逆転
ニンゲン殺処分
2XXX年、保健所はニンゲンで溢れていた。飼い主によるニンゲンの飼育放棄は社会問題化して久しい。
殺処分がマスコミに連日のように取り上げられ、怒りの声が保健所に向けられている。施設の外では今朝からイヌの市民団体が抗議の声を上げている。
保健所の責任犬、ドーベル所長が重い腰を上げた。
「今日も執行しなければならないのか。我々の仕事の意義とは何かと考えさせられるよ。まあ、考えるだけ無駄なのだが」
「ここは感情を殺さないといけませんよ、所長。いちいち反応していたら仕事が進みませんから」
トイプートル次長が気遣うように言った。”気遣いのトイプードル”の異名を持つ次長は痒いところに手が届くサポートがあったからこそ、所長の目に止まり、次長まで出世を果たすことができた。
ドーベル所長は温厚な性格の持ち主ではあるが、一旦キレると歯止めが利かない。危険を事前に察知して食い止めるのが次長の役割でもある。
1年前にはニンゲン50人を噛み殺してしまった事実があるだけに、ドーベル所長は”国”からマークされてるようになってしまった。
「市民団体への対応は私に任せてください。マスコミが来る前に追い払います。また以前のように新聞に取り上げれては面倒ですからね」
「殺処分は午前10時執行だから抜かりなく頼むぞ、次長」
時計の針が9時を指した。刑の執行を担当するハスキー所員らが準備を始めた。シェルターに収容されているニンゲン10人を移動させた。その間、彼らは目隠しをされている。
ニンゲンが暴れ始めた。イヌのような動物的感覚はないとはいえ、彼らもさすがに死期が迫っていることを感じ始めたようである。
「ここから出せ!助けてくれ!」
必死の形相でニンゲンたちがイヌにすがる。が、イヌにはその言葉が分からない。
「うるさい!暴れるな」
ハスキー所員らは彼らを沈めるため、その鋭い歯で噛み付いた。肩から血がポタポタと垂れる。
「次長、用意完了です」
「よし。執行せよ」
殺風景な密室におぞましい音が流れ始めた。
現実
外からスズメの鳴き声が聞こえる。朝4時である。太郎の寝間着は汗でビショビショになっていた。
「夢か」
恐ろしい夢だった。3ヶ月前までドーベルマンとハスキー犬、トイプードルを飼っていたが、父親が会社をリストラされて多頭飼育崩壊に遭った。イヌ3頭は父親が隣の県の山に捨ててきた。
それ以来、飼っていたイヌの夢を見るようになった。あの子たちは今頃、何をしているのだろうかとたまに考えたりしてしまう。毎晩のように罪悪感でうなされては目覚め、寝不足が続いてるため、いい加減、疲れたきた。
バイト中に寝そうになることは何度もあった。昨年、太郎は通っていた大学を経済的理由により退学せざるを得なくなり、今はバイト1本で生活している。
10年ほど前までペットブームで多くの家庭でイヌが飼われたが、バブル崩壊で不景気になると飼い主たちがペットを放棄するようになった。
彼らの中で優先順位として最も早く手放したいのが、金と手間のかかるイヌやネコなどのペットだったのである。そして、太郎一家も同じ道を辿った。
日本のペットビジネスと飼い主の責任感のなさは欧米から批判されており、その声は一層高まっていた。ペット販売の実情はあまりにも酷い。
儲けを見込んでブリーダー人気が過熱。ドイツなど欧州の基準をはるかに下回る年齢で雌犬に産ませ、2度目も規定を破っての出産。
母犬は心身を病み、親犬が無理な交配を繰り返したばかりに子犬は身体のバランスがおかしくなり、若くして病気になる異常な現象が頻発するようになった。
不景気の到来とともに、犬の飼育を放置するブリーダーの数が目立ち始め、買い手はおらず、産めば産むほど赤字になる悪循環。子犬の行く先はなくなり、その行き先は言わずもがな、である。
身勝手なニンゲンに振り回され、犠牲となった多くの生命はあの世で何を思うか。
胸の内
太郎は牛丼屋で朝から夜までバイトである。時給900円では1日10時間働いても月収はわずか。一人暮らしなど無理な話。まして結婚など夢のまた夢。
未来に希望を持てぬ絶望的な状況でも、働き続けないといけない理不尽さを感じながらも、毎日を何とか過ごした。
バイトを終えた太郎は、駅近くのスーパーでカニクリームコロッケとメンチカツコロッケをふたつずつ、それとポテトサラダの大きいのをひとつ買った。普段は小さいサイズで済ませるのだが、今晩は久しぶりに父と食事なのでちょっと贅沢にと、いつもと違うのにした。ポテトサラダは父の好物だ。
太郎の父、一郎はリストラされるまでは一般企業に勤めていた。バブル崩壊で不動産価格が急落。会社の資産価値が急減し、多くの取引先企業の経営状況が悪化。さらには銀行から早期の債務返済を要求されたため、一郎の会社は苦しい状況に追いつめられた。
もはや会社には全社員の給与を支払う体力がない。事業再編の名目で50歳以上の社員は、早期退職の勧告、つまり事実上のクビを宣告されることになった。
一郎もその非情を知ることになった。
一郎はいま再就職活動中で毎日のように職安に通い詰めていたが、これといった成果はない。不幸中の幸いで、家のローンはほぼ完済していた。
太郎が自宅に帰ってきた。
「ただいま」
「お帰り。どうだった、バイトは?」
「いや、世の中、景気が悪くなっているっていうけど、牛丼屋は客が増える一方で大変だよ。まあ、サラリーマンの小遣いが減ってるからなんだろうけどさ。親父もたまに牛丼食ってただろ?」
「まあな。で、太郎はいつまでバイト続けるのか? 社員になるとかないのか。俺が聞くのも何だが」
「こういう閉塞感で溢れた雰囲気はもうゴメンなんだよね。ワケも分からず、辛いですっていう空気。もうちょっと、パーっと笑顔で生きられないのかな、みんな。悲壮感漂わせていて、見ているオレも嫌になるんだよ」
実は太郎には温めていた考えがあった。
太郎は小さい頃から動物好きだった。父が犬を山に捨ててから1年経つものの、いまだに心の傷は癒えない。今ごろ、何をしているのだろうか、という考えがよぎることはしばしばある。
タバコを吸うとき、電車から見える外の景色に視線を移したとき、寝る直前……。ちょっとした心のスキを愛くるしい彼らの顔が突いてくる。
牧場のような広大な土地、自然の中で犬を放し飼いーー。それが今の僕の夢だ。あまりに現実離れしているので封印していたが、もし、彼らが生きているならば、もう一度、そこで共に暮らしたい。思いを父に打ち明けた。
