乙女、人生から転落
『狂詩曲』自由奔放なイメージで、民族的な要素が含まれていたり、曲調が様々に変化する作品が多いようです。
“命短し恋せよ乙女”とか、昔の歌の歌詞にはあるけれど。
出来れば私は長生きがしたかった。
ごくごく普通の人と結ばれて、平凡な家庭を築いて、お互い白髪頭になるまで仲良く連れ添うのが夢だったのに。
冬木華朱 花も盛りの十八の春。
単なる通りすがりの男女の痴話喧嘩に巻き込まれ、転倒した弾みで歩道橋の階段を踏み外し転落、━━━━あえなく死亡。
どちくしょおおおおーーーーー!!!死にくされバカップルどもオオオォーーーーっ!!!
*
高校を卒業したての三月半ば。
この日の正午頃、私は上機嫌で買い出しの荷物を両手一杯に抱えて街中を歩いていた。
つい先日、長年女手一つで私を育ててくれた母の再婚を機に独り暮らしを始めた私は、春からの新生活に向けて夢をふくらませ少しばかり浮かれてもいた。
小学四年の年に父親が失踪して以来、やや灰色の子供時代を過ごしてきた私にとって、全てがこれからだった。
母はようやく自分の気持ちに区切りをつけて、長いこと待たせていたお相手とゴールイン。
私も心機一転、四月からのキャンパスライフを心底楽しみにしていたのだ。
「えーと、生活雑貨はこれで全部揃ったはずだし、当面の食料も買い込んだ。あとは‥‥後回しにしてた衣類や本の荷ほどきをすれば片付けは終わりか」
スーパーのレジ袋からにょっきりはみ出したネギやティッシュの箱は、所帯染みている上にかさばって歩きにくいけど、まぁ私の買い物はいつもこんな感じだから慣れている。
長いこと母子家庭だったから家事全般はお手の物、今すぐにだって嫁に行ける。
━━━まずは清い交際からだけどね!
入籍した途端仕事で海外への移住が決まった熟年夫婦と、本来の予定通り日本で大学に通う私。
海の向こうに旅立つ二人を見送ったのは、つい昨日の事だ。
「あー・・・赤信号・・・」
自宅マンションの近くまで来た所で、交差点の赤信号に引っ掛かった。
普段ならそのまま待つんだけど、ここの交差点は交通量が多くて待ち時間がとても長い。
そして今日の買い物袋の中にはアイスクリームが入っている。
私は迷わず少し先にある歩道橋を渡る方を選んだ。
━━━けど。速足に階段を駆け登り、後一息で天辺という辺りで通行人が渋滞、またもや足留めを食らう。
(んもー、通勤ラッシュの時間帯でもないのに、なんなのー・・・)
渋滞の原因はすぐに判明した。
なにやら若い男女の二人組が歩道橋の上で進路を塞ぎ、人目も憚らず痴話喧嘩を繰り広げていたのだ。
やれ浮気がどうした、二股だ三股だと、主に女性がヒステリックに大声で叫び、今にも刃傷沙汰になりそうな雰囲気を醸し出している。
とばっちりを恐れる周囲の通行人は、なるべく無関心を貫いて空気の如く振る舞い、そそくさと足早に立ち去ろうとしているのだが、いかんせん通路が狭い。
(他所でやれ!他所で━━━━っ!!)
心の底からそう思った。
(・・・よし、早いとこ通り過ぎよう)
大抵の日本人ならスルースキルは標準装備。
『私は空気、私は空気』と胸の内で呪文のように唱えながら、無心を装って最後の一段に足を掛けた、その時。
興奮した女性がショルダーバッグを振り回した。
まともに当たったところで大したダメージにもならなそうな、小さくて軽いやつだ。
ところが私は、不安定な姿勢で両手に荷物。
おまけに脊髄反射で凶器を避けようとして仰け反ってしまったのが━━━━おそらくは運の尽き。
フワリと浮いた視線の先の、空がやけに青い。
(・・・ああ・・・人間て、空、飛べるんだ・・・)
最後に思い浮かんだのは、そんなどうでもいい事。
真っ昼間の転落事故で目撃者が多数存在する中、中身の潰れた買い物袋だけを残して現場の歩道橋から忽然と『消えた』少女の話題は、都会のミステリーとして後々お茶の間のワイドショーを賑わせたらしいが、私には知る由もなかった。
※本作品には亀の呪いが掛かっております。
気長にお待ち下さい。