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覚悟を台無しにされる覚悟はなかった。

 ごく普通の一軒家だった。

 小さくも大きくもない、没個性的な一軒家。

「ごめんくださーい」

 わたしはやはり没個性的なインターホンを押し、没個性的な挨拶をした。

 その裏側に隠された、ぐちゃぐちゃな感情の坩堝を隠しながら。

「どなたですか?」

 すると、少し待って中年男性がドアから現れた。

 身なりの良い、背の高い、少し痩けた印象のある白髪の男。

 ……黒川唯の父親だ。

 そう、すなわちここはあの女のハウスで。

 午前十時、生徒三人が殺害され、学校は休校だった。

「唯さんの友達の小日向です。ちょっと、直接お話したいことがあって」

 不審がられないように、必死で笑顔を取り繕って、吐き気のする戯言を抜かす。

「唯? ……ああ、娘なら今――」

「――どうしたの、お父さん?」

 男の背後に、あの女が現れた。

 一昨日ぶりに見るその姿はどこまでも自然体で。

 とても、三人を殺めた殺人犯には見えなかった。

 

「……で、私に何の用かな? 一応生徒は自宅で自習ってことになってるけど」

 ベッドに腰掛けて、本当に心当たりが無いかのように黒川が言う。

 黒川唯の自室は、驚くほど簡素だった。

 必要最低限以外なにもない、シンプル極まりない部屋。

 スクールカースト最上位らしさは皆無だが、しかしわたしがいじめていた頃には似つかわしい、そんな部屋。

 ただ、年代物らしき化粧台だけが、その最低限の機能性のなか、ひどく浮いていた。

「……あなたがやったんでしょ?」

「何のこと?」

 本当ならば今すぐ殴り飛ばして大声で恫喝したいが、父親がいる手間出来るはずもなく。

 わたしはその衝動を押し殺して、静かな声で訊ねた。

「あの三人、あなたが殺したのよね」

「なんで私がそんなこと――」

「――いいから、早く白状しなさい」

 言葉とともに、わたしは懐から拳銃を取り出し、黒川に突きつけた。

「あなたが殺したのよね? 小宮栄子、酒澤はるか、古藤ここね。この三人を」

 そうだ、そうじゃなければ説明がつかない。


 わたしは昨日、ガンショップで黒川と交わした会話を思い出す。

『久しぶりだね、小日向さん』

 よりにもよって、話しかけてきたのはあの女の方から。

 とっとと後ろを通り抜けようとしたが、ショーケースに反射した姿を捉えられて。

『……なんであんたがこんなとこにいるのよ』

 そしてわたしも、何を血迷ったのか言葉を返していた。

 あるいはその後姿が、中学生の時そっくりだったからか。

『なんでって、銃を買うためだけど。小日向さんもそうでしょ?』

 馴れ馴れしい口調。

 中学時代、こんなふうに話しかけられたことなんて一度もない。

『みんな安いね。四万、三万、これなんて二万円そこらで買える。どれも命をかんたんに奪えるのに』

 ショーケースに陳列された拳銃に注ぐのは、いつもの薄っぺらい笑顔とはまた違う、虚ろな笑顔。

『……あんたはそれを買ってどうするの』

『秘密。でも、中学時代にこれが買えたら、どうしてたかな?』

 なんて言いながら、ショーケース越しに黒川がわたしを見つめる。

『え』

『冗談だよ冗談』

 なんて言いながらいたずらっぽく笑う黒川に、わたしは、わたしは――

(……ふざけんじゃないわよ)

 とてつもない苛立ちを覚えていた。

 この女は、わたしのいじめを、わたしにいじめられていた過去を、ジョークに流した。

 わたしにとって、それは今と地続きの、切っても切り離せない過去なのに。

 この女は、きらきらした高校生活で過去を乗り越え、決別したのだ。

 まるで、中学時代から時が止まってしまったわたしを嘲笑するかのように。

 今すぐにでも、その気に入らない笑顔をショーケースに思いっきりぶつけてやりたい。

 けれども、それをここでやってしまえば傷害罪で。

 何よりきっと、またあの無表情がやってきそうで。

『それで、なんで小日向さんは銃なんて買うの?』

『……わたしはさ、わたしはね――』

 気がつけば、代わりに言葉を紡いでいた。

『わたし、いじめられてるんだ』

 よりにもよって、本当ならば絶対言いたくない言葉を。

『二年生の頃からずっと、クラスの連中にさ』

 それは、覚悟。

『机に油性マジックで落書きされたり、教科書ビリビリに破かれたり、トイレの個室で水責されたり、便器に顔をつっこまされたり、他にも色々と。それはもう、ひどい目に遭わされてるのよ』