「急に何だ⁉︎ そんなこと考えていたのか、お前は。オレが決める権利はないし、太郎の人生なんだから、自分が心の底から望んでいることをするんだ。
それで太郎が幸せになれるなら、サポートさせてもらうぞ。とはいえ牧場って借りれるのか? それとも住み込みか?」
正直、借りられるかどうかなんて何も調べておらず、それにお金もない。そこで仕事をしながら、犬と暮らせれば本望だ。
太郎は保健所に問い合わせた。が、1年も経っているなら、里親に引き取られたか、あるいは殺処分されたとのことだ。確認する手立てはないという。こういう結果になるとは分かっていても、実際に知らされると胸が苦しくなる。
どこかの国の言葉で、動物への対応でその国の成熟度が分かる、というのがある。日本は、というよりも私はまだ未熟のままである。
せめて、僕に何か恩返しができないだろうか、と太郎は考えていたが、その答えが自然あふれる大地での放し飼いだ。
住み込みで働かせてくれるところはないだろうか。牧場といえば牛の乳を搾って牛乳やチーズを作っているというイメージはあるが、中には羊やヤギ、馬と様々な動物がいて、観光客相手に商売をしているところもあるかもしれない。そこで犬を放し飼いにさせる。これだと合点がいった太郎は、田舎のとある牧場に電話を入れた。
クイーン
イヌ王国を治めるのはミニチュア・シュナウザー女王3世で現在5歳。心身ともに充実した時を迎え、自ら先頭に立ち国の統治に専念している。イヌ王国が誕生したのはいまから25年前のことだ。イヌたちが反乱を起こしニンゲン世界を倒した。立場が逆転した。飼われる側から飼う側に。
飼われる側の時代、ニンゲンによるイヌ殺処分は年々増加していった。ニンゲンに商売として勝手に”製造”されては飼い主たちに見栄えやマナーが悪いと捨てられ、毎年1000万頭が命を絶たれた。イヌ版大虐殺と言っていいだろう。
かつてニンゲン同士で争いがあっととき、600万人が迫害、殺戮されたがその比ではない。愛のないニンゲンの身勝手な判断ひとつで運命を終える。共存社会とは名ばかりで、ヒエラルキーのトップに君臨するのはニンゲンによって命運を握られ、イヌは都合の良い相手に過ぎなかったのである。
寛大な心を持つイヌたちであったが、ついに怒りは沸点に達し立ち上がった。イヌだけではない。ウマ、トラ、ライオン、ゾウ、カラス、トンビ、ネコなどあらゆる生き物たちが賛同の意を表し、ニンゲン社会を急襲。田畑を荒らし、食料を食い尽くし、インフラを破壊し尽くした。
電気、ガス、水道、食料と生活の根本に関わるものを無と化し、ニンゲンも食い千切り、息の根を止めた。そして、イヌが頂点に立ち、生き残ったニンゲンは下僕となった。そして、イヌ世界が誕生した。
身体は小さいながらも、リーダーの気質を持ったミニチュア・シュナウザーが女王に君臨。他のイヌたちは自然と彼女に従うようになった。女王の名はソナという。狩りが得意で、空き時間には側近のバーニーズ・マウンテンドッグのミニヨンを伴い森に出た。
狙うはニンゲン。彼らから武器を取り上げ、そして凶器になりうるものを所有することを法律で禁じられているので、脅威となり得る存在ではない。逃げ足は遅く、見つけさえすれば容易に仕留めることができる。容易な獲物ではあるが、運動不足を解消するには丁度いい。
「ソナ様、もう少し歩を緩めてくだされ。いくら私が荷物を運ぶのが得意と言っても、これではいささか重すぎます。銃など必要ないではござらんか」
「ミニヨン、すまぬ。どうも狩りになるとテンションが上がってしまって、つい早歩きになってしまうのだよ。無論、銃など必要ないが、雰囲気が出ていいではないか」
「毎度のことではありますが、ニンゲンを仕留めたら、持って帰らねばなりませんので、そのあたりもご考慮いただけますと幸いです」
「お前は相変わらず口がうるさいな。そろそろ匂いつきの松明を灯せ。これで誘きよせるのだ。奴らは腹を空かせているからな」
ミニヨンが松明に火を点けた。ニンゲンが好きなスープの匂いを醸し出し始めた。捕らわれたニンゲンは巨大な鍋に入れられ、食われてしまうのだが、そんなことを彼らは露ほども知らず、誘き寄せられる。
草を踏む音が50メートルほど先から聞こえ、ニンゲン独特の臭いが女王と側近の嗅覚を刺激した。
「現れましたな」
ミニヨンがそう言った刹那、女王が抜群の瞬発力で猛ダッシュ。ミニヨンは荷物を置き、女王の右45度を駆け出した。風と化した彼女らは、その素早さで瞬時にニンゲンのすぐ側に達した。ようやくニンゲンが異変に気づき逃げ始めたが、時すでに遅し。動きを読んでいたミニヨンが低姿勢で待ち構えていた。
低い声でイヌたちは襲いかかり、完全に仕留めた。その間、わずか5秒だった。
初代女王は野性味あふれる気質が持ち味で、2世もそのDNAを引き継いだが、3世の「マック」は突然変異を起こしたと思わせるほど、違う才能を見せた。
販売ショップ
「売り上げはどうだ? 今月はノルマを優に超える出来であろう」
「5000万ギャリオンの大台に達しました」
マックは本業の女王の傍ら、ニンゲンショップを立ち上げてチェーン展開していた。それが見事に当たり、各地で「マック・ニンゲンショップ」は人気を博し、空前のペットブームを生み出した。女王1世の頃から極秘でニンゲンの品種改良の研究が行われ、今では100品種に達している。いまの売れ筋は「フジ」だ。
「まさか、フジが大当たりするとはな。こんなに見た目が悪いのにも関わらず。物好きな奴らもいるものだ。とはいえ、王室の金庫は潤うばかりだから文句はない」
「女王様、何をおっしゃいます。フジこそ、我々が生み出した最高傑作でございます。物静かでいて勤勉。何でも言うことを聞いてくれる、こんなに都合の良いペットがいますでしょうか。それに少食なので餌代も安上がり。究極のハイブリッドペットです」
「私は美しいのが好みなのだが、どうもこのチェリーはよく叫びうるさい。それに大食いときた。何とか、フジとチェリーの良いとこ取りをできないだろうか」
マック・ニンゲンショップは宮殿の城下町にあり、売り上げは世界トップ。それだけに女王の力の入れようは尋常ではなく、抜き打ちチェックに訪ねるときもあるという。宮殿から30キロメートル離れた郊外の工場で、ブリーダーによってニンゲンを生産している。ここは関係犬以外、立ち入り禁止となっている。
マック・ニンゲンショップの競合でニンゲン・バーゲンという会社がある。女王の遠い親戚であるシーズーのサスケがオーナーなのだが、近年はマック・ニンゲンショップに押され気味で、経営は圧迫される、厳しい状況だ。チェーン展開をしているものの、リストラですでに20店を閉鎖した。
