乙女の願いは
十一月に入るとシトラス山の山裾にあるグウィネスさんの家の周りは早々と雪に覆われ、本格的な冬籠り生活が始まった。
グウィネスさんの物理結界をもってしても大自然の猛威は避けきれないため、冬場は一日のほとんどの時間を家の中で過ごす事になりそう。
もっとも、転移の魔法陣が使い放題のこの家の住人にとって、家にこもる事自体は不自由でも何でもないんだけど。
ただ玄関から直接外に出るのが大変なだけで。
そんな状況でも、半ば野人と化したシグだけは平気な顔で毎日冬の野山を駆け回り、時折仕留めた獲物を麓の町まで運んで売り捌いたりしている。
そして冬に元気なのはシグルーンだけじゃない。
『ねぇねー!きーたーよーーー!』
もうとうに慣れ親しんだ羽音とともに弾むような『声』が耳に届いて、私が自室の窓から空を見上げると、天狼の親子が仲良く連れ立って庭に降りてくるのが見えた。
「いらっしゃいチビちゃん!お母さん!」
急いで防寒着を身に着けて庭先で二人を出迎えると、冬毛でモコモコになったチビちゃんが勢いよく突進してきて、受け止めきれずに二人揃って新雪に埋もれる、━━━という流れが毎回のパターン。
「だいぶ上手に飛べるようになったね、チビちゃん」
『きゅふん!れんしゅうしたのー』
つぶらなお目々のドヤ顔が、チョー可愛いんですけど。
チビちゃんは冬毛で毛量が増え始めた頃に、切られた風切り羽も新しく生え代わった。
まだ少し短いけど、きっと春には生え揃った羽で自由に大空を飛び回れるようになるはず。
『 ゆき つめたい 娘 大事ないか 』
「大丈夫だよ、お母さん。たくさん着込んでるし、後で着替えるから」
雪まみれになった私を心配して、天狼のお母さんが鼻先を近付けてくる。
お母さんにとって私は今でも、目を離すとすぐ死にかける“ひ弱な雛”らしい。過保護感が半端ない。
『ねぇね、あそぼ!ねぇねー!』
「いいよ、何して遊ぶ?」
『ふりすびー!!』
「オッケー、フリスビーね。部屋から取ってくる」
私は一旦雪まみれの上着を脱いで、別宅に急いだ。
自分は基本インドアな人間だけど、中学に上がるぐらいまではそれなりに体を動かす遊びも好きだったから、友達と公園でよくバドミントンとかもした。フリスビーもその一つ。
たまたま引っ越しの荷物に紛れ込んでたんだよね。
普通のワンコなら走って追いかけ、落ちてきたところをキャッチするんだろうけど、空を飛べるようになったチビちゃんは空中キャッチが得意技。
「いっくよー、そーれっ!」
『わふっ!!』
全力投球のプレイは数十回にも及んだ。
「つ、疲れた・・・」
全く手入れされていない新雪の庭を、雪を漕ぎ漕ぎ小一時間も走り回っていたら、しまいには全身疲労で動けなくなって、お母さんに家まで運ばれた。
「まったく何やってんだろね、この子は・・・」
正午のお茶は久し振りにグウィネスさんが香草茶を淹れてくれて、お茶請けには作り置きのパウンドケーキの、木の実入りとドライフルーツの二種類が並べられている。
濡れた服を着替えて居間の長椅子に寝転がる私の横で、ヘソ天を晒して暖房器具の正面に陣取っているチビちゃん。野生は何処へ行ったんだい?
大きな体躯のお母さんだけが家の中に入れなくて、なんだか一人だけ除け者みたいで可哀想だけど、そこは獣と人間でものの感じ方が違うらしい。
「獣は檻を嫌うから、狭い家の中に無理に入れても喜びやしないよ」とはグウィネスさんのお言葉。
チビちゃんがこの家の中で寛いでいられのは、私やグウィネスさんに対する信頼があって、すぐ傍でお母さんが見守っていてくれているから。
お母さんが本気を出したら、破れない檻なんてないしね!
グウィネスさん曰く『天狼は吹雪きの下でも昼寝が出来る』らしいけど、今私の目の前にいる天狼の雛は、だらしなく急所をさらけだしてぬくぬくを満喫している。
「・・・野生?」
「言っとくけど、これが特殊なだけだからね。どれだけ知能が高かろうが、魔獣が普通ここまで人間に慣れるこたないんだよ」
「そういうものですか?」
「そうさ」
私は他の魔獣を知らないけど、それはそうかもしれないと納得した。
『魔獣』という言葉の印象からしてもっとこう、猛々しいというか、獲物とみなせば即襲い掛かってくるようなイメージしかないし。
「・・・こういうの、あんまり良くない状態なんでしょうか」
「さて、あたしには何とも言えないねぇ。物事の良し悪しを語れるほど御立派な人間でもなし━━━。あんた達はなるべくしてそのようになっただけの事。なら、この先もなるようにしかならないだろうよ」
「・・・・・」
もともと人間と獣は違う生き物だ。
それでも。いつか寄り添えなくなる日が来るとしても私は━━━━━。
すこしでも長く一緒に、と。
そう願っている。