竜退治
その男は剣術が好きでした
既に都で勇猛果敢な武将として名を馳せていました
ですが竜を倒したことが無い
有る時 古い山寺に竜を倒す術を持つ僧侶がいると聞き
竜退治の術を学びました
「今から千日 私の術で繰り出す 幻の竜を倒し続けろ」
三年の歳月と 千金の財産をつぎ込み
「そなたは幻とはいえ千匹の竜を毎日倒し続けた
本物の竜が現れたとて 必ず倒すことはできるだろう」
ついにその技を習得して山を降りました
「竜を見つけて試してみるぞ」
意気揚々に山を降り
竜の伝説の残る場所を隈なく歩き
天下中幾年月探し歩いても見つからない
「竜よ!何処にいるのだ!」
其の言葉を残し男はこの世を去ったのです
とある城下町 小さな宿屋がありました
その宿屋の前に年の頃は三十手前という若い男が
着ている服装が如何にもみすぼらしい
元からそんな色ではなかったはずですが
もう長い年月 日に当たり雨に打たれて風にさらされて
黒い色が羊羹色になってます
客「すまんが」
亭「へい、おこしやす」
客「しばらく滞在したいが」
亭「有難うございます。どうぞお泊りを」
客「この城下町は風光明媚で なかなか景色の良い処が多いな
名所古跡も数多くある。
う~ん 四、五日と思っているが
事によっては十日余りになるかもしれん
そうなれば金をそれなりの金額先に預けておく方がよかろう?」
亭「いいえ こんなつまらない宿屋
お勘定は旅立ちの時纏めていただけたら結構でございます」
客「ああ 左様か 儂は食べ物の事はとやかく申さん
酒だけは良いものを用意してほしい」
亭「へい こんな吹けば飛ぶような宿屋ではありますが
お酒だけは上酒を吟味して用意しております」
客「それは結構だ しからば厄介になろう」
亭「どうぞ おあがりを」
そういうと二階の部屋に上がっていきます
客「亭主 風呂は沸いているかな」
亭「ただいま沸いております」
客「旅の埃を洗い流してまいるか
湯から上がると一献かたむけたいが
酒を一升用意しておいてくれ」
亭「一升…よく飲む人やな」
風呂から上がりますと 晩飯の膳の上並んでる肴をあてに
湯呑でぐびり ぐびりと一升きれいに平らげまして
ごろっと横になって寝てしまいまして
あくる朝は わりと早く目を覚ましますと
朝飯を食べまして
客「ああ ちいと腹ごなしにその辺をぶらぶらしてまいる」
散歩に出かけますとお昼過ぎぐらいに帰ってきて
客「ああ くたびれた 腹が減った
昼飯が食いたいので 五合ほど用意してくれ」
亭「ええ 昼間っから五合も飲むんかいな」
五合の酒を飲み干し
またごろっと横になりぐうぐうと昼寝
夕方になりまして
亭「お客さん もう日が暮れまして お風呂が沸いております」
客「それは結構 湯から上がったら 一升用意しておいてくれ」
風呂から上がって また一升飲んで
ぐうぐうとまた寝てしまいます
次の日の朝も
一升五合も昨日飲んで大丈夫かなと 思うておりますと
平気な顔をして起きてまいります
客「亭主や 朝飯食うぞ」
亭「へい…えらい寝起きのいいひとやな」
朝飯を食べ終わりますと
客「腹ごなしに ちょっとぶらぶら歩いてまいる」
そうして散歩に出かけ 昼過ぎに帰ってくると
客「腹が減ったぞ 五合用意してくれ」
五合の酒を飲んでぐうぐうと昼寝をします
日が暮れて起きて風呂から上がると
また一升飲み干してしまいます
次の日の朝も朝飯を食べると
客「腹ごなしに ちいとぶらぶらしてくる」
帰ってくると
客「五合用意をいたせ」
晩は一升
次の日も
次の日も
毎日一升五合の酒を平らげて
いっこうに旅立ちをしようとしません
女房がボチボチ ぐずぐず言いだしまして
女「ちょっとあんた 二階の客 あれはなんですねん」
亭「二階の客て…」
女「あのヒョロヒョロした客」
