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29:写真にヤキモチ

 ケーリィンとプラナ市長の面談から翌日。各新聞社の夕刊を飾ったのは、開花の舞を踊るケーリィンと、皆で「なんちゃって社交ダンス」に興じている写真だった。

 ディングレイを跪かせていた、女帝もどきの写真が載らなくて本当に良かった、とケーリィンは心底安堵する。 あの写真を聖域関係者に見られれば、今度こそ間違いなく、羞恥心で蒸発してしまうだろう。


「お、よく撮れてるな」

 ケーリィンの密かな苦悩などどこ吹く風で、横から新聞を覗き込んだディングレイは呑気にそう言う。

「ほんと、まともな写真が使われてホッとしましたよね」

 つい、言葉にトゲが生えてしまう。意外そうに、ディングレイは眉を片方持ち上げた。

「なんだ、機嫌悪いのか? 腹減ったか?」

「そうじゃないです」


 どうして不機嫌=空腹になるんだ、と更にいらだった。

 あんな恥ずかしいことをしたのに、平然としているのも忌々しい。

 その勢いのまま、叩き棒で分厚い牛肉を殴打する。

「やっぱ腹減ってんじゃねぇか。リィン、ほら」

「ちが――んんっ!」

 ニヤリとしたディングレイは、へらでかき混ぜ途中のマッシュポテトを指で掬い取り、抗弁しようとしたケーリィンの口へ突っ込む。


 耳と言わず鎖骨まで赤くなったケーリィンだったが、滑らかな舌触りのマッシュポテトはとても美味しかった。

「……レイさんなんて、きらい」

 茹だった頭では文句も浮かばず、結局口から出たのは子どものような悪口だった。

 彼女は唇も尖らせているので、お手本の如き拗ねた子供っぷりである。

 が、そんな悪口がディングレイに通用するはずもなく。

「嘘つけ。で、旨かったか?」

「……うん」

 にんまり笑われてついでに頭も撫でられ、結局丸め込まれた。


 悔しくて再度、肉を連打していると、パンと調味料の買い出しに出ていたロールドが戻る。

「おやおや。ケーリィンちゃん、あんまりお肉を叩きすぎるとペラペラになってしまうよ」

「あ、ごめんなさい!」

 ケーリィンは慌てて肉叩き棒を手放す。その様子に、ロールドは大口を開けて笑った。

「構わん、構わん。どうせレイ君に、ちょっかいを出されたんじゃろう?」

「えっと……」

 こちらのおじい様は、千里眼をお持ちなのだろうか。ケーリィンは答えに窮する。


 うろたえる彼女の態度は雄弁で、ロールドは呆れたようにディングレイをねめつける。

「お前さんも、ようよう嫉妬深いのう」

「そんなんじゃねぇよ」

 舌打ち交じりのディングレイが、そう吐き捨てた。

 エイルから「死神のよう」と評される彼の仏頂面だが、もちろんロールドには効かない。

「ケーリィンちゃんや。コイツはの、やきもきしておるんじゃよ」

「やきもき、ですか?」

「てめっ、何言っ――」


 先ほどのケーリィンよろしく、がなろうと大口を開けたディングレイ目がけて、長いバゲットが突っ込まれた。容赦なく突き入れられたので、さぞかし痛かろう。

 おまけにマッシュポテトと違い、固形物だ。


 彼がむせている間に、ロールドは続ける。

「ケーリィンちゃんが踊っている時に、新聞記者共が鼻の下を伸ばして写真を、それもきわどい位置から撮っていたらしくてな」

 中には床に突っ伏し、スカートの中を撮ろうとした連中もいたという。

 さすがにそれは、市庁舎職員が制止したらしいが。


 薄気味悪さで、ケーリィンは青ざめる。思わず、自分の体を抱きしめた。

「そんなのわたし、知らなかったです……」

「リィンは気付いてなかったんだ、言う必要ねぇだろ」

 喉を抑えつつ、空咳混じりのディングレイが割り込む。

 彼の口にねじ込まれたバゲットは、三分の二程の長さになっていた。この短時間で噛んで飲み込んだのか、とケーリィンは場違いに驚愕してしまった。


 己の顎を撫でたロールドは、いつになく冷ややかな目を彼へ向けた。

「しかしお前さん。不埒な記者を牽制するように、わざとらしーくケーリィンちゃんのお靴まで履かせたらしいじゃないか。足をなでなでして、いやらしいのぅ」

「撫でてねぇ! どこ情報だよ!」

 褐色の肌でも隠し切れないぐらい、ディングレイは赤くなった。


 冷静さを遠くへ忘れて来た彼の姿に、ケーリィンはかえって落ち着きを取り戻し、情報源を模索する。

 おそらく、いや絶対にリズーリであろう。あることないことも付加している辺り。

 

 当事者のケーリィンとしては、彼の意味不明なあの行動が記者たちへの牽制だったならば、すとんと納得できた。

 手ずから靴を履かせることで、彼らに無言の宣告をしていたわけだ。

「当代の舞姫と護剣士の結びつきは強固だ。彼女に恥をかかせるような、写真を使おうなどと思うな」

と。

 自分はずっとパンチラを拝んでいたくせに、と思わなくもないが。


 焦りに焦る、なんとも珍しいディングレイが面白いのか、ロールドの口はますます滑らかに動いた。

「おまけに新聞社にも電話して、二重に釘を刺してのぅ……心配性というか、独占欲が強いというか、嫉妬の塊というか、幼稚というか……いやはや」

 なおも続く揶揄は、残りのバゲットで食い止められた。

「あぐぁ!」

「おじいさーん!」

 護剣士の腕力でねじこまれたのだ。そりゃ痛かろう。

 ケーリィンも思わず悲鳴を上げ、パンを吐き出して咳き込む彼の背中をさすった。


 舌打ちを一つして、ディングレイは上着と財布を手に取る。

「パン、買いなおしてくる」

 むっつりそう言い、大股で食堂を出る。その背中を、小走りのケーリィンが追った。

 まだロールドはゼーゼー言っていたが、顎も外れていないようなので、恐らく死にはしない。この際後回しである。


「あの、レイさん!」

 ケーリィンはどうにか玄関前の広間で追いつき、彼の袖口を掴む。

「……なんだよ」

 振り返ったディングレイは先ほどのケーリィンのように、ムッスリと拗ねていた。「可愛いなぁ」と、不意にケーリィンの母性本能めいたものが疼く。


 彼への想いで頬を紅潮させ、ケーリィンは大きな手を取った。絡めた指先に、少しだけ力を込める。

「あのね、写真のこと。ありがとうございます」

「どう、いたしまして」

 への字口になるが、ディングレイの顔は険のない表情に変わる。

 ほっと笑った彼女の鼻を、ディングレイは空いている方の手で優しくつまんだ。

「ぴゃっ」

「やっぱ変な鳴き声だな」

 そう言って人の悪い笑みを浮かべると、繋がっていた手を名残惜しそうに解いた。最後にケーリィンの手の甲を、指でくすぐって。


 その感触に、ついケーリィンは笑った。微笑む彼女を見下ろし、ディングレイも口角を持ち上げる。

「じゃ、行って来る」

「はい、行ってらっしゃい」

 ケーリィンは手を振り、彼を見送った。


 鼻先や手の甲に残る感触によって顔が緩んでしまうが、料理はまだまだ途中だ。

 今晩の食事には、舞曲を演奏してくれる楽団員も招待しているのだ。腕によりをかけなければ。

 ケーリィンは未だにむせていたロールドに水を飲ませ、改めて調理を再開する。

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