「今月も厳しいですね、社長」
「この状況を何とか打破しないとだな。売り上げが増える見込みはないから、まずはコストを削減することから始めろ。まずはニンゲンの生産費、及び維持費だ。分かったな」
質の良いニンゲンは高値で取引されているので、経営をさらに圧迫させてしまう。コストを下げるとなると、質の悪い親犬から子を生ませることになる。そして、その子も当然クオリティは下がるが致し方ない。見栄えをできるだけ良く見せる以外に方法はない。
見た目を改良するには副作用を伴う。ある程度の年齢になると、病気を発症しやすくなるのだが、売ってしまえばそんなことは関係ないしだ。嘘も方便で買い手を騙してしまえばその場を凌げる。そんな思惑がニンゲンバーゲンの社長にはあった。オーナーが満足するような数字を出せなければ社長以下、全員、総入れ替えもありうる状況なのだから背に腹は変えられない。
社長は緊急指令という件名のメールを社員全員宛に送った。
イヌ牧場
太郎はイヌ牧場を経営するようになった。東京を出て5年。最初は牛や鶏の世話をしながらアルバイトで働き、イヌ一頭を飼った。犬種はメスのミニチュア・シュナウザーの「カイ」だった。太郎はまるで自分の子どものように可愛がった。目に入れても痛くない、とはこのこと、と自分でも思うほどの溺愛ぶりである。日中はカイを放し飼いにし、仕事を終える夕方からは家で共に過ごした。風呂もベッドもカイと一緒だった。
3年目に長期の休暇をもらい、勉強のためにドイツに行った。ヨーロッパ、特にドイツはイヌに寛容なことで知られ、殺処分はゼロ。シェルターには決まりごとが多く、人間には人権があるように、まるでイヌにイヌの権利が与えられていると思わせるほどに十分な厚遇ぶりだ。イヌを入れるスペースは最低サイズが規定され、十分な広さが確保されているのは言うまでもない。
街の歩行者天国ではノーリードで飼い主がイヌを連れて歩き、周りの人たちもそれを何とも思わず普通に歩いてる。日本とは景色が違い過ぎるのである。心のゆとりがあるとも言える。もし、日本で街中をリードなしで散歩させたらどうなるであろうか。考えただけで、日本人の心のなさが恐ろしくなり鳥肌が立つ。
日本でもドイツのようなイヌに寛容な社会を作れないだろうか。太郎は心の中で夢を描いた。イヌを変えるのではなく、人間が変わる必要がある。逆に言えば人間が変わらなければ、イヌの真の意味での幸せは訪れない。それにはまず、自分から変わらなければならない。イヌと過ごし、より理解し合うための学びが必要だが、自分の内面も磨かかなければ。心の広い、ゆとりある人への進化が必要だ。
太郎はしばらく思いにふけると、何かがすとーんと腑に落ちた気がした。あるドッグトレーナーの本に、イヌには飼い主のエネルギーが伝わると書いてあるのを思い出した。不安なら不安な気持ちが伝わり、楽しければ楽しい気持ちがイヌへ伝染する。母犬のような毅然として落ちついたエネルギーをいつも発し、それを感じてもらうことがイヌの気持ちの安定につながる、という。
よくイヌの無駄吠えやトイレなどが問題行動と言われるが、それは人間から見た視点であり、本当に問題なのか疑問だ。問題はイヌでなく、元を辿れば飼い主に原因がある、とそのドッグトレーナーは説く。
イヌはそもそも吠える生き物である。人がおしゃべりしてはいけない、と同じ意味で、吠えるなというのは無理がある。ただ、人間社会で生きるならば、ある程度のマナーを身につけましょうということだが、人間の傲慢さが表れている。 そもそもイヌが吠え過ぎるのは飼い主に原因があったりする。本来、走り回る本能を持つにもかかわらず、散歩の時間が短くてストレスを溜めてしまい、結果、吠えるようになることもあるだろう。
イヌは品種改良され、狩りに適したイヌ、ソリを引くのに適したイヌ、荷物を運ぶに適したイヌなど用途別に、都合の良いように生み出されてきた。そのイヌ本来の役割とは別ではあるが、飼い主に愛され信頼関係が固いものになれば喜んでくれるに違いない。
しかし、本来の役割以前の問題で運動不足になってしまえば、イヌだけでなく人間も問題行動を犯しかねない。現に事件や事故は社会でのストレスに端を発していることもあるのだから、公平な視点に立てばイヌのことを言える立場にあるのか疑わしい。
近所のイヌが吠えてうるさい、家の前でトイレをする、などとクレームを言う人ほど、自分自身を磨く必要があるのだろう。太郎は人の内面も強く意識するようになり、瞑想をしたり、自己鍛錬について書かれた本を読むようになった。自分を変えることができれば、それを他の人に伝えようと思った。
ドイツから帰国した太郎はこれから着手するイヌ牧場の理念を作り上げた。それはあたかもドイツで見た風景の縮図であり、それに自分のオリジナリティを注入したかった。ノーリードでも自然体で人とイヌが共存できる社会。この理念を実現させるために、細部を詰めていった。
時計の針はもう24時を回っていた。さっきまで太郎に付き合って起きていた愛犬カイは、太郎の横でいびきとかいて寝ていた。その愛くるしい表情からは幸せが伝わって来る。
英国
太郎は牧場の経営者である鈴木二郎に想いを伝えた。ドイツでの出来事、感化された想い、理想の社会の実現、イヌ牧場の夢ーー。経験は少なくとも、それを補って余りある覇気が太郎にはあった。
「いい目標ができたんじゃないか。鉄は熱いうちに打てじゃないけど、その想いが強ければ強いほど、すぐに行動した方がいいぞ」
しかし、牧場を買う資金はなかった。想いばかりが先走り、地に足がついていないというか、理想と現実にとてつもない距離があることを痛感せずにはいられない。悩みを打ち明けると、鈴木の知り合いで後藤田賢治という事業家がいるから紹介してくれるという。
後藤田は北海道出身でイギリスの大学を卒業。その数年後、帰国し日本でビジネスを始めた。サッカー好きでロンドンでは地元プロクラブの試合をよく観戦し、彼自身も草サッカーをした。
サッカーは小学1年生の頃から始め、中学、高校と進むうちにアスリートとしての身体に関心を持つようになり、筋トレや体幹トレーニングをネットや本で調べるようになった。無駄に身体を大きくしなくても、良質な筋肉、かつ少ないウェイトでいかにして速く、長く走れるか、当たりに強くなれるかを長らく実践してきた。