亭「ちょっとまてや ヒョロヒョロした客て」
女「二階のあの汚い服着てる客
あの得体のしれない客
あの着ているもの何やねん
どうにかこうにかの服装やで
ヒョロヒョロしてこけたら避けそうな服
袖つかんだらビリって避けそうな服
そやさかい ヒョロヒョロした客や」
亭「そないえげつないいいかたしたりなや」
女「毎日毎日仰山仰山酒ばかり飲んで
いっぺん一度勘定してもらっておいで
勘定をしてもらっておいでて いうてるねん」
亭「また 立つときにな」
女「何言うてるねん
こんなのん待ってたら何時になるか解らんがな
うちは五日目ごとにもうてますて
勘定をしてもらっておいでていうてるねん」
亭「それがそういうわけにはいかんのや」
女「何でや」
亭「泊まる時最初にな
旅立ちの時纏めていただきますから
結構ですて儂いうてもうたがな」
女「何言うてるねん あんた…
相手の顔を見ていいなはれ そんなことな
あれは金持ってへんで」
亭「そんなことはないわな」
女「なにいうてますねん
私はな ここの宿屋で生まれ育ってるさかい
小さい時からズット客の顔を見て大きくなってるんや
あんたは途中から来た養子や」
亭「養子 養子ていうな」
女「物の道理をいうてるねん 私が睨んだら間違いない
そこそこ金持ってる客か 一文無しか
私が睨んだら間違いないわ」
亭「そんな一文無しっていうこと無いやろ
大きなこと言うてるで」
女「大きな事言うのが危ないのや
あんたはそんなことも解らへんのやさかい
あの客 貧乏神やで 貧乏神に見込まれるって
あんたの貧乏性やさかいや
勘定が言いにくかったら
酒代だけでも現金でおますさかいに
酒代だけでも払ってくれて言うておいで
またぶらぶらと出て行ってもうたらかなわんさかい
今行って捕まえておいで」
亭「仕方ないな…お客さん」
客「おう 亭主 今日もいい天気じゃな」
亭「へえへえ お天気は結構ですが ちょっとお願いが」
客「なんじゃ」
亭「いえ あのお勘定のほうは出立の時で
まとめていただきたいというので結構ですが
実は酒屋が現金でしてな あの上酒を切らさんようにするには
お金を持っていかななりまへんのや で
酒代だけでも一つ
お下げ渡しをいただきたいものと」
客「ああ 勘定の事を申しておるのか
うーん今日までの宿代はみんなひっくるめてどれほどになるかな」
亭「いえ 酒代だけで結構でございます」
客「いやいや同じ事じゃ もう六日目になる
まとめてどれくらいかな」
亭「ええ有難うございます なんじゃかんじゃで纏めて
一両三分になります」
客「ふーん 酒代もみんなまとめて一両三分か それは安いな」
亭「お安くなっとります」
客「うん それならばお茶代も加えて 二両もあればよいな」
亭「はあ さいでおます ありがとうさんでございます」
客「ところがそれが無いのじゃ」
亭「ええ」
客「持ち合わせがないのじゃ」
亭「無い…ともうしますと」
客「なーんもない 一文無しじゃ はははははははは」
亭「笑いごとやおまへんがな あんた
お泊りの時に 金を五十両も預けておけばよかろうにと
おっしゃいましたが」
客「ああ 預けておけば よかろうなあと 思うたので
そういうたまでじゃ」
亭「…そんなあほな事があるかいな
ほな 最初から一文無しで泊まってはったのか」
客「まあまあ 何とかなると思うて」
亭「何ともなりますかいな」
客「いやいや そうともかぎらん
まるっきり当ても無しに泊まったわけでもない」
亭「何か当てがありましたんか」
客「当ては三つあった」
亭「三つも…」
客「こうやって逗留して毎日ぶらぶらしてる間に
何処かでお金を拾わんとも限らん それが一つ」
亭「頼りない一つやな」
客「それから人間は老少不定じゃ
儂が逗留中に死ぬことが無いとは言えん
