乙女が見てないところでは
今朝はお母さんの様子がいつもとちょっと違ってて、なんだか虫の居所が悪そう。
普段は雪が積もった庭の一角に悠々と寝そべって、はしゃぎ回るチビちゃんの様子を眺めながら寛いでいるのに、今は。
身体は伏せているけど、頭を上げて眼は油断なく辺りを見回してるし、お耳はピクピクと何やら警戒中。
そして何よりその尻尾が不機嫌さを表すように、バッサバッサと忙しなく揺れ動いている。
「━━お母さん?どうしたの?」
早朝の出前サービスから戻った私が、お母さんのご機嫌を伺いに庭に出ようとしたら、お母さんが鼻先でグイグイと私のお腹を押してきて、私は玄関先ですぐに家の中に押し戻されてしまった。
まるで『外に出るな』と言われてるみたい。
更にお母さんはチビちゃんをお口パックンで運んで来ると、ズッシリと重たく成長した白いモフモフの塊を私に押し付けて、『むすめ ぼうや よいこ なか いる』と、有無を言わさぬキッパリとした口調で“ハウス”を命じてきた。
『うきゅぅ・・』
遊び足りないチビちゃんは少し不満げだけど、本気モードのお母さんにはけして逆らわない。
世の中には絶対逆らってはいけない相手がいるのだ。
「お母さんのあの様子って・・シグに忠告された件と関係があったりするんでしょうか?」
「多分そうだろうねぇ。獣の耳や鼻は人間よりも遥かに優れてるから、きっとあたし等人間には到底わからないような事まで感じ取れてしまうんだろう」
━━━子育て中の母親は特に敏感だから、とグウィネスさん。
居間の窓越しに見えるお母さんは、門扉に刻まれた守護獣の彫像みたいにピクリともせず庭の真ん中に鎮座。その眼は虚空の一点をひたりと注視し続けている。
「ハネズ、金剛の気の済むようにさせておやり。あんたやチビが安全な場所にいる事で安心できるなら、ちゃんと囲われてやった方が平和的に収まるからね」
「?」
平和的にって・・・、何が?
この時の私はまだ、グウィネスさんが言っている事の意味をよくわかっていなかった。
正午近くになってブチギレたお母さんが、生ける災厄と化して庭を飛び立つまでは━━━━。
差し入れの朝メシをゆっくり味わう暇もなく、慌ただしく狩人組合に向かうと、三刻半に鳴らされた“招集”の合図の鐘を聴きつけた狩人達が次々と組合本部に集まって来ていた。
「入山禁止ってのはどういう事だ!ちゃんと説明してくれ組合長!こっちは生活がかかってるんだぞ!」
「そうだそうだ!」
「調査の結果、現在中層以上の捕食系の連中は過度の緊張状態にあると判明した。いま余計な刺激を与えると大暴走が起きる可能性がある」
「はあぁっ!?・・・適当な事言ってんじゃねえだろうな」
「大暴走だとぉ!?」
「麓に草食系や小型のやつが溢れてんのは、その予兆だ」
予想通り告知の場は紛糾し、組合長の宣言に対する狩人達の反応は概ね二種類に別れた。
“大暴走”という災厄めいた事象を示唆されて警戒を強める者と、年寄りの耄言と決めつけ聞く耳を持たぬ者と。
元々この町の狩人組合は自警団に毛が生えた程度の組織で、組合長の言葉にそれほど強い強制力はない。
そして出稼ぎ感覚で他所からやって来ている無所属の狩人は、その言を軽視する傾向が強かった。
「今後は不測の事態に備え、当面山への立ち入りは禁止。狩りは麓でのみ可能とする。・・・何が引き金になるかわからん。狩りの際はくれぐれも慎重に行動してくれ」
最終的に狩人組合が示した方針は、狩猟で生計を立てる者に幾ばくかの余地を残し、こうなった。
一通りの告知が済んで半数近くの狩人がその場を去り、ギルド内に留まった者が職員と古株の狩人達だけになると、古参の顔役とおぼしき男が緊張の面持ちで「詳しい事を聞かせてくれ」と俺に向かって話し掛けてきた。
「そういうのは組合長の役目じゃねーのか?」
返事をしながらガラハドの奴を顎で示すと、奴は蝿を追い払うような仕草で『お前がやれ』と面倒な仕事を押し付けてきやがる。
「今更だな。その組合長が、即戦力として破格の待遇で引っ張って来た男だぞ?今当てにしねえでどうするよ」
「・・・そりゃ御尤も」
給金の分は働けってか?




