乙女の父と乙女の母と
娘の朱華が行方知れずになって三年━━━━。
私の胎内には新たな生命が宿っていた。
安否のわからぬ娘の事は今もずっと気掛かりだけれど、一生泣き暮らしていられないのが人間という生き物。
授かった子のためにも母親がしっかりしなければと、気持ちに区切りをつけるため、お腹が大きくなって身動きが取りづらくなる前に、夫と共にあの子が暮らしていた日本の自宅を訪れた。
一年前ここで私が体験した事は夫に報告済みで、例の写メも見せてはいたけれど、夫はどうにもいまいち信じ切れていないようだ。
・・・無理もないと思う。私自身そうだから。
だからこれはただの自己満足のための儀式に過ぎない。
ここに来たからといって何が変わるわけでもない。
ただ私が・・・あの子に赦しを乞いたいだけなのだ。
朱華の“不在”という現実を置き去りに、ここから歩み去る母親をどうか赦して欲しいと━━━━。
「長距離の移動で疲れてやしないかい、奥さん。安定期に入ってるとはいえ無理は禁物だよ」
「大丈夫よ、あなた」
妊娠六か月目でようやく膨らみが目立ち始めたお腹に手を添えて、体調を気遣ってくれる夫の優しさが嬉しい。
海外から日本に到着してすぐ電車やタクシーを乗り継いでの移動が続いたため、疲れやすい妊婦の身体を気に掛けてくれている。
「この部屋は何も変わらない・・・三年前からずっとそのまま」
荷ほどきすら完全に終わっていない状態で、住人を失った部屋の時間はピタリと止まっている。
今のこの時期を選んで来たのは、自分が僅かな希望を捨て切れないでいるためだ。
思えば一年前のあの日も、こんな桜の季節だった。
「この部屋をずっとこのままの状態で残しておくのは辛くないかい・・?」
「・・・そうね。でも・・・朱華が残したものを手放してしまったら、あの子の生きた証が全部消えてしまいそうで怖いの・・・」
まるで初めからそこに存在していなかったかのように、ある日忽然と消えた娘。
大勢の目撃者の目の前で、煙のようにかき消えたという━━━━。
言葉にできない想いがこみ上げて、またしても溢れそうになる涙を堪えようとした瞬間、ソファーの隣に座っていた夫が不意に上擦った声を上げた。
「あ・・・あれは、何だい・・・!?」
それはまるで仕掛けの見えない手品か何かのような光景だった。
突然目の前の何も無い空間からペラリと一枚の紙切れが吐き出されるという、酷くシュールな現象が起きていた。
そして音も無くリビングテーブルの上に着地したその紙切れに並んだ文字は、“お父さん お母さんへ”とある。
「朱華からの手紙だわ・・!!」
「なんだって!?」
『突然驚かせてごめんなさい。二人でこの部屋に来てくれてありがとう。
そちらからは見えてないと思うけど、今私はすぐ近くにいるよ。お母さんのマタニティドレス姿もばっちり見えてるから。おめでとう!元気な赤ちゃんが生まれますように。
お父さん、お母さんを大事にしてあげてね。
遠く離れていても、ずっと二人の幸せを願っています。
朱華 』
「こんな・・・こんな事が、本当にあるなんて!」
「朱華・・っ」
“近くにいる”という文章を読んで、慌てて部屋の中を見回したけれど、求める姿はどこにも見えず━━━。
以前電話が繋がった事を思い出して急いでコールしてみたけれど、何故か今回はどうしても繋がらない。
伝えたい事は山ほどあるというのに。
ままならない状況に俯きかけた私の肩に、夫の大きな手がそっと添えられて振り返ると、そこには泣き笑いの表情で私の顔を覗き込む夫が。
「生きてた・・っ!本当に生きててくれたんだね、華ちゃんは━━━」
「あなた・・・」
「よかった、本当によかった!」
“生き別れ”というと随分悲壮な感じになってしまうけれど、お互い生きて元気にやっている事がわかったのだ。遠い国に嫁に出したと思えばいいさ。
夫はそう言って、泣きながら笑みを浮かべた。
「この部屋はこのままにしておこう。なんとなくその方が良いような気がするんだ。・・それでお腹の子が生まれて大きくなったら、またここに来よう。その子を連れて桜の季節に━━━」
「ええ、そうね・・」
朱華に今の私達の様子が見えているというのなら、悲しい顔ばかりを見せてはいられない。
あの子に心配を掛けてしまうだろうから。
そして私達もずっと、あの子の幸せを願い続けよう。
「・・・次は三人で来るから」
溢れ出た自身の呟きに応えるかのように、室内の空間が淡く瞬いたような気がした。




