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「冠」

 風がうなる。

 ツタンカーメンとネフェルテム神を乗せたスイレンは、大蛇アポピスの視界を避けつつ、地上を目指して高度を下げる。


 太陽の船は西へ飛び、ナイル川を越えようとしている。

 はるか右手にはメンフィスの都。その向こうにギザの三大ピラミッド。

 左手のこちらも遠くに、思い出深きテーベの都と王家の谷。


 ツタンカーメンは掌でひさしを作った。

 遠ざかる太陽の船に、少しの寂しさが胸を襲った。


 船尾では筋骨たくましきアメン神が仁王立ちになり、全身からまばゆい光を発して船を守っている。

 甲板には過去のファラオ達が居並び、霊力を送って船を動かしている。

 けれどその中央には、もっとも重要な太陽神ラーの姿はなかった。


「ラー神はどちらに?」

「アメンおじさんの頭の上」

 ネフェルテム神に言われ、ツタンカーメンがそちらに目をやる。

 大気の神であるアメン神の冠には、大きな羽が二本、生えている。

 本来ならそれだけのシンプルな作りのはずなのに、今はその羽を押しのけて、太陽をかたどった大きな飾りが顔を出していた。


「アメン神の冠とラー神の冠が合体している……?」

「アメンおじさんとラーおじいちゃん()合体しているんだよ。アメン・ラー神。君も祭りで崇めてただろ? 本当に勉強していないんだな」

「あううっ」


 大蛇アポピスが巨大な牙を太陽の船に目がけて振り下ろす。

 アメン神の強靭な肉体からラー神の老練ろうれんな霊力が溢れ出し、もとの腕の何倍にも膨らんだ炎の両腕が、真正面からアポピスの牙をガッシリと掴む。

 押し合い、睨み合い、アポピスの闇とアメン・ラー神の光がぶつかって爆発を起こす。


 アポピスは体をくねらせて、体勢を整えるのと同時に、その尾を太陽の船に打ちつけた。

 アメン・ラー神がとっさに炎のシールドを張るが、太陽の船は大きく揺らぐ。

 過去のファラオ達が息を合わせて、太陽の船の転覆を防ぐ。

 シールドに弾かれて、アポピスのうろこが数枚、煙を上げながら飛び散って、けれどその傷はすぐに再生していった。



 自分の名前、ツタンカアメン(・・・)のもとになった神の戦いを、少年王は息を呑んで見守っていた。

「こ、これを……神々は毎日くり返しているのか……!?」

「いつもはここまで激しくないよ! 今日のアポピスは飛び切り荒れてるんだ!」

「何で!?」

「君のせいだぞ!」

「え……?」

「未来から防護服を持ってくるためにトート神が時空をいじっている間、プタハ神(僕のパパ)は防護服なしで君を守ってたんだ!

 その際に、記憶の一部をアポピスに消化されて吸収されて……奪われてしまったんだよ!

 そのせいでパパは……僕のパパは……昨日の晩御飯が何だったか忘れてしまったんだ!!」

「え、ええっと……」

「パパのところには毎日たくさんのお供え物が集まってくるんだ!

 アポピスはその、お供え物を食べたって記憶だけ喰らって、でも実際には食べてないから食欲が爆発しているんだ!!」


 ネフェルテム神が叫んだせいで気づかれたのか、アポピスが尾の先を、二人を乗せたスイレンに向けて振り回した。


 距離はじゅうぶん取ってある。

 そう思ったのがいけなかった。

 アポピスの胴体は長大なのだ。


「!」

 風圧でスイレンが錐もみ状態に陥る。

 ネフェルテム神が巧みな操縦で立て直す。

 必死でスイレンにしがみついていたツタンカーメンが顔を上げると、ネフェルテム神のつぶらな瞳はギラギラと妖しく輝いていた。


「……アイツ、ムカツク……」

「へ?」


 幼神ネフェルテム。

 父は穏やかな豊穣神兼冥界神プタハ。

 しかしその母セクメトは、古代人から見てもさらに古代の頃に、人々の不敬に怒り、人類を絶滅寸前まで追いやった灼熱の女神なのである。


「ブッコロスッ!!」

「えええええ!?」


 可憐なスイレンの花が、ガチャンガチャンと金属的な音を鳴らして変形していく。

 細長い花びらを円く並べた形から、前方をとがらせてナイフのように。

 よりスピードが出るように。

 もっと鋭く攻撃的に。

 吊り上がったネフェルテム神の口もとは、楽しそうですらあった。


 古代エジプトではそれぞれの町にそれぞれの神様が居て、それぞれの神話が語られていました。

 神話の中には似たようなものもたくさんあり、それならこっちの神様とそっちの神様は同一人物ってことで良くない? それなら信者同士でケンカする必要もなくなるよね?と、神様の融合・合体が頻繁に行われていました。


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