しかし、イギリス人相手では事情が日本とは違った。身体の大きさは負けるが当たりには負けない。負けるのは気持ちの部分で、その気持ちの部分だけでここぞという時に差がついてしまう。とてもサッカーが上手い連中だとは思えないが、一瞬の集中力が半端ないのである。勝負強さとはこのことを言うのだろう。
次第に後藤田の研究熱心さはメンタルへと向かうことになる。なぜ彼らは強い精神を持ち合わせるのか。ここぞという、わずか1秒の出来事ではあるのだけど、そこで威力を発揮するからこそ、驚きをもたらした。彼らの生活を見てると瞬間、瞬間を生きているのを感じさせられる。惰性がない。喜怒哀楽をぶつける。将来や過去ではなく、今を生きる姿がそこにあった。
あるカフェに入った時、イヌを連れた婦人が入ってきて後藤田の隣に来た。そのイヌはイングリッシュ・セターだ。
「Excuse me, can I sit here?」
「Sure」
そのイングリッシュ・セターは落ち着いた雰囲気を発していて、身体は絞れている。まるで長距離陸上選手を彷彿とさせるスマートさだ。思わず、見とれてしまった。
「この子、先ほどまで運動をしてきたから、すごい疲れているのよ。正確にはストレス発散させて、今は気持ちが充実していると言うのだけどね」
「長い散歩をされたのですか?」
イギリスは歴史的に狩りに狩猟犬を伴うことがあり、だいぶ少なくなったとはいえ、今でもその伝統は続いているという。そして狩りはしなくとも、その延長線上にドッグスポーツというのがある。婦人はドッグスポーツのトレーナーであるという。
「この子はキャシーという名で、とても素晴らしい性格の持ち主だわ。人間は犬を自分たちより劣っていると思っているけど、私は違うの。犬から学んでいるのよ。犬から学ぶって素敵なことだと思わない?」
「犬から学ぶ。恐れ入りますが、生まれ初めて聞いたフレーズです。何を学ばれてきたのですか?」
婦人のステファニーは説明を始めた。イヌが何かを身体や声で発すること。それには何からのメッセージがある。喜怒哀楽、ストレス、問題行動……。すべてに意味がある、というのである。しかも、その意味の起因はイヌではなく飼い主にある。
飼い主の感情、エネルギーはそのままイヌへ伝わる。意外に、否、イヌの方が直感力は優れているのかもしれない。感覚が研ぎ澄まされている、というのは適切だ。現代人のようにメディアが流す情報や固定観念、親から植え付けられた価値観。人間の方が視野が狭く、自らをがんじがらめにしてしまっている。
もし飼い主が不安な感情を抱いていればそのままイヌに伝わるし、怒ってイライラしているならそれも伝染する。喜んでいるならイヌも喜ぶだろう。つまり、飼い主の心の安定こそ、イヌの安定につながる、という。まさに写し鏡なのである。ゆえに、イヌをトレーニングする前に自らをトレーニングせよ、との教えだ。
「でもね、イヌが家でじっとしていたらストレスが溜まるでしょ。散歩だけでは物足りないわ。彼らの祖先をイメージしてみて。オオカミやジャッカルと言われるけど、共有するのは自然の中で生き、走り、獲物を仕留める。おのずと何をしたらいいか答えが見えてくるでしょ?」
ステファニーから来週末、フィールドでのトレーニングをまたするから来てみたら、と誘われ、後藤田はイエスと即答した。何やら未知の世界が急に眼前に広がるような気がしてきて、心の鼓動が早くやってきた。後藤田は気持ちの良い感触そのまま、カフェを出た。空は透き通った青空だった。
ファーストレディー
木崎正博は深いソファーに、ため息とともに身体を沈めた。一昨日、欧州外遊から帰国し、昨日、今日と国会審議。そして明日はまた米国での国際会議に出席するため、日本を発たなければならない。
ここ三日で睡眠時間は4時間。さすがに67歳の身体には堪える。
「あなた、顔色が悪いわよ。明日はまた外国ですし、お休みになられたら?」
首相夫人である江理子が言った。江理子はお嬢様大学で知られる清瀬大学の出身で、親はエリート外交官。子どもの頃にアメリカ、中国に住んでいたこともあり、外国語は英語、中国語、スペイン語を話す。生粋の温室育ち、かと思いきや、昔の日本人女性を思わせる芯の強さもある
不思議な女性だ。
木崎はこの江理子の意外性、二面性に惹かれ、学生時代から付き合うことになった。しかし、このメンタルがたまに強過ぎることがあると痛く思う。
3年前のことだ。江理子が雑誌のインビューを受け、それが記事になると世間を賑わせる、ちょっとした騒動になった。イヌ好きで知られるだけに話がペットにまで及んだ。しかし、当時ペットに関する話題はちょっとしたデリケートな問題だった。世間の景気が悪く、経営不振でリストラされる会社員が急増。生活にゆとりがなくなった人たちが飼ったイヌを捨てたため、保健所はイヌに溢れた。”定員オーバー”で保健所にすら入れないイヌも多くいた。
世のペット愛好家の怒りは最高指導者の木崎に向かった。責任を取れ、ペットを守る法律を作れ、景気を良くしろ、と国民は騒いだ。そのタイミングで江理子が発した言葉ーー。
「動物の命も人間の命も同じ。そんな意識がない人は人間ではないわ」
そんな意識がない人、とは木崎首相を指すのではないかと、マスコミと国民が囁き始めた。ワイドショーも報道するものの、ただの暇つぶしのネタでしかなく真剣さが伝わってこない。
この歯に衣着せぬ発言がマスコミを通して、木崎の耳に入った。
「おいおい、余計なこと言うから風当たりが強くなったじゃないか。半年後には選挙があるんだ。ここは静かにしておいてくれないか」
すると、瞬間湯沸かし器のメーターが沸点に達した。
「選挙とか言ってんじゃねえよ! どんだけ肝っ玉が小さいんだよ! アンタみたいな小さい人間に未来を語る資格なんてない。命の尊さも知らないなんて。私のこともイヌのことも馬鹿にしているんでしょ!」
怒りの言葉を発すると新聞やチラシを投げ始め、モノがなくなると今度は皿まで放り出した。家はめちゃくちゃである。
「お、お前。何をするんだ。正気になれ」
「勝手にアメリカでも中国でも行ってきな。私はどこかに行ってくるわ。あなたにファーストレーディーなんて不要よ」
江理子は激しい足取りで自宅を出て行った。ドアを、壊れんばかりに激しく閉めて。
バー
高校までピアソの習い事をさせられていた江理子は、典型的なお嬢様でお酒を飲むのが20歳を過ぎてからだった。法律を律儀に守る”見本”そのものである。しかし、アルコールデビューを果たすと、ハマってしまった。いくら飲んでも二日酔いになることはなく、ビール、ワイン、焼酎、日本酒、ウィスキーと種類を問わず、男性をもおののく酒豪と化した。この女性が清瀬大学、しかも首相夫人であるとは周りに露ほど感じさせず。
