乙女の一大事
《緊急事態発生、緊急事態発生。
タダイマ乙女ノ危機ニ直面シテオリマス》
頭の中で鳴り響くアラート。
何かといえばアレだ、生物が避けては通れぬ生理現象。
乙女の事情。
私がこちら側に落下してからというもの、いつの間にかそれなりに時間が経過していたらしい。
身体は正直だった。
・・・だがしかし。
真っ暗闇に等しいとはいえ、密閉された空間に男性と二人きり。
非常時とはいえ異性の前でやらかしたりしたら、羞恥心で軽く死ねるレベル。
どうする私━━━━━━・・・。
とか、思ってたら。
向こうには私の挙動不審な態度でバレバレだったみたいで、「無理は身体に毒だぞ」とか呟かれた。
しかも「暗くて何も見えやせん」だの「俺も近頃トシで耳が遠くてなぁ」だのと・・・。
・・・・・・寝たフリしてくれた方がまだよかった。
男の無神経さに軽く殺意が湧く。
私は泣きながら暗がりの隅に走った。
・・・ギリギリ保ち続けた乙女の矜持も既に決壊寸前。
ならば少しでも遠く離れた場所でと、暗がりを壁伝いに歩いていた私の手が不意に“突起物”のようなものに触れる。
常日頃とても慣れ親しんだ感触に無意識に“それ”を握り締め、ガチャリと引き下げた次の瞬間目の前に現れたものに私は狂喜した。
「神様あああぁぁぁ━━━━━!!!」
トイレの神は実在すると思った。
(※暫くお待ち下さい)
「ふぅ・・・。一時はどうなる事かと思った・・・」
かつてない危機的状況をギリギリで回避出来た私は、実に清々しい気分だった。
今なら“トイレ教”の教祖にだってなれそうだ。
そーだよ。一日食事を抜く日があったとしても、一日中トイレに行かない日なんて有り得ない。トイレは大事よ。
後ろ手にパタリと扉を閉め、天井から射し込む薄明かりを頼りに洞窟の真ん中まで戻る。
すると今度は、シグルーンがおかしな事を言い出した。
「お前さん今何処に行ってた?」
「は?ドコって・・・おトイレに決まってんじゃない。あんな立派なやつがあるんだったら早く教えてくれればいいのに!」
「・・・おといれ・・・」
「不思議だったんだよねぇ。牢獄だっていうわりに、ここあんまり汚れてないし、臭わないじゃない?おっかしいなーって」
「この牢に厠は無い」
「はあぁ?何言ってんの?あんなに近代的なやつが・・・」
あったじゃない、って言いかけて、そこで私はやっと色々と何かおかしい事に気付く。
トイレ・・・ウォシュレットだった━━━━。
どう考えてもそぐわない。
魔方陣だの不思議生物だの、ファンタジーがキーワードの世界にアレは無いんじゃない?
「俺にはお前さんの気配が一瞬途切れたように感じられた」
「そんな事、言われても・・・。何か仕掛けがあるんじゃないの・・・?」
シグルーンの声が探るような色を帯びる。
私が怪し過ぎるのは分かるけどさ・・・。
「私、・・・なんかやらかした?」
「俺に訊かれてもな・・・」
でも確かにあったんだって、トイレの扉が!
「ちょっとこっち来て、シグ。━━━この辺に扉があったのよ」
何を釈明したいのか自分でもよく分からないまま、私はさっきの扉を探して岩壁の方に逆戻りする。
ペタペタと冷たい壁に手を這わせ、先程の扉の感触を念入りに探す。
「無い・・・どうして無いの・・・、さっきは確かにレバーハンドルの取っ手があったのに・・・!」
「・・・ネージュ」
「ホントにあったの!嘘なんかついてない!!」
・・・嫌だ。ただでさえどうしようもない状況なのに。
唯一存在する他人と険悪な状態に陥るなんて最悪だ。
「ホントなんだからっ━━━・・・」
『カチャリ』
硬い音が、した。
振り回した手が偶然ソレに当たったみたいだった。
「あった・・・!あったよ、ほら━━━━」
私はようやく探し当てた取っ手を掴んで勢いよく扉を開け放ち、━━━━その先に見えた光景に絶句した。
「何ぃっ!!」
「・・・・・どゆこと・・・・・?」
目の前に広がっていたのは、近代的かつ衛生的なシャワートイレの個室などでなく、だだっ広い夜の野原の風景だった。
遠くに山の連なりも見える。
「シトラス山脈だと・・・!?」
隣でシグルーンが息を呑むのが聞こえた。
・・・仮に例のトイレが非合法な抜け穴の類いだったとしても、なんか色々おかしくない?
薄い扉一枚隔てた向こう側の景色がコレとか。
「お前さん魔術師か何かだったのか・・・、いやまぁ、この際どうでもいいか。━━━━━いくぞ、ネージュ!」
「はぁ、え!?」
呆ける私の腕を掴んだシグルーンが扉を一気に跨ぐと、ブワリと顔に風が吹き付ける。
「・・・外に、出られたの?」
「どういう仕掛けかは解らんが、そういう事らしいな。取り敢えずはこの場を離れるぞ、・・・つーか足遅ぇ!担ぐぞ、ネージュ」
「うひょ!?」
返事も待たずにシグルーンは私を俵担ぎにして速足で歩き出した。
いやさ、置いてかれても困るんだけどね。
にしても乙女の扱いが雑過ぎない!?
必然的に後ろを眺める格好になった私は、風景画のような景色の真ん中に忽然と浮かぶ一枚の扉、という世にも奇妙な光景を目に入れる事になり、あまりのシュールさについ言葉を失ってしまう。
「・・・・・・・!!!」
そして肩に担がれたまま徐々にその場から遠ざかりながら、ボンヤリと消えてゆく扉を見て自然と口をついた一言は。
「ど○でも扉━━━━━!?」
やっと脱獄。