硯
客「絵師 絵描きじゃ」
亭「ああ 絵描きさんか 絵描きてなものは… 困ったな
どうしたら良いのかな」
客「どうすればよいかのう これは困ったもんじゃ」
亭「あんた ひとごとみたいに言うてるのやおまへんで
それで どんな絵を描きますのや」
客「うん 女 子供の喜ぶような絵も描けるが そうじゃ
今その表具屋が衝立を張り替えたとか申したな
それへ絵を描いてやろうか」
亭「ええ」
客「何処にあるか」
亭「そら 隣の部屋に そっちの座敷においておますのやから
ああ 白紙やったらあれでもちょっとは値打ちがあるが
おかしなもの描かれたら また張り替えるのに」
客「そのような馬鹿なことは無い みせてみい
うーん なるほど
ああ こりゃなかなかの良い仕事がしてあるな
一文無しという奴はなかなか腕が確かじゃ」
亭「おかしなことを言わんように あんた」
客「よし これに絵を描いてやろう」
亭「まあ ほなら それでもしてまいりまひょ」
客「硯をもってまいれ これへ…
ああ このような筆や墨は要らん
筆や墨は儂が持っておるから
この硯には 安物の墨がこびりついておる
綺麗に洗ってまいれ それから 清らかな水を一杯」
亭「…偉そうに言い寄るな」
客「洗ってまいったか それへ置け
亭主 この墨を渡すでな ゆっくりとこれをすりおろせ」
亭「なんで 儂が墨をすすらなならん」
客「いやいや 墨をするというのは こりゃ大変じゃ
儂が墨をすっておったんでは手がくたびれて
筆がふるえるといかん お前そこですれ」
亭「あーあー 墨すらされるのかいな いやになってきたな」
客「これこれ そのように力を入れてすってはいかんぞ
力をもっと抜いて 柔らかに柔らかにすりおろしていくのじゃ」
亭「あああ これはなかなか 良い匂いがしますな
こりゃええ香りや」
客「おお鼻だけは一人前じゃな」
亭「あほらしくなってきたわ…これぐらいでよろしいか」
客「うむ よかろう さて何を描こうか」
横倒しにして寝かした衝立を暫くにらんでおりますと
筆をとるとツツツツツツツツ
早い事
客「…できたぞ 我ながら これは さあよく描けた」




