「急展開」
スカラベは、甲虫の六本足の、上の二本で天秤を吊るす糸を掴み、下の四本で横の棒を支えていた。
「良い職人に恵まれたな」
「はい!!」
オシリス神に友達を誉められたのが嬉しくて、ツタンカーメンは輝くような笑顔で答えた。
「良くぞ参った、清きファラオよ。永遠の楽園は汝を歓迎する」
オシリス神が天秤からスカラベを外す。
さっきは確かにかたむいた天秤は、今はピタリと釣り合って、ツタンカーメンの心がこのわずかな時間のうちに成長したと示していた。
広大な広間が和やかな空気に包まれた。
が……
それは、ほんの一瞬で終わった。
「ヒャヒャヒャヒャヒャ!」
神聖な社殿に、若い女の不気味な声が響き渡った。
いつの間に、どこから入り込んだのか、黒い蚊柱のようなカゲが、否定告白の神々の頭上を舞う。
笑い声は、蚊柱の羽音だ。
アメミットが吠える。
ネフェルテム神の放ったスイレンの花びらが、投げナイフのように蚊柱を切り裂く。
蚊柱は霧散したが、しかしすぐにまた集結し、立ち塞がる神々の合間をすり抜けて、女神マアトが持つ天秤に……
そこに乗せられたツタンカーメンの心臓に踊りかかった。
「何をするつもりだ!?」
ツタンカーメンが蚊柱を止めようと手を伸ばしたが、蚊柱は指の間をすり抜けてしまう。
あっという間だった。
空振りした手をもう一度振り直す暇すらもないほどに。
蚊柱はまるで血を吸うように心臓の霊力を吸い取って、ファラオの心臓が、縮んで、縮んで、天秤皿から消えてなくなる。
ツタンカーメンの体が、時が止まったかのように一人だけ動きを止めた。
神々が蚊柱を取り囲む。
蚊柱が、ツタンカーメンの体を突き飛ばした。
ものすごい力だった。
ツタンカーメンの体は社殿の壁を突き破り、庭園を飛び越え、川に落ちた。
神々があっけに取られている隙に、蚊柱自身も壁の穴から外へ逃げる。
ツタンカーメンの体は下流へ流されていく。
心臓を奪った蚊柱は上流へ向かう。
冥界の川の上流は、地上のエジプトのナイル川に繋がっている。
真っ先に動いたのはアヌビス神とトート神だった。
二人は顔を見合わせて、トート神はツタンカーメンを追いかけて下流へ飛び、アヌビス神は川べりを上流へと走り出した。
「たいへんだぁ!」
庭園の隅では、審判に関わらないため社殿の外で様子を見ていたアテン神が、無数の触手を口もとに当ててオロオロしていた。