そうすれば勘定は払わんでも済むなあ
これが二つじゃ」
亭「はあ 心細い二つですな
そしたら三つめは」
客「お前たち一家が死に絶えたら払わんでも立てる」
亭「な 何をいうのや この人は
うだうだおっしゃらぬように もし…何とか」
客「それが何ともならん」
亭「弱ったな 本当にあんたは ええ 勘定が払えなんだら
着物や持ち物を抵当に入れてもんやが
まあ この着物では 何処の古着屋へ持っていっても
銭にはなるまいな うーん
前に 表具屋が泊まったなあ あれは勘定が無かったが
あの時はちょうど衝立がボロボロになってたんで
あれを張り替えさせたが
あれで勘定の抵当に仕事をさせたてなもんやったが
うちはよう 一文無しがよく泊まるなあ
嫁が貧乏性屋と言うたはずや
お客さん あんたはいったい商売はなにでんねん」
客「わしは絵師じゃ」
亭「え」
客「絵師 絵描きじゃ」
亭「ああ 絵描きさんか 絵描きてなものは… 困ったな
どうしたら良いのかな」
客「どうすればよいかのう これは困ったもんじゃ」
亭「あんた ひとごとみたいに言うてるのやおまへんで
それで どんな絵を描きますのや」
客「うん 女 子供の喜ぶような絵も描けるが そうじゃ
今その表具屋が衝立を張り替えたとか申したな
それへ絵を描いてやろうか」
亭「ええ」
客「何処にあるか」
亭「そら 隣の部屋に そっちの座敷においておますのやから
ああ 白紙やったらあれでもちょっとは値打ちがあるが
おかしなもの描かれたら また張り替えるのに」
客「そのような馬鹿なことは無い みせてみい
うーん なるほど
ああ こりゃなかなかの良い仕事がしてあるな
一文無しという奴はなかなか腕が確かじゃ」
亭「おかしなことを言わんように あんた」
客「よし これに絵を描いてやろう」
亭「まあ ほなら それでもしてまいりまひょ」
客「硯をもってまいれ これへ…
ああ このような筆や墨は要らん
筆や墨は儂が持っておるから
この硯には 安物の墨がこびりついておる
綺麗に洗ってまいれ それから 清らかな水を一杯」
亭「…偉そうに言い寄るな」
客「洗ってまいったか それへ置け
亭主 この墨を渡すでな ゆっくりとこれをすりおろせ」
亭「なんで 儂が墨をすすらなならん」
客「いやいや 墨をするというのは こりゃ大変じゃ
儂が墨をすっておったんでは手がくたびれて
筆がふるえるといかん お前そこですれ」
亭「あーあー 墨すらされるのかいな いやになってきたな」
客「これこれ そのように力を入れてすってはいかんぞ
力をもっと抜いて 柔らかに柔らかにすりおろしていくのじゃ」
亭「あああ これはなかなか 良い匂いがしますな
こりゃええ香りや」
客「おお鼻だけは一人前じゃな」
亭「あほらしくなってきたわ…これぐらいでよろしいか」
客「うむ よかろう さて何を描こうか」
横倒しにして寝かした衝立を暫くにらんでおりますと
筆をとるとツツツツツツツツ
早い事
客「…できたぞ 我ながら これは さあよく描けた」
亭「ええ これは一体何です」
客「うんこれは解らんか
お前の顔の真ん中に二つ光っている者があるのはなんじゃ」
亭「ええこれは目です」
客「見える目か 見えない目なら くりぬいて陰干しにでもしておけ
煙草入れの帯締めにはなる これは雀じゃ」
亭「雀… ははあ なるほど雀やと言われると ほんに雀
ははあ なるほど ちょっとこう風に逆らって飛んでいるようなところか
ほう 雀にだんだん見えてきた これで終いですか」
客「余分なものを描いては せっかくの雀が何にもならん
これでよい」
亭「一 二 三 四 五 なんです
雀五羽で二両… 近所の焼鳥屋へ行ってみなはれ 二百文も出したら
食いきれんほど雀が」
