「防護服」
地上でカルブが倒れたのと同時に、冥界のツタンカーメンが目を覚ました。
やわらかい……布団ではない……ブヨブヨした感触の場所から身を起こす。
「本当に見事なスカラベでした」
かたわらから声が聞こえた。
プタハ神だ。
でもその顔は、視界がぼやけて、よく見えなかった。
「スカラベの護符の霊力は今、ツタンカーメン君の胸の中で、君の心臓として脈打っています。
篤き祈りのこもった護符が君に、奪われた心臓に代わる、新たな心臓を与えてくれたのです」
ツタンカーメンは荒い呼吸をくり返した。
体がひどく重かった。
「けれど物質としての護符は、棺の中で砕け散ってしまい、君のミイラは無防備な状態に置かれています」
「カルブは!? カルブはどうなったんだ!?」
「心配いりませんよ。生ある肉体は強いですから。しばらく眠れば元通りです」
ツタンカーメンは胸を撫でおろそうとした。
けれど自分の胸に触れなかった。
「何だこれ?」
全身が、妙な物に包まれていた。
白くて、包帯ではなくて……
(服みたいだけど……)
こんな風に腕や足や、頭の先まで完全に密閉する衣服なんて、エジプトの気候では考えられない。
(亜麻でも麻でもない……)
見たことのない素材で、とても動きにくい。
顔を覆う部分をこする。
視界がぼやけていたのは、ここが曇っていたからだった。
改めてプタハ神を見ると、プタハ神もツタンカーメンと同じものを着ていた。
「未来の言葉で『防護服』というそうです。
三千三百年ほど後の世界から、トート君が時空を超えて霊体だけ借りてきてくれました」
ツタンカーメンの時代には、これを説明できる言葉はないが、とりあえず何だかすごい物なのだなというのはわかった。
トート神ではくちばしがぶつかって、このマスクは着けられないだろうなとも思った。
それにしても、ここはいったいどういう場所なのだろう?
屋外なのか、屋内なのか……
プタハ神が手にしたランプが照らしているのは、赤黒い床、それぐらい……
「ツタンカーメン君は、地獄と妙な縁がありますね。
君は謎の存在の襲撃を受けて、冥界の川に落ちて、地獄まで流されてしまったのです。
ああ、そんな顔をしないでください。
オシリス君の審判は合格しているのですから、ここを脱出したら君はちゃんとアアルの野に入れますよ。
だからこそこうして防護服を着せて守っているのです。
これは我々神々にとっても不測の事態なのです。
アポピスは前に見ましたね?
ここはその、でっかい蛇のお腹の中です」
「え? ……え……? えええええええええっ!?」
「ちょ! 大声を出さないでください!」
二人の周囲で不気味な気配がうごめいた。
何かが居る。
それも、たくさん。
オシリス神の審判で罪を暴かれた死者の霊体は、心臓を怪物アメミットに食われ、それ以外の部位は地獄に落ちて大蛇アポピスに食われる。
アポピスの腹の中で、ツタンカーメンとプタハ神は、地獄の亡者にグルリと取り囲まれていた。




