乙女の怒り
眼前に聳え立つ青い山並みの麓に、私達が目指す国境の街をやっとの事で探し当てたのは、あの真っ暗な牢獄を謎の扉で脱け出してから七日目の事。
「そらネージュ、見えてきたぞ。あれがトレンカの街だ」
「・・・やっと?・・・着いたの・・・?」
慣れない長旅で疲労が溜まり、騎獣の背で青息吐息の状態の私とは対照的に、その轡を取って歩くシグルーンは驚くほどピンピンしていた。
というか、むしろ野生化しそうなほどイキイキしている。
これまでの話の流れでシグが色んな獣人の血を引いてて獣の姿にも変身(?)出来るってのは聞いてたけど、でもそれは滅多な事で人目に晒すものじゃないとも言われたし、そういうものだと理解したつもりでいた。
だから四日前のある瞬間、いきなりシグが服を脱ぎ捨てて裸族になったのを見た時、私は己の他人を見る目を激しく疑わずにはいられなかった。
『この男・・・、デリカシーに欠けるだけじゃなくて変態だったのか!』と。
でもさ、事情が事情だったんだけどね!
大自然の真っ只中で突如として生まれたままの裸族に還ったシグは、その直後なんと私の目の前で白い狼に転変し、奇襲を仕掛けようと近付いて来ていた獣の群れに先手を打って蹴散らしに行った・・・・・らしい。後で説明された。
武器を持っていれば人型で応戦出来たらしいけど、残念ながら丸腰じゃあどうにもならなかったとかで、シグはそれ以後しばらく狼の姿のままで周囲を警戒し続けてた。
・・・悔しい事に、獣化したシグは野性味の強さが際立って、いつものチャラチャラした空気は鳴りを潜め、クールな一匹狼といった雰囲気が物凄く格好良かった。くぅ、たまらん。
しかもあまりにも素晴らしい魅惑のモフモフ。
辛抱堪らず飛び付いて撫で回したら、人型に戻ったシグに「貞操の危機を感じた」とかってドン引きされた。
・・・乙女に向かって失礼な。
そしてそれ以降のシグは、「一度見られたんなら二度も三度も同じだ」と言って頻繁に獣化するようになり、牢獄に繋がれてた分のストレス発散でもするかのようによく走り回った。
恐るべし獣人の体力。
でもって、人並みの体力しかない私はというと。
連日の移動に継ぐ移動と野宿が身体に堪えて、やっとの事で国境の街に辿り着いた頃には、ライフゲージがほぼ0と成り果てていた。
*
「もうダメ・・・限界、ううぅ・・・」
「あー分かった、分かった。お前さんはこのまま部屋で休んでろ。俺は街で用を足して来るから、大人しくしてろよー?」
「んぅー・・・」
正直、返事をするのもしんどいくらいクタクタ・・・。
街に到着するなりホルンの背中でグロッキーした私は、例によってシグに片手で担ぎ上げられ、手近な宿に運び込まれた。
肩口に顔を埋めるような格好でしがみついてたお陰で、シグの顔面凶器によるダメージは免れたけど、既に賽の河原に片足突っ込んでる気分。
ツインルームの片側の寝台にだらしなく寝そべったら、そのままお花畑に一瞬で意識が飛んだ。
だから、シグルーンがちょっと困ったような表情を浮かべて、私の顔を覗き込んだり恐る恐る頭を撫でたりしてた事なんか、ちっとも気付かなかった。
目が覚めたら何故か朝だった。
全身筋肉痛で身体がミシミシいってるけど、頭の方は随分とスッキリした感じがする。
「えーと・・・確か、昼過ぎには街に着いたよね・・・・・なんで今、朝?」
「━━━そりゃお前さんが、宿に連れ込むなりくたばっちまったからだ」
「うひょっ!」
独り言のつもりだったから、返事が返るとは思わなくて飛び上がるぐらい驚いた。
錆び付いたドアの金具みたいに、ギギギ、と首を回して横を向けば、隣の寝台にはしどけなく寝乱れた姿で有り得ん色気を振り撒く人物が。
「い・・・居たんだ、シグ」
そりゃあ、居るよね!
「おう。━━━調子はどうだ」
「・・・まあまあ、かな」
朝から心臓に悪いんだけど。
全裸よりチラ見えする大胸筋の方が断然卑猥っぽいって、ナンデダアァァァーーーー!!
なんかもう、寝台の両脇に美女を侍らせていないのが不自然な絵面なんだけど!!
もう嫌だこのお爺様。
中身が残念なくせに、顔だけは超一級品だとか。
朝っぱらから面食い女子の煩悩を滾らせないでほしい。
この一週間で大分慣れたとはいえ、うっかりその顔を直視して自ら血迷うような事態になれば、小さな頃からの夢だった『平凡な家庭を築く』という私の人生計画が水の泡になりかねない。
なんとしてもそれだけは避けたい。
だが何はともあれ━━━━━。
ぐうううぅ。
「・・・・・・お腹空いた」
そう言えば晩御飯食べ損ねた。
腹の虫が鳴る音を聞きつけたシグに「色気が無い」とか、また思い切り笑われるんだろうと覚悟してたら、何故か今朝は神妙な顔付きで「よしよし」と頭をポンポンされた。
「何でも好きなもん食わしてやるぞー」
「シグ?」
「お前さんは食って寝て、早いとこ育て。あんまりちびっこいと弱っちそうで見てる方がハラハラしてかなわん」
「シグ・・・」
「あのまま目ぇ醒まさねえで死ぬんじゃねーかと、ヒヤヒヤしちまったぞ」
・・・何やら心配をかけたらしい。
いや、でも気分的には過労死寸前だったけど。
肝心なところはきちんと説明しとかなきゃだよね・・・?
「━━━あのねシグ。多分私、もうこれ以上大きくならないよ。身長は去年で止まってるし。十八だって言ったでしょ?二十歳くらいまでならまだ伸びる可能性はあるかもだけど・・・」
「・・・なに?」
「それに!多少小柄でも日本女子としては平均的なスタイルだからね、私」
「冗談じゃなかったのか・・・」
「は?どの辺が冗談だと思ったわけ?」
「いや、その・・・単におチビが大人ぶってるだけかと」
「よし、一発殴らせろ」
どうりで肩に担ぎ上げたり、足をなめ回したり、扱いが雑だったはずだ。
そういや『高い高い』とか完璧子供扱いじゃん!くっそー。
でもまぁ、そのお陰で(なのか?)成り行きとはいえ得体のしれない小娘が面倒をみて貰えてる訳だから、そこは感謝するべきなの?
でもねえ。
「今日から父娘設定は中止。『祖父と孫娘』に変更よ」
シグは『ゲッ!』とかなんとか言いながら、頬をひきつらせてるけど、知ったこっちゃねー。
乙女の静かな怒りを思い知るがいい。