 親にも教師にも言わないできた、絶対に知られたくない、屈辱的な現実。

 それをよりにもよって、一番知られたくない相手に、あの女に、黒川唯に。

 顔が熱い。

 声が震えている。

 屈辱で涙がこぼれそうになるのを、必死で我慢する。

『笑えるでしょ? まるであんたにしたことが、そのまま帰ってきたみたい』

 そう、これが覚悟。

 よりにもよって、あの女にいじめられていることを知られるという屈辱。

 ある意味では、この一年味わってきたどんないじめよりも辛いそれ。

 もはや退くことは絶対にできないという、背水の陣。

『……小宮、酒澤、古藤。くだらない、ゴミみたいな連中にいじめられてるの。まるでわたしが、連中よりさらに格下だとでも言うみたいにさ』

 つまりそれは、

『これが、わたしが銃を買いに来た理由』

 この三人を絶対に殺してやるという、絶対的な覚悟の宣言であった。

 わたしはあいつらを殺して、黒川唯のように過去から決別してやる。


 そしてその覚悟は全て、無になった。

 目の前で、未だに惚けている黒川唯のせいで。

「……タイミング的に、そうじゃなきゃおかしい。あの三人のうちひとりとか、あるいは大勢の中にあの三人がいるならまだしも、あの三人だけが狙い撃ちにされるなんて――」

「――あなたか私じゃないとおかしい、って? でも、私には三人を殺す動機どころか面識もないよ?」

「……わたしがあの三人にいじめられていたことなんて少し調べればすぐ分かる。前日に拳銃を買ったことも。だから、きっとわたしはすぐに容疑者になるわ。……あなたはわたしに無実の罪を着せるためだけに、わたしの復讐の機会を奪って、罪だけをかぶせるために、あの三人を殺した、そうでしょっ!」

