「旅の終わり」
サルワがオシリス神の玉座の前へ進み出る。
暗い広間の奥の奥なので、ツタンカーメンが目を凝らしてもほとんど見えないが、アヌビス神がサルワの霊体から心臓を抜き出しているようだ。
サルワは痛がるような様子もなく、最後の嘆願の祝詞を唱えている。
無意識に戸口から身を乗り出しそうになったツタンカーメンの肩を、プタハ神がそっと引き止める。
ツタンカーメンは目を閉じて、サルワが神々に受け入れてもられるように祈った。
不意にまぶたの裏に光を感じ、ツタンカーメンが目を開ける。
天秤に載せられていた心臓を、アヌビス神が手に取り、サルワに返す。
オシリス神の後ろで大きな扉が開いてゆく。
その向こうが、アアルの野。
冥界であることは間違いないのに地上のように明るくて、水と緑の豊かな香りが流れ込んでくる。
葦の葉が、揺れてこすれる音がする。
光の中に、いくつもの人影が、一組の男女を中心にして並んでいた。
「父様! 母様!」
サルワが走り出した