを基調としている。このニヒリズムとは、場を失われたからこそ、その闘いが芸術家の内部に持ち込まれた結果生まれた、そういう形式ではないかと私は睨んでいる。つまり、この世界ではある「場」が失われ、失われたからこそ、それはその不在の感知という形で、世界に対する厭世感として芸術家の中に残った。二十世紀末から現在にかけて我々が唯一、芸術的高さを保持できる形式はこれぐらいしかないではないかという気さえする。

 

 二十世紀全般を見渡しても、大作家というのは比較的少ないと思うし、いたとしても大抵は近代の遺産で仕事をしていたと感じている。

 

 私が理解できる範囲で言えば、フォークナーとプルーストである。二人共大作家的な資質とか、雄大さがあるように思えるが、プルーストはフランスのブルジョアを「場」に小説を展開したし、フォークナーの場合は、アメリカ南部の因習的な、未開的な生活と接続する底辺の人々を「場」に小説を展開した。そしてその両者共に、今では存在しない。その場が失われている。現代における均質化した人々とは違う生がそこにはあったが、今はもうない。近代最後の文豪はその多くが、失われていく残光を利用して作品を作った。今の我々は何も残っていない。

 

 フォークナーがどこかで「自分の小説はアメリカ全土が鉄道で繋がってしまえば機能しなくなってしまうだろう」というような事を言ったのを覚えている。その時に、フォークナーの自己省察の確かさに舌を巻いたのだが、実際にその通りになった。日本で言うと中上健次がフォークナータイプの作家だが、これも、中上が知っている、和歌山の因習的な生き方をしている人々の生が消えてしまえば、また書く題材に困る事になった。

 

 こうした事柄は私には、小説というものが成立し難くなった事を示していると感じる。小説も題材がなければ書けない。そして我々が今、他人に、自分に対して見るのは世界に埋め込まれ均質化した諸個人でしかない。市場における選択が唯一の自由であり、そうしたものを生産する事が生きがいであり、つまりは人間の剥き出しの生があるというより、飼いならされた個人としての生しかない。この状態をリアリズムで描いて偉大な作品を作るのは不可能ではないか。だからこそ、現在の優れたアーティストはニヒリズム、自己の魂の中に逃避し世界を遠ざける事でその芸術的高さを維持しようとしているのではないか。

 

 シオランとフェルナンド・ペソアという二人の思想家・詩人が私は好きだが、この二人は二十世紀の先駆的な人だったと思える。特にペソアは、生前は認められなかったが、彼の自負の通り、同時代に対する類まれな観察者であり、一足先に未来を生きている人間だった。

 

 ペソアはカフカのように、自分が自分自身から切り離されているというのを深く感じている。彼はそれを自分の実存として引き受けた。ここからハネケ「セブンス・コンチネント」における一家の集団自殺までそう遠くないと私は感じている。ハネケの描いた家族はただ現在の生の不毛さに耐えられずに死んでいく。ペソアは生涯、おとなしいサラリーマンのような暮らしをしており、そこには何の問題もなかった。彼は裏で詩や文を書いていたが、それは生活からは疎外されていたし、そういうものが疎外される事を彼は既によく知っていたのだった。

 

 現在においても「アート」なるものは存在するかのように振る舞われているが、実際は世界に埋め込まれた部分としての作品でしかない。人々に迎合した作品は人々が去ると共に消えるが、人々はそこから去っても、自分達が去った事も覚えていない。そこでその時々のトレンドは瞬間的に変わっていく。多数者に支持される事は普遍性の立証にはならない。同時代に完全に消化されつくした作品は次の時代ではもはや味わうに足りない。

 

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