客「そんなものと一緒にするな これはその方にやるのではない
宿賃の抵当に描いてつかわした これを売れと申すものがあっても
わしがまた参るまで売ることはならんぞ
これは二両の抵当に置いてまいるのじゃ」
亭「誰がこんなもの買うというかい」
客「厄介になったな」
というと出立しました
女「そやさかい わてが言うたとおりやろう
あんなもんが金を持ってるわけがない
こんなわけのわからん絵を描きやがって」
その晩は夫婦喧嘩で おかみさんは不貞寝をしてしまう
朝になっても起きません しょうがないから亭主
ぼやきながら二階へ上がってまいりまして
雨戸をガラガラガラと開けると
朝日がサアーと射しまして
そうすると チュチュチュチュ チチチチ
バタバタバタ チュチュチュチュ
バタバタバタ
亭「なんじゃい 部屋の中に雀かなんか暴れてるがな
誰が閉め込んだんや どうもならんがな
その辺糞だらけにされてるに違いないわ」
障子を開けますと 五羽の雀が乱れ飛んでます
亭「あれ 仰山の雀やな」
廊下の方へ飛び出してくると 開け放った雨戸から外へ出て
朝日に当たって暫くチィチィチィチィと鳴いたかと思うと
一羽がすう―と部屋に戻るとみんな続いてパタパタパタパタと
ハット見たら衝立に納まってしもうた
亭主はびっくり仰天
亭「おおい おおい」
女「まあ あんた どないしたんやいな」
亭「す す す す す す 雀が 」
女「何やて 衝立の絵の雀が抜け出て あほな事言いなさんな
まあ 朝日がカンカンと照った良いお天気やのに
何を寝ぼけた事を言うてるねん」
亭「いや ほんまや 雀が 」
女「とうとう 頭がおかしくなってしもうたか この人」
二階へ上がって衝立を見ても
べつに変わったことはありません
女「何も飛び出したりしてへんから」
亭「お前 そんなこと言うのやったら
明日の朝 二階へ上がって雨戸をあけてみ」
おかみさんは次の日 二階へ上がって 雨戸を開けると
朝日がさっーと射し込むと チチチチチチ バタバタバタバタ
女「あんた すすすすすす 雀が」
亭「同じになりやがった」
女「あーあーあーあー あんたこらえらいこっちゃ」
亭「それ見てみい 嘘やなかろう
言うたとおりになったやろ」
さて これがえらい評判になってこの宿屋に行って
一ぺんその雀を見てこようという客が増えて
もうえらい繁盛
お城の殿様が評判を聞いて
一度その雀を見たいとやってまいりました 衝立をみて
殿「ウーン これは稀代の名作 千両にて買い上げてつかわそう」
亭「千両 かたじけない事ではござりますが
実はこれは描きました絵師と約束いたしまして
今度私がやってくるまで売ることはならんぞと言われまして
もう一度あの絵描きさんが来るまで
お売りするわけにはまいりません」
殿「さようか しからばその絵師が参ったならば
必ず城中へ届けでるように」
千両の値が付いたというので また候
噂は広まりまして近郷近在はもちろん
よその土地からもやってまいります
壱「相部屋でも何でも結構でな その雀
朝日に当たって飛ぶところが見たいので
なんとかお部屋をとってもらえませんかな」
亭「それがどの部屋も ぎーっしりでなあ
今日はまた廊下にまでお客さんが布団をしいて
寝るとおっしゃってございますので」
弐「どっか 空いているところはおまへんか」
壱「階段やったら空いてるやろ」
弐「階段に腰かけて朝まで待つとか」
参「私も」
亭「もう今日は階段まで満員になるとわ」
便所に泊まるわけにはいかないが
次から次へと客が来る
甲「宿屋はこちらでございますか」
乙「宿屋はこちらで」
丙「雀のお宿はどこじゃ」
舌きり雀みたいな騒ぎになって
宿屋はおかげで大繁盛でございます
ある日の事六十を越えた年輩の上品な老人
老「許せ 一晩厄介になりたいが」