乙女の初めて
間もなく正午になろうかという時刻。
町の中心から最も離れた位置に建つ、山際の見張り塔の鐘が狂ったように打ち鳴らされ、悪夢の到来を報せた。
「・・・早速どっかの馬鹿がやらかしやがった」
予想よりかなり展開が早い。
朝あれだけ念を押したにも拘らず、山に登ったノータリンがいたらしい。
『押すな押すな』と言われると却って押したくなるのが人間(ネージュ談)だそうだから、いずれはこうなると思っちゃいたが、それにしたって早過ぎだ。
ついさっき実際に大暴走が起きた場合の対処について話し合ったばかりだが、実のところ人間が打てる手なぞたかが知れている。
どんなに腕の良い狩人でも、数の暴力には敵わないという事だ。
ただ自分は、仮のとはいえ自らの住処を、みすみす獣の蹄に踏み荒らさせる気はない。
「手筈通り全員で住民の避難誘導にあたるぞ!必ず数人で組んで単独行動は絶対に避けろ!町中で危険な個体を発見した場合は、呼子で連携を取れ!」
鐘の音を聴いて再度ギルドに集まった狩人達が、厳しい面持ちをしたガラハドの指示に一斉に頷いて、それぞれ持ち場へと駆け出してゆく。
「お前ぇはどう動く、シグルーン」
「俺か?そうだな、町の手前で捕食系の奴をできるだけ間引いてやる。飛剣を連発すっから、他の人間を近付けんなよ」
「抜身の得物を構えてるオメーになんか、誰も近付きゃしねえわ」
そりゃまそーか。『自分、首は要りません!』つってるようなもんだしな。
わりと使い勝手の良い技なんだが、寸止めがきかねえのが難点だ。
町中に向かった連中とは逆に、町外れを目指してしばらく走ると、雪煙を蹴立てた獣の群れがもう目の前に迫っていた。
*
グウィネスさんの“幻視”に同調して、お母さんの後を追う事しばらく。
ネイチャー特番さながらの光景に思わず魅入っていた私が、ふと我に返って町の方角に視線を向けると、無秩序に暴走している群れの一部が枝分かれして、真っ直ぐにエルモの町に突き進んでいるのが目に映った。
「あれ、ヤバくないですか?」
「うーん・・規模としてはごく一部だし、大半が草食系の獣だからまだ難は軽いと思うけど。無傷じゃ済まないだろうねぇ」
「・・ですよね」
聞くところによると“獣の領土”の麓にある町や村には、必ずと言って良いほど家の中に地下蔵があるらしい。
それは食糧を保存する目的以外にも、いざという時人間がそこにこもって難をやり過ごすための、地下壕としての用途も兼ねて造られているのだとか。
「今頃町の人間は、泡を食って自宅に駆け込んでるんじゃないかね。“はぐれ”が町に降りて来るのはよくある事だけど、大暴走となると一生に一度経験するかどうかって災難だし」
そうこう言ってる間に、獣の群れはどんどん町の方に近付いて行く。
町を囲う壁があればまだしも、ただの鄙びた田舎町にそんなものがあるはずもない。
そしてついに最初の一頭が町に到達すると、後は無し崩しに大群がなだれ込み、現場はたちまち阿鼻叫喚の巷と化した。
「・・・っ、」
驚愕と恐怖が入り混じった表情で、必死に逃げ惑う人々。
逃げ遅れた住民を庇いながら、活路を拓こうと懸命に獣を牽制する狩人達。
これって本当に現実の光景なの━━━━。
創作の影像に慣れてる日本人の私には、この惨状もどこか現実味が薄い。
どこかに撮影スタッフがいるんじゃないかとか、誰かがCG加工した動画なんじゃないのとか、そんな事を考えてしまう。
━━━━だけど。
音こそ聴こえないものの、鬼気迫る現場の空気がこちら側にも次第に伝わってきて、これが紛れもない事実だと悟るしかなくなった。
「・・・シグ・・・、シグは、どこ・・・?」
これが現実なら、この状況の真っ只中に身を投じているはずの私の“家族”は━━━━。
視点を変えて辺りをぐるりと見回すと、町の入口付近に不自然に開けた空間がある。
「・・あそこだけ獣が避けて通ってる?」
不思議に思って“眼”を凝らすと、ドーナツ状にぽっかりと開いた空間の中心に人影が見える。
「もっと、もっと近く。視点を寄せて拡大━━・・・あ、見え・・・・・シグ・・・?」
次の瞬間、安否を気遣った自分が思わず馬鹿馬鹿しくなった。
なんだあれ━━━━。
考えてみれば私、シグが実戦で剣を振るう姿を見るのはこれが初めてだけど。
━━━でも、なんかおかしくない?
なんで雪の上でワイヤーアクション並みの動きができんの?
そしてなんで切っ先が触れてもいないのに、獣が次々吹っ飛んでんの。
それ人間業じゃないから!!
気功?それともまさか、ナントカ色の覇気!?
・・・なんでもいいけどさ。
あんた、なんでそんなに活き活きとした表情で戦ってんの。
「心配して損した!」
「おや、奴の心配をしてやったのかい?可愛いとこがあるじゃないか、ハネズ。大丈夫さ、あいつはいざとなったら尻尾巻いて逃げるのも得意な男だからね」
「・・それ聞いて安心しました」
グウィネスさんとの会話でほっと気を緩めた、その時。
幻視の影像に異変が現れた。