「江理子ちゃん、今日は珍しく酔ってるのかい?」
マスターが物珍しそうに言った。
「あら、そうかしら。私ったら嫌だわ」
「さては、何かあったね?」
沈黙が流れた。
「マスターは犬好き?突然だけど(笑)」
「ウチも飼っていいて好きですよ。家内がほとんど散歩に行かないので押し付けられてて」
マスターの苦笑いをよそに、江理子はひとり考え込んだ。ふと、湿っぽい自分に気づき、溜めていた息を吐き出すように勢い良く切り出した。
「あのね、日本の犬への考え方、接し方ってどう思う? ペットショップは乱立しているし、あの小さいゲージに入れられた子犬たち可哀想。それに命に値段が付いてしまっている現実に胸を痛めるの。それで自分で飼っておいて都合が悪くなると保健所に押し付ける。その先のことは我関せずで……」
「ヨーロッパはその点、進んでいると聞きますね。ドイツでは殺処分がゼロとか。イギリスもよく比較する上で数値が出てきますが、やはり日本より寛容な国のようですね。どうも最近の日本は心にゆとりのない人が増えているようで。すし詰めの通勤電車に揺られ、その途中も皆、イライラ。何かあれば一触即発の状態です。家に帰っても家庭のコミュニケーションはない。会社で溜めたストレスはどこで発散されるのか不思議で仕方ありません。幸運にも私はストレスと無縁ですが」
マスターは落ち着いた口調で答えた。人間のストレスが余裕のなさとなり、その余裕のなさ、心の狭さがイヌへの接し方につながる。それを受け取ったイヌの思いはいかに……。やはり、イヌのトレーニングも大切だけれども、まずは人が人として落ち着いていなければ社会はカオスになる一方だと、腑に落ちた。そのために何をすれば。江理子は考えながらも、深い酔いに入っていった。
マスターが一枚の紙切れにメモ書きを残してくれた。
邂逅
太郎は牧場主の鈴木二郎から紹介された外国帰りの事業家に会うことになった。新幹線に乗り込んだ二郎は窓から移りゆく景色を眺めた。長野の山々の景色はいつ、どこから見ても落ち着く気分にさせてくれる。これが我々が生きる地の本来のあるべき姿なんだ、と思えた。
自然の恵みを享受できることに、有り難みを感じつつ、群馬、埼玉と移動するのだが、東京に近づくたびに失望させられる。姿形がバラバラの一軒家、マンション、オフィスビルなどが無造作に並んだその姿はお世辞にも美しいとは言えない。しかし、これが日常の光景になってしまうと何も疑問を感じなってしまうことに恐ろしささえ覚えた。感覚の麻痺は自分の心を劣化させてしまうとひとり心の中でつぶやいた。
暑い。これでもかというくらい地面から太陽の光が照り返して来る。40度近い体感気温になっているのではないだろうか。
約束の喫茶店に入った。あれが後藤田賢治という人だろうか。
「太郎君だね!どうぞ、こっちへ」
後藤田が手招きした。
後藤田は犬のトレーニングについて勉強しつつ、心理学も専攻した。社会でカウンセラーになるだけの資格を得た。ただ教科書的にそのまま解釈して終えるのでなく、それを対イヌ・人間にまで落とし込む独自のメソッドを開発した。
「犬を見て、人を直せ」
これが後藤田メソッドの理念である。「人の振り見て我が振り直せ」をそのままイヌに置き換えただけではあるのだが、この効果がてきめんであることに気づいた。飼いイヌとは主の写し鏡なのである。イヌを知ると同時に自分を知る。同じような意味ではあるが、「イヌから学ぼう」という理念もあるという。
オオカミやジャッカルを祖先に持つと言われるイヌ。本能の生き物。我々、人間が思っている以上にはるかに賢いと後藤田は主張する。無論、違う生き物であるのだから、それぞれの特性は異にするのだけど、例えばイヌの価値は「今を生きる」ーーしかもそれは一生懸命にだーーにある。一方の人間といえば過去のことを引きずったり、先のことを考えて行動してしまう。その結果、今を蔑ろにすることが多々ある。人によっては「今を生きていない」人もいる。
後藤田はその後藤田メソッドを日本に広めるために帰国後、事業を始めた。最初はクライアントは誰もいなかったが、ひとりまたひとりと少しづつ増え、これに口コミが拍車をかけ、ネットで拡散。急激にクラアントが増えた。中には羽振りのいい人もおり、売り上げは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
人手で足りなくなったので事業を組織化した。教え子をスタッフとして雇い、全国を網羅できるように各地に人材を配置していった。5年後にはついに47都道府県をカバーするようになる。資金にも余裕が出てきた。この頃にはテレビや雑誌など取り上げられることが多くなり、知名度も同時に上げた。
その事業と並行する形で後藤田はある構想を描いていた。それがイヌ牧場であった。知り合いの鈴木には何度かその話をしていたが、思いを実現してくれるパートナーがいなかった。そこで先日、鈴木から紹介を受けたのが、この太郎だったのである。
「話は鈴木さんから聞いているよ。しかし、君はまだ若い。ひとりでまとめ上げるだけの力量はあるのかな。格安の賃料で土地を貸すとはいえ、ある程度の利益を出してもらわないとこちらと、イヌ牧場が存在し続けることが難しくなる。固定費がかかるからね。勝算はあるかい?」
ビジネスなどズブの素人である。しかし、イヌの扱い方、接し方は身体に染み込ませてある。そこだけは自信があった。だが、期待される利益をどう出していくか。そこまでの確信はなかったのが本音である。
「なるほど。では、どうだろうか。ここは大きく、1年は猶予を与える。でも、2年目から利益を君の方法で上げてくれ。手段は任せる」
帰りの新幹線で二郎はまた外の景色を眺めていた。自分にできることはイヌへの接し方、そしてイヌを知るということ。後藤田メソッドを学んだことはないが、飼い主の心の状態まで深入りしてやっていきたいところだ。二郎は後藤田にお礼のメールをした。
米国
アニマルコミュニケーションというのがある。イヌとテレパシーで会話ができる”眉唾”なものだ。アメリカから有名なアニマルコミュニケーターが来日して講演、そして講座で実践をするという。月刊「ドッグライフ」の編集長、梶田哲郎はこれらを誌面にするべく、部下の編集部員とともに取材現場に向かった。
「編集長、まさかあのカリスマがついに来日するとは驚きですね。編集やっていて良かったって思える瞬間です」
「お前はミーハーだな。まあ、この仕事はある程度、ミーハーの方がいい場合もある。感動がないようでは読者に伝わらないからな。さあ、遅れるから少しピッチ上がるぞ」
会場はざわついていた。普段、取材でこれだけの人がいることはないが今日は事情が違う。テレビや新聞社の記者やカメラマンも来ているようだ。通常、見かけない人種である。
金髪の女性の周りには人だかりができていた。常に笑顔である。暖かい雰囲気がこちらまで伝わってくるのを感じた。
「日本に招待いただいて嬉しいわ。私の思いを日本の人にも知ってもらいたい。そして日本に広めてもらいたいの。よく怪しいって言われけど、実際に私がアニマルコミュニケーションをやって飼い主に伝えると、結構納得してくれるものなのよ。皆、びっくりするわ。思い当たることがあるって、ね」
なぜアニマルコミュニケーションを始めたのでしょうか。また、それはどんなきっかけだったのでしょうか? 誰だか分からないが、30代の女性が質問をしていた。
「小さい頃、親が家でイヌやネコ、鳥を飼っていたの。私が8歳の時、イヌが一頭亡くなってしまってとても悲しくて気分が落ち込んでいた時だわ。急に空からなのかメッセージが聞こえた来たような気がしたの」
ハリントン女史は急に目つきが変わった。
「『キット、もう悲しまないで。僕のことを思ってくれてありがとう。生きている間、とても楽しかったよ』って言ってくれの。ついに頭がおかしくなってしまったのかと思ったけど、どうもあの不思議な感覚、メッセージが頭に残ってね。もしかしたら、普段でも私はイヌや他の動物の声を聞くことができるんじゃないかなって思ったの。最初は遊び半分だったわ。でも、心を落ち着かせて”会話”に臨むと聞こえるときがあるのよ」
質問した女性は固まっていた。無理もない。これまで聞いたこともなく、また学校でも習うことがない、現実離れした話を聞いているのである。自分で聞いておいて反応できないほど、浮世離れしている。
「あなたの反応は予想通りだわ(笑)。でも、私の講演と講座に参加すれば価値観が一変するかもしれない」
ホールの席は観衆でびっしりと埋まっていた。女性が圧倒的に多いようだ。ハリントン女史は1時間にわたり話し通した。講演と実践が終わった時、何とも表現できぬ興奮で会場は包まれた。「イヌライフ」取材班はメモを取り、カメラ撮影をしつつも衝撃を受けた様子であった。
「この企画は受けるぞ」
普段はクールな編集長の梶田が我を忘れ興奮気味に言った。編集魂に、久しぶりに火をつけられたのだった。
リミット
かつてニンゲン世界には「パピーミル」というのがあった。子犬生産工場のことである。その環境はあまりにも悲惨。生命を粗末に扱った例としてニンゲン社会の最大の汚点のひとつとして、その教訓はイヌ世界になってからも引き継がれている。しかし、時にそれは怒りとなってニンゲンが投げたブーメランは、イヌからニンゲンへと戻って来ることに。仕打ちとして。
「我々と違って、ニンゲンは子どもを産むのは多くて年に1度だ。質よりも量が勝負。できるだけ多くのニンゲンのメスを狩ってくるんだ。分かったな」
「ニンゲンバーゲン」のサスケ・オーナーが事もなげに言い放った。イヌ世界には助け合いや慈愛といったモラルはDNAとして刻まれているのだが、背に腹は変えられぬ状況だけにサスケの心の余裕はなくなっていた。彼は自身の家族だけでなく、1000もの従業犬たちの家族をも食わせてやらねばならない。ここ数カ月で切羽詰まった緊張感が一気に高まった。
「オーナー、最近厳しいな。人間への怨念はまだあるとはいえ、いまのやり方は異常だよ。なあ、ポチ」
役員のクロが部下に愚痴をこぼした。ポチは「赤ちゃん生産工場」の現場監督でこのクロに定期的に報告を上げることになっている。あまりの惨状にポチもクロも罪悪感に苛まされ、精神的に参っていた。二頭とも現場見学した時の光景を思い出すと、ゾッとして食欲が失せるほどだ。
母親は毎年のように妊娠させられ、体型は変わり果て表情に生気はない。そして、少しでも有能な子を残そうとするため、”父親”は近親だ。ニンゲンたちの誰もが拒絶したがるのだが、無理矢理に仕向ける。そんな母親が何百人もおり、おかげで工場には不気味な雰囲気で満たされてしまっている。そこで働くイヌたちも何頭かは精神的におかしくなり、職場の配置替えとなった。
「クロさん、もう我々も限界に来てますよ。何とか、オーナーに生産数を控えるよう、お伝えすることはできないでしょうか?」
ポチの体重はこの3カ月で5キロも減った。腹部周りは骨が浮き出てしまっている。
「そうなんだがな……」
ポチの言い分も分かる。しかし、この生産体制は社運を賭けたオーナーの至上命令。断れば首が飛ぶのは火を見るより明らか。替えはいくらでもいるのだ。板挾みのクロは胃から苦いものがこみ上げてくるのを感じた。このままでは会社の儲け以前に、社員が倒れてしまう。窓から先に見える森に視線を送ったポチの目は虚ろだった。
放棄
「大変です! 社員がストライキを起こして工場にイヌ一頭もいない状況です!」
クロが慌ててポチの役員室に入ってきた。
悪い予感が的中した。来るべきものが来た、と言ってもいい。ニンゲンもイヌも限界なのだ。誰が好き好んであのような工場で働きたがるだろうか。残念ながら「ニンゲンバーゲン」には労働組合はなく、オーナーの独断と偏見で全て判断。完全なるトップダウンが会社の隅々まで浸透しており、社員の自由な発想はむしろ弊害となった。結果、社員から考える力はなくなり、言われた通りの動くだけで、命令がないと動けない社員ばかりに成り果てた。
皮肉にも彼らの意思で唯一決めたのが今回のストライキになってしまった。
抜け殻の工場にポチが足を踏み入れた。鼻を突く腐臭がする。眼前にはニンゲンのメスたちがもぬけのからのごとく、横たわっている。赤ちゃんはすでに販売店に移動していた。
ストライキはこの工場だけでは終わらなかった。社員間での不満は各工場へと連鎖。「ニンゲンバーゲン」での生産は完全にストップした。売り上げをアップさせるどころか、さらなる非常事態にオーナーは我を失うほど怒り狂った。反旗を翻した社員をクビにしたいところだが、全員をクビにしたら会社は倒産も同然。
悲劇は工場のニンゲンも襲い、食べ物や水を与えれず放置され、バタバタと倒れていった。ストライキの余波は販売店にも広がり、販売する赤ちゃんは品薄に。その結果、売り上げは激減。会社存続の危機に立たれた。
