たまには働く乙女の保護者、そのに
数日前の昼に町の周辺を見廻った際、既に襲撃の予兆と思われる痕跡は存在していた。
町外れの鶏舎から数十メルテ程離れた小さな林の中、雪の上に残されていた複数の狼の足跡は、走り回って乱れた様子もなく町の方角を向いて整然と並んでいた。
━━━まるで、町の様子を観察しているかのように。
そしてそれは単なる思い違いじゃなかった。
暁闇に包まれた雪原に、鈍い光の点が無数に散らばる。
シンと張り詰めた無音の空間に、時折聴こえる荒い息遣いの音。
「当たりー」
純人なら明かり無しでは何も見えない暗闇の中でも、獣混じりの眼はハッキリと狼の群れの姿を捉える事ができる。
赤黒い毛並みに大きな躰。その凶暴さと知能の高さで、魔獣並みに恐れられている獣━━━『サビイロオオカミ』
番小屋の中で居眠りしていたヨボヨボの爺さんを早めに叩き起こして鐘を鳴らさせ、『ぜってーこっち来んな』と釘を刺したのは大正解だった。
「悪ぃがこっから先は通さねーぜ。俺の仕事でな」
襲撃があるなら夜中だろうと踏んで、鶏舎の近くで張り込んでいたら、案の定団体様が来やがった。
多勢に無勢とはこの事だろうが、自分にとっちゃやり易い状況だ。
他人の安否を気遣う必要のない戦闘は、楽でいい。
「来いよ、犬っころ」
チョイチョイと手招きをすると、馬鹿にしたような雰囲気が伝わったのか、それまでジッと構えていた狼達が、途端に一斉に躍りかかって来た。
━━━夜明けまで、あと少し。
*
東の空が白み始めて徐々に視界が利くようになると、狩人達は守りから攻めの態勢に切り替わった。
鐘の音が『中規模の群れ』を示していたにも拘らず、防衛線まで侵入してきた個体は驚くほど少なく、今のところたいした怪我人も出ていない。
これならばいけると現場に急行し、駆け付けた狩人達がそこで目にしたもの━━━━
そこに、怪物がいた。
朝陽が差す白銀の世界の只中で、己は何にも染まらず清廉なまま、辺り一帯に血華を咲かせて剣を振るう、凄絶な美貌。
恐ろしい事に、怪物の振るう剣先は狼の躰に触れてもいないのに、襲い掛かって行った狼は仰け反るようにして弾け飛び、全てが一太刀で屠られている。
あまりにも現実離れした異様な光景に、駆け付けた狩人達は生唾を呑み込み、その場で棒立ちに立ち尽くした。
(((・・・なんだこれ・・・)))
あんな生っ白い優男、恰好をつけたって今頃狼に囲まれてヒィヒィ言ってるに違いない、と。
自分達が討伐の本隊のつもりで駆け付けた狩人達は、茫然自失の体に陥った。
今すぐにでも援護に加わるべき場面なのだが、足を踏み出した途端、自分も切り刻まれそうでコワイ。
実際あまりの光景に衝撃を受けた若手の一人が、足元をフラつかせて前に数歩まろび出た瞬間、ビリッとした痛みが頬を掠めたかと思うと、左の頬骨の辺りがザックリと切れるという事故が起きた。
「痛っ・・!」
「大丈夫か、おい!」
「何が起きたんだ!?」
これ以上近付いたらなんかヤバい。絶対気のせいじゃねえ。
どうするよ?オマエ行けば?みたいな空気感がその場に漂い始めたその時、組合長が少し遅れて現場に到着した。
「おーおー、相変わらず派手な戦い方しやがってまあ」
「ギ・・、組合長!あいつはいったい
何なんだ!」
「あんな技、どうやったらあんな・・・、あんな人間離れした真似ができるんだ!?武器か!?武器が特別なのか!?」
「さぁなあ?本人に直接訊いてみちゃどうだ?素直に答えるかどうかは知らんがな。とにかく、あの斬撃の射程には入るなよ。敵味方区別なくやられちまうぞ」
「「「・・・・・」」」
それから程なくして日が昇り切り、朝の日差しが露わにした光景は、地獄絵図の様相を呈していた。
真っ白な雪の上に累々と横たわる狼の骸。
自らの血潮で赤々と染め上げられた躰からは、極寒の環境でまだ蒸気が上がる。
凄惨としか言いようのない現場で、その地獄を作り上げた張本人は返り血ひとつ浴びぬ涼し気な表情で、その場に飄々と佇んでいる。
「よっしゃ、任務完了!俺は一足先に帰るぞガラハド。しばらく寝てねえんだ。飯食って寝るから起こすなよ」
「了解だ。手間を掛けさせて悪かったな。次があるまで休んでてくれ」
ヒラヒラと手を振ってその場から退場する男に、声を掛ける勇者は誰一人としていない。
だがしかし。
たった一人で地獄を作り上げた男が、「よーし、今回は服にシミも破れも付けなかった!ネージュに怒られずに済むぞ!」などと、些細な事で安堵するような、肝の小さな一面があるとは思ってもみないのであった。
接近戦は返り血が飛んで、服が汚れんだよなー。アイツの説教長えんだよ・・・、というのが本音。