「アケトアテン」
ナイル川の、南から北への流れを眺める。
(下流にメンフィス、上流にテーベ)
ならば目の前にあるあの廃墟は……
(……アケトアテン……)
風が吹き抜けた。
メンフィスの都でアメンホテプ三世の跡を継いで王位についたアメンホテプ四世は、すぐにその名をアテン神のための者に改め、新たな首都としてアテン神の昇る場所の都を作り、宗教改革の拠点とした。
その都を、ツタンカーメンは捨てた。
ネフェルテム神の守護がまだ残っているので、地面すれすれまでなら浮遊でき、足を砂に取られることなくスーッと進める。
ツタンカーメンが町に入ったのと同時に、すぐ耳もとで声が響いた。
『これでもう、ベケトアテンの名前が馬鹿にされることはない!!』
「父上?」
こんなところに居るはずがない。
(……空耳か)
日干し煉瓦の瓦礫と瓦礫が、風で削れた、砂の町。
思い出をたどって、ふよふよとさ迷う。
別の誰かの声がした。
『素晴らしい景色じゃのう。
太陽神の光を存分に取り入れられる、窓の大きな家々。
……景色としては申しぶんないが、実際に暮らしてみると、砂が舞い込んでどうしようもないわい』
先王の宗教改革は、その死とともに終わりを告げた。
アケトアテンは作られたばかりの町。
住人はそれぞれの故郷に帰り、ツタンカーメンはまずメンフィスに、それからテーベに首都を移した。
(あの辺におれが生まれた神殿があって、あの辺りにおれが育った宮殿が建ってて、あそこの広場でアテン神に捧げるお祭りをやってて……)
ツタンカーメンがメンフィスやテーベの重鎮達と会議を重ねている間に、アケトアテンでは民家も王宮も神殿も穀物庫も船着場も全て砂に返された。
アケトアテンの独自の建築様式は、他の町の建物に比べて窓が大きく、その分、壁が少ないので、壊し尽くすのも早かった。
『ママー! どうしておうちのパンはぺったんこなのー?』
『それはね、ベス神へのお供え物をしなくしたからよ』
『じゃあじゃあ、どうして、おおきなおやしきのパンはふっくらしてるのー?』
『そうねえ……どうしてかしらねえ……』
『それではコック長! この作りかけのワインをパン生地に入れさえすれば良いのですね!?
アテン神にもベス神にも、パンを膨らませ給えと祈る必要はないのですね!?』
『こら! 大きな声で言うな!
他の奴に知られてはならんぞ。特に貧しい奴らにはな。
葡萄は貴重で、皆で分けられるほどの量はないんだ。
この話が広まれば、奪い合いになってしまう』
『何でなの!? あたしだってカレにふっくらしたパンを食べさせたいのに!
何であのコばっかり家にもパンにも恵まれてるの!?
毎日毎日、一生懸命、お祈りしてるのに!!
アテン神はあたしなんか眼中にないってことォ!?』
『葡萄よりも安い材料でパンを膨らませる方法!
それさえあれば市民もベス神を奉るのをやめ、アクエンアテン様の望み通りにアテン神だけを崇めるようになる!
さあ、今日も研究を頑張るぞ!
何、アテン神への礼拝の時間?
そんな暇はない!!』
日が傾いて、ツタンカーメンは腕をさすった。
少し涼しくなってきた。
『私の研究はうまくいった。
他の研究者もそれぞれに成果を挙げた。
なのに何故、皆、パンを食べても祈らないんだ!?
何でアテン神を嘲るんだ!?
どうしてアクエンアテン様を罵るんだ!?』
『ああ、我が神よ。
ようやく人々は、ベス神なんか居なくても良いと言ってくれるようになりました。
それなのに、一体、何故なのでしょう?
人々が、アテン神など存在しないと叫び出したのです』
「……父上……」
ここにあるのは都市の人の声。
ガサクみたいな、本当に苦しんだ人々の声は、届いていない。
王としてのアクエンアテンを評価するには、当時を見ていたツタンカーテンは幼すぎた。
ただ、どこで遊んだとか、転んだけど泣かなかったとか、そんな話を真剣に聴いてくれる人だった。




