乙女は視ていた
“幻視”の影像は大昔の無声映画と同じで音が無い。
だから初めはそれが何なのか、さっぱりわからなかった。
影像の内容があまりにも強烈過ぎて、曇天の冬空が時折明るく瞬くその現象が、何を意味するのか、気付きもしなかった。
自分が“視て”いる目の前に、盛大に雷が落とされる瞬間まで━━━━。
*
ドドド、と津波のような音を立て、自分のすぐ横を獣が群れを成して駆け抜けてゆく。
自分が剣を振るい始めてかれこれ一時は経つが、暴走する獣の勢いは未だに少しも衰える様子がない。
「チッ、━━━キリがねぇな」
狂暴化が目立つ個体を狙って間引いてはいるものの、討ち漏らしは確実に出ている。
はっきり言って“焼け石に水”だ。
仕事として引き受けたからには賃金分の働きはするが、命まで賭けるつもりは毛頭無い。
元々住民が避難する為の時間かせぎで、折を見てさっさと引き上げるつもりでいたら、ヤバそうな個体が町に入り込むのが見えて、そうも言っていられなくなった。
慌てて町に走れば、広場の辺りで傷を負った成体の剣歯虎が大暴れしている━━━━。
「・・手負いかよ!」
獣同士の諍いか人間の手によるものかは不明だが、剣歯虎は首元の黄色い毛並みを血で紅く染め、牙を剥いて手当たり次第動くものを攻撃し続けている。
幸い広場に一般人の姿は見当たらず、町中に入り込んだあげく迷走し続けている他の獣と、根性で踏み留まったはいいが、逃げる機会を失った数名の狩人だけがその場に取り残されていた。
「お前ら、隙きを見て下がれ!」
「・・シグルーン!怪我をして動けない奴がいるっ」
「なにぃ!?」
殺気立った剣歯虎の目の前で、怪我人を抱えてヨタヨタ歩いていたら、避難するどころか恰好の餌食にしかならない。
「とどのつまりが、仕留めるしかねぇって事かよ・・」
━━━いや、仕留めるのは別にいいんだ。
つか、そのつもりで追って来たんだし。
ただ何というか、やり辛い。
「周りにこんだけ人間がいると、無闇に飛剣を撃つわけにもいかねーし・・・どうすっかなー」
とかなんとか、悠長な事を言ってたら、問題の剣歯虎がこっちに思いっ切りガン見してて━━━━、
「あ」と誰かが呟くのと、剣歯虎の前脚が自分に向かって振り下ろされるのがほぼ同時。
「っぶねぇええーーー!」
後ろに跳んで避けるのがちょっとでも遅れてたら、身体に縦縞模様が刻まれていたところだった。
ぐるるる、と不機嫌そうな唸り声が剣歯虎の喉から漏れる。
そして獲物を仕留め損ねた憤りからか、殺らねば気が済まぬとばかりに、執拗にこっちを狙い始める。
「しつっけえんだよ、ド畜生!!」
━━━ 避ける。躱す。跳ぶ。
延々と繰り出される爪の猛攻撃に、隙きを見て反撃を加えるものの、そこら辺の物陰に人間が身を隠していたらと思うと飛剣は撃てず。
物理攻撃を加えるには、大型相手に剣はリーチが短くて些か分が悪い。
━━━どうしたものか、と頭を悩ませていた、その時。
項の辺りにゾクリと怖気が走り、無意識にその場から大きく跳び退いた瞬間━━━━、
“ドゴオオオオオオーーーーーーーン!!!!”
目が眩む光と共に轟音が響き渡り、雷が剣歯虎を直撃していた。
「げえぇ・・・っ!!」
一瞬にして炭と化した敵の姿と、その幸運な偶然に快哉を叫ぶ狩人達。
━━━だがここからが本当の恐怖の始まりだった。
ゴロゴロという不穏な轟と共に、凄まじい音を立て雨霰と降り注ぐ雷は、当然の事ながら落ちる場所を選ばず、人間の側にも万遍なく被害をもたらしていった。
そして何故か、自分を狙ってでもいるかのように、何度も直撃ギリギリの位置に落ちる雷。
━━━いや、これ、マジで狙ってねぇか?
そこまで考えてふと、もしかしなくても、という嫌な予感が頭のど真ん中に浮かび上がり、頭上を見上げると。
━━━ 予感的中。
そこには雷を纏って飛翔する、怒れる天狼の姿があった。