乙女の覚悟とお別れと
その呼び声は男達との会話の途中から、ずっと私の頭の中に響いていた。
『 ぼうや あたしの ぼうや 』
思わず胸を掻き毟りたくなるような狂おしさ。
誰の声かなんて、疑問にすら思わなかった。
それは、仔を探し求める『母』の声。
腕の中の小さな雛が嬉しそうに喉の奥を鳴らしてそれに応える。
早く、早くここに来て。あなたの坊やはここにいるよ━━━━・・
『グオオォォーーーーゥ!!』
突如として通りの真上に現れた巨大な獣の咆哮に、大気がビリビリと震えた。
「━━━━━っ・・・うわあああぁ━━━━!!!」
「キャアアア!!いやあ━━━━っ!!」
「何でこんなとこに天狼がっ・・・!?」
一寸前まで日常の喧騒に満ちていた街の目抜き通りが、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌を遂げる。
通行人は誰も彼も取り乱して我先にと逃げ出してるけど、その天狼は逃げ惑う人間の群れには目もくれず、一目散に私の目の前━━━我が子の傍らへと降り立った。
雛を追いかけ回していた男達は全員真っ先に逃げていて、この場に留まっているのは腰を抜かして逃げそびれた人間と、何故か天狼のお母さんに前肢で踏みつけられているシグルーンだけ。
「・・・クソッ!この、デカブツ!」
「シグ!」
生まれて初めて目にした成獣の天狼が、予想してたよりも遥かに大きな生き物だった事に、私は先ず度肝を抜かれた。
不思議な光沢を放つ真珠色の鬣と、同色の一対の翼。
威風堂々たるその佇まい。
遥か頭上から燃えるような黄金の眼にヒタリと見据えられ、背筋を冷たい汗が伝う。
お腹にグッと力をこめて踏ん張ってなきゃ、膝が笑って今にも崩れ落ちそうだ。
グルル、と白い獣が低く唸り、静かな怒りを湛えた双眸が注意深くこちらを窺う。
どういうつもりだ、と問われている気がして、私はふらつく足で一歩前に踏み出した。
「よせ・・・、近付くな!」
足蹴にされてるシグが叫んでるけど、ここで引き下がる事は出来ない。
━━━これは私なりの“けじめ”だから。
人間の手で奪ったものは、人間の手で返さなきゃならない。
自己満足なのは百も承知。
仔を奪われた獣にしてみれば、盗人もその他の人間も同族。
出会い頭に噛み殺されていてもおかしくなかった。
でもね、どうしても我慢出来ない事ってあるんだよ・・・。
「あなたの大事な宝物を取り上げて・・・ごめんなさい。
今、お返しします」
私は『お母さん』の目の前まで近付いてから、雛を両手に抱え上げて差し出した。
『きゅん!』
『━━━あたしの仔!』
ちっちゃな尻尾が千切れそうな勢いでブンブンと左右に揺れ動いてる。
チビちゃん・・・本当に嬉しそうだ。
良かったね、ちゃんと逢えたね。
・・・私の“お母さん”もこんな風に泣いてるのかな。
ある日突然姿の消えた娘を想って。
ごめんなさいお母さん、・・・私はどうしたらいいんだろう。
「・・・会いたいな・・・」
なんで私、こんな異世界にいるんだろ。
誰か教えてよ。
再会を喜び合う天狼親子の姿をぼんやり眺めていたら、何だか視界までぼんやりしてきた。
━━━━とか思ってたら、何やら温かいものにべろりと顔を拭われ、急激に正気に引き戻される。
・・・・・べろ・・?
グルルゥ・・・。
「おっ・・・かーさん!?」
なんか神妙な顔付き(よくわからん!)の獣に間近で顔を覗き込まれてた!!
味見!?味見ですか!?
天狼の『お母さん』に顔を、というか全身を舐め上げられた事に気付いて、私は一気に混乱。
いや、覚悟は決めたつもりでいたけども!!!
・・・せめて一思いにやってくれ・・・!
ぎゅっと身体を硬くしていると何やらふわふわした塊が押し付けられ、反射的にそれを受け取った次の瞬間、━━━━━視界の天地が逆転した。
「うわぁっ!?」
「ネージュ!!」
押し付けられた塊と一纏めに『お母さん』の口に咥えられたと分かったのは、強烈な羽ばたきと共に身体が浮き上がってからの事。
「え、えぇえ━━━━━━っ!!」
「待て!!」
地上でシグが叫んでるけど、人間に空を飛ぶ獣に対抗する術なんかあるはずも無く、ぐんぐん引き離されてあっという間にその姿は豆粒みたいに小さくなってゆく。
嘘・・・このままあっけなくお別れ!?
せめてきちんとお礼くらい言いたかった・・・!
トンデモナイ顔面詐欺師のお爺様に振り回されてたおかげで、孤独な気分に浸る暇も無かった、って。
━━━━今までありがとね、シグ。
そしていま、私が思う事と言えば━━━━━━。
ああ、人間て、空飛べるんだ・・・。
「で・・・でじゃぶー・・・」