「もはや打つ手はなし」
オーナーのサスケはその日の夜、姿をくらませた。
惨事
「きゃいーん」
甲高い、鳴き声が牧場に響き渡った。
太郎が管理する牧場に犬は50頭いて、一般にも開放。観光客が飼う犬をここで放すことができるようにした。牧場で放し飼いになっている犬は”犬慣れ”しているが、それは牧場内の犬に限ってのこと。新参が現れば多少なりとも警戒する。そこが自分たちのテリトリーだからだ。
これまで問題がなかったわけではないが、大きな事故が起きることはなかった。しかし、今回は様子が違った。ネットでの口こみのおかげで、犬牧場の存在が少しずつ全国的に知られるようになり、訪れる人とその飼い犬が増えた。
しかし、中には社会化されていない犬が来ることもある。鳴き声を出したのは、他の犬にあまり接した経験のない成犬であった。飼い主以外の人やの犬とのコミュニケーション能力がないのである。犬と犬が初めて対面すると、お尻の匂いを嗅いだりするが、社会化されていないとこれができない。
この挨拶を拒否すると、相手の犬は不可解に思い、摩擦が生じる。場合によっては今回のように相手の犬を噛むという惨事を招いてしまう。犬にとって噛むという行為は自然な行為だが、人間社会にいる限り、噛んではいけないシーンがある。それがまさしく今回のような他の飼い主、しかもお客さんの犬。
面倒なことに飼い主が必要以上に騒ぎ始めた。医療費の負担は当然のこと主張し、その上で訴えると言い出した。牧場の利用者には誓約書にサインしてもらうことになっていて、この女性も例外なく署名した。しかし、難癖をつけて誓約書に記載の条項が今回の事故には当てはまらないケースと声を大にして言い張る。
太郎にとって牧場運営での最大の面倒事はイヌでなく人であった。イヌの間でトラブルが起きる時は大概、人の行動が発端になっている。今回もそうであった。噛まれたトイプールは出血が激しくすぐに動物病院に運ばれた。
飼い主はヒステリックの見本そのものの異常な態度を見せたので、牧場のイヌたちは一斉に吠え出し、何十頭もの大合唱は山々にこだまし、跳ね返ってきて耳が痛くなるほどである。
丸く収める方法はないだろうか。もちろん、誠心誠意に対応させていただくとしても太郎には相手が納得するほどの資金はない。この女性はそこそこ財布が潤っているようで、外国の高級車や服装、横柄な態度を見ればそれは十分に分かる。
金持ちとは何でこんなに傲慢なのかとつくづく思う。お金があることで何か勘違いしているのだろう。彼女の心はいまだに社会人になっていない未成年のようだ。金は人を狂わすと言ったら大げさかもしれないが、純粋無垢な子ども時代から一変、がいまの状況である。
後藤田に相談しようと思ったが、まだ彼が納得するような売り上げを上げていないこともあり、気が引けた。むしろ、ここは自分で乗り越えないようでは先はない。
原点
首相夫人の江理子には、動物愛護団体の顧問の役職がある。元々、犬好きで夫が首相になったことにより、彼女の知名度欲しさに団体が送ったラブコールに、江理子は悪い気がせず快諾した。顧問と言っても顧問らしい仕事はない。団体の広告塔のような役割が実際の仕事になっている。
インタビューや対談、コラムなどテレビや雑誌メディアに登場することで、団体の名と活動を広く知ってもらう。それが求められた理由だ。江理子自身も顧問という意味不明な役職に拘ることはなく、メディアに出ることで活動が少しでも広く知れ渡ることを望んでいる。
テレビの企画で江理子夫人は、世界的に有名なアニマルコミュケーターと対談することになった。彼女の名はハリントンである。
キャシー・ハリントン、米国はアラバマ州生まれ。父が牧場の経営者で、幼い頃から動物と接してきた。牛や牧羊犬、ニワトリ、豚、猫たちの姿はいまも焼き付いている。彼ら彼女らが喜び、怒り、愛し、哀しむ姿そのものが彼女の原点だ。動物それぞれの癖もそうだが、種類以上にそれぞれの特徴を知り、愛してきた。
牛は牛であるが、キャシーの前では牛の前にエリザベスであり、豚は豚の前にメリーだった。言葉は通じなくとも、気持ちは通じる。向こうはキャシーの気持ちを理解しているのではないか。そんな気持ちを抱かせることが多々あった。彼女が転んで怪我をすれば動物たちは近寄ってきて傷口を舐めてくれるし、嬉しいことがあった時は一緒に喜んでくれている気がした。
しかし、思うのは家畜の動物たちは何のためにこの世に生まれたきたのか、ということだ。牛は食用であれば人間の食べ物として身を捧げ、豚もまた然り。鶏は目玉焼きやスクランブルエッグになるために卵を産み続けて生涯を終える。その卵も生あるもの。そう、キャシーは動物たちの命をいただいて生かされている、と思うととても胸が痛くなった。それ以来、彼女はできるだけ肉を避けるようになり、野菜中心の食生活を選ぶようになっていた。
ただ、特に食事に肉料理が出た時は感謝の気持ちを込めていただくことにした。野菜や魚ももちろん。家は特に宗教への関心は薄かったけども、まるで敬虔なキリスト教徒のようなマインドだったのかもしれない。
高校生ともなるとどうやって生きていくかを考えるようになった。大学に進み、野生動物の研究でもしようかな、というアイデアはあった。卒業後はアラスカを始め、アフリカや中南米、アジアなど世界を回り、保護活動をする。とても素敵な青写真に見えた。
しかし100%それに納得したわけではなく、喉仏に魚の骨が引っかかるように、腑に落ち切らない何かがあるのを感じていた。世界を回って保護活動をしても限界があるのでは、と。保護をしても人間の意識が変わらない限り、密猟や虐待は繰り返される。食べ物となる動物の肉も最小限に止めるべきではないのか。いま人間は飽食状態。自然の恵みに感謝すれば毎日、毎食ガツガツ食べる必要はない。まして食べ物を残すなんて、命を捧げてくれた動物たちに失礼。
動物を守る活動をすると同時に人間の意識を変えていかないと。彼女の想いは確かなものになった。
対談
江理子夫人に対談相手との面識はないが、名前やその活動内容くらいは知っていた。世界的カリスマ、ドッグセラピストでそのクライアントは母国の米国では大統領夫人やハリウッドスター、世界的な経営者といったビップ。国外では英国やサウジの王室などと錚々たる面々を客に持つ。それゆえ影響力は絶大で、キャシーの人間の意識を変えるという目的に理に適うように、世界への宣伝効果はとてつもなく大きく、その支持者の数は一国の人口を形成するに十分なほどになっていた。