 我慢に我慢を重ねていた堪忍袋の緒が、ついに切れる。

 わたしは黒川をベッドに押し倒すと、その額に直接銃を突きつけた。

「これがあなたの復讐!? わたしの覚悟を台無しにして、復讐の機会さえ奪って!」

 あの三人を殺せるならば、何年でも牢屋に入って良かった。

 けれども、こんなのは、こんなのはあまりにも。

「……違うよ」

「まだとぼけるつもりっ!」

「そうじゃなくて――」

 あの女は、黒川唯は、わたしをまっすぐ見つめて、あの無表情で、中学時代に幾度ともなく見せた表情で言った。

「わたしが殺したのは、小日向さんのためだよ? だって、友達だもん」

「――ふざけるなあああああああっ!」

 あたりもはばからず、わたしは絶叫する。

 そのまま、拳銃の引き金を引こうとするが、

「どうしたの? 撃たないの?」

 その指は震えるだけで動かなくて。

 黒川に射すくめられたわたしは、そのまま固まって。

 騒ぎを聞きつけた黒川の父が廊下をドタドタと駆ける音が聞こえても、動くことが出来なくて。

「大丈夫か、ゆ――」

 勢いよくドアが開かれる一瞬前。

「うん、大丈夫だよ、お父さん」

 黒川の右手がわたしの手を銃ごと掴むと、くるり、わたしは逆にベッドに押し倒されていた。

 それだけじゃない、ご丁寧にも銃を握った手は毛布に隠されて、父親から見えないようにされている。

「ちょっと熱くなっちゃってね。だよね、小日向さん?」

「う、うん」

 あの日、旧校舎のトイレで香った、忌々しい、良い香りが鼻孔をくすぐる。

 間近にある、黒川の笑顔。

 確かに笑顔だけど、しかしその瞳は。

 あの頃の無表情と全く同じ、虚ろなものだった。

「ちょっと頭冷やしたほうがいいかな? お話はまた今度ってことで、大丈夫だよね?」

 そう言って、あの女はわたしを押し倒したまま、折りたたまれたメモを手渡した。

『今夜、父親を殺します』

 そんな物騒な書き出しで始まる、そんなメモを。


 私、黒川唯の父は狂ってしまった。

 きっかけはよくあること。

 黒川優子が、母が事故死した。

 だから狂った。

 それは中学一年生のときのことで、そこから父はおかしくなっていった。

 母親の生き写しとも言われる私は、父にこう呼ばれるようになった。

『優子』

 最初はごくたまに、しかし徐々に頻度を増して。

 それでも、まだ彼は正気を保っていたとは思う。

 狂気は私の成長とともに、すなわち私が母さんに似ていくほどに成長していった。

 そして中学二年生の誕生日。

 私は髪飾りと香水とシャンプーとリンスをプレゼントされた。

 全て母親が使っていたものを、しかし父は何も言わずに。

 心底気持ち悪かった。

 父の私を見る目は、娘を見る目ではなくて。

 自分を、私が黒川唯であることを否定されているようで。

 けれども、それを拒否してしまえば父親は今にも壊れてしまいそうで、その背中が、あまりにも哀れで。

 だから私は、よりにもよって、一番救われてはいけない相手に救われてしまった。

『なんでこんなものをあんたみたいな根暗が付けてるのかって、そう言ってんの。あんた現国とか苦手でしょ。わかる? 全然似合ってない。気持ち悪い。根暗が色気づいてんじゃないわよ』

 そう言って、あの子は私から私を奪おうとする髪飾りを踏み潰した。

『……それに何、この髪の匂い。黒川のくせに、なんでそんないい匂いさせてるの? いつもの安物のシャンプーじゃない。リンスも使ってる。それに香水の匂いもする。……気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い! 発情期なの!?』

 そう言って、あの子は私から私を奪おうとするその香りを否定して、汚らわしい香りで上塗りした。

 ただの仕打ちだ。

 ただのいじめだ。

 けれども、それでも、私にとっては救いであった。

『いい!? あんたはね、黒川唯はね! 地味で根暗なチビガリで! オシャレとは無縁なの! もし髪を染めてきたら丸刈りにしてやるし、ネイルをしてきたら爪ごと剥がしてやる! わかった!? わかったなら返事なさい、そしたら離してあげる!』

 たとえ嫌悪に満ち満ちた瞳であろうとも、私を見てない、あの虚ろな瞳よりずっと。

 あの頃、私を真正面から見てくれたのは、あの子しかいなかった。

 そうだ、私は地味で根暗なチビガリで、母さんではない。

 私は黒川優子ではなくて、黒川唯だ。

 断言しよう、私はあの子に救われたのだと。

 けれども、その蜜月は続かなくて。

 私が中学校を卒業したあの日の夜、致命的なことがあって。

 私は黒川優子になった。

 髪はバッサリと切ったし、利き手だって左から右に矯正されたし、似合わない笑顔も、学業の優秀さも、全部が全部、母親の真似事として強制されたものだった。

 私は母の生き写しとして、父のために生きている。

「……ほんと、そっくり」

 自室、殺風景な、私だけの空間。

 そこぽつんと佇む、母が使っていた化粧台。

 その鏡に映るその顔は、絶望的なまでに母の若い頃に似ていて。

 そこには自分なんてものは欠片もなくて、ただ他人のために消費される哀れな女が映っているだけだった。

「入るよ、優子」

 ノックとともに、父が部屋に入ってくる。

 もはや、二人きりのときはこの名でしか私は呼ばれない。

「……どうしたの、浩一さん」

 そして私もまた、この名で呼ぶことを強制される。

 ああ、気持ち悪い。

「午前中に来てた子、随分と激しく口論してたようだけど、一体何があったんだい?」

 いいながら、馴れ馴れしく私の肩を抱いてくる。

 いつものこと。

 その目は黒川優子を見ていて。

 かつての父が私をどういった目で見ていたか、今では思い出すことは出来ない。

 きっと、私を見てないから、私の軽蔑の眼差しにだって気づかない。

 ああ、本当に気持ち悪い。

「……別に、ちょっとした行き違いがあって――」

 私の言葉を遮って、玄関のチャイムが鳴った。

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