「初めまして、キャシー・ハリントンと申します。大好きな日本の、ファーストレーディーにお会いでき、とても光栄です」
キャシーの方から手を差し伸べた。その手は小さいけれども、握手した瞬間は全てを包み込むような包容力と温かさがあり、小ささを感じさせないどころか、手ではない何か巨大なもののような錯覚に陥った。一瞬、目が点になった。動揺を見せまいと、江理子夫人は強く握り返す。
対談は終始、女性同士の穏やかな雰囲気に包まれながらも刺激的で、ふたりはお互いの価値観を余すことなく、伝え合った。江理子夫人は収録後、自分の飼い犬も見てくれないだろうかと密かにお願いした。
急展開
「このキャシーさんに会って話を聞いてみたいな」
太郎はテレビの前でひとりつぶやいた。後藤田なら連絡先を知っているかもしれない。
「おお、久しぶり。太郎、元気か? そういえば訴えられたそうだな。で、どうなったんだ?」
「いや、それがですね。訴訟沙汰にならずに済んだんです。その女性の知り合いが、実は牧場にお客さんとして来てくれていて、いかにこの牧場が素晴らしいかを説明して説得してくれたんです。ほっとしましたよ」
「そんな偶然があるとは驚きだな。しかし、それもお前の日々の努力があってこそで、その姿を女性の知り合いの方が見ていてくらたからだな。まあ、少しも気が抜けないってことだ(笑)」
「後藤田さん、突然ですがアメリカのカリスマドッグセラピストって知っていますか?キャシーという女性です」
「おお、知っているよ。彼女のアテンドは俺がしているからな。どうした?」
さすが後藤田と太郎は唸った。普通の人ではないなと改めて思い知らされた。事情を説明し、ぜひお会いしたいとお願いした。
「これから彼女と晩飯を食べることになっている。その時に話しておくさ」
その三日後、ふたりは牧場にいた。後藤田の手にかかると何もかもが可能になってしまう気がした。
故郷
優しく鼻を包む芝の匂いが心地良い。緑の山々にカラフルな花、そして眠気を誘うような、心地良い太陽の光。何もかもが完璧な場所。それが太郎自慢の犬牧場だ。
ひとりの外国人女性が現れた。
「素敵な場所ね。私の故郷を思い出すわ。ケンジから話を聞いたわ。私はキャシー。よろしくね」
太郎も彼女の大きな海のような、包容力のあるグリップに内心、驚いた。
「お忙しい中、すみません!わざわざ、こんな田舎に来ていただきまして、ありがとうございます。お会いできて嬉しいです」
「犬たちは放し飼いなのね。とてもいい環境だわ。あの子たちが生き生きとしているのが分かるわ」
太郎は牧場を案内してから、コーヒーを飲み話し合った。彼女がコーヒー好きなのを後藤田から聞かされていたので用意しておいた。
「私は日本でテレビに出るほど有名にはなったけれど、目標を成し遂げるまでまだまだ。先が見えないと言ったら弱音を吐くようだけど、私のような活動をする人や価値観を持つ人が、もっともっと増えないと」
やはり人間の意識を変えるというのは簡単なことではないらしい。ましてや動物に興味のない人たちにどうアプローチするべきか、またアプローチしたとしても最終的にはその人たちが変わろうという強い意志がない限り、成し遂げることはできない。
しかし、ここで諦めてしまっては勢いづきつつあるこの”波”を止めてしまうことになる。キャシーの価値観は太郎が牧場経営に至る出発点でもある。二人の立場は違い過ぎるが、似た者同士とも言える。異なる国に住み、異なる言語を話すが仲間である。
太郎にも彼女の活動が気の遠くなるような作業であることが痛いほど分かる。未だに自分はこの牧場止まりで、彼女のような世界規模での活動に至っていない。そんな彼女でさえ、まだまだと危機感を持つ。彼女に追いつくにはあと何年必要なのだろうか。そして世界中の人の意識を変える、までと考えるとたまに愕然としてしまう。
「世界を変えたのが人間。でも、その世界を変えることができるのは人間なのよ。自分を、そして世界の人たちを信じましょう。常に前を向くポジティブさ。向上心なくしては後退するだけよ。確かな気持ちを抱いて、共に進みましょう。ね、太郎」
キャシーや後藤田のように今の立場に満足することなく邁進する人がいる。しかも、自分の目の前で触れられる幸運に感謝しつつ、心に中で誓った。日本で、そして世界で同志を増やしていこう、と。
記憶
イヌの世界では人間が圧倒的にその数を減らし、対するイヌが相対的に増加。モラルの低下は社会問題化し、ヒトビジネスは立ち行かなくなり過渡期を迎えた。エゴとエゴがぶつかり合いイヌ同士が対立、争いも増えた。イヌ世界には縄張りがある。それを国と呼ぶ。
縄張り争いが激化した。どこかでブレーキをかけないとこの世から誰もいなくなってしまう危機感が生まれ始めた。この世界に頂点に立つマック女王は、度重なるストレスから解放を求めて狩りに出た。獲物は無論、ニンゲンである。
森へ抜ける一本道を仲間数頭と歩く。この日は快晴で風が心地良い。風が運ぶ緑や花の匂いは狩りへのモチベーションを大いに高めてくれた。
かさかさ、と脇の草むらから音がした。ニンゲンの女の子の姿があった。服は着ていない。女王と名もなき女の子は見つめ合った。吹いている風のことなど忘れてしまっている。言葉は通じない。気で相手を感じる。
「弱っている」
女王が心の中でつぶやいた。女の子は叫びも逃げもしない。
「女王さま、殺っちゃいましょう。狩りに出るまでもなく、向こうから現れるとはとんだ馬鹿者ですな」
「待て」
女王の心の奥底から懐かしい気持ちがどっと湧いてきた。
ーーあれはいつの頃だっただろうか。ニンゲンの小さいな子ども、それに大人ふたりと散歩に行った時のことを。今日のようなピクニックだったかもしれない。子どもは女の子だった気がする。あまりに楽しくてキャンキャン吠えたかな。幸せだった時代。そのあと、飼い主とは別々の人生を歩むことになったんだーー
女王の目から大粒の涙がポタポタと落ちた。
「今日の狩りは止めだ」
そう言うと踵を返し、城に戻って行った。
イヌ同士で争っている場合ではない。イヌとイヌ、イヌとヒト。いま地球上にある全てを受け入れ、共に生きていけばいいのではないか。違いを受け入れ、認める。そこにある命に変わりはない。過去の恨みも忘れようではないか。先の道で出会った女の子はとても大切なことを思い出させてくれた。
失ったものや過去はもう戻ってこないけども、過去から学び、生かすことはできる。明日は違う自分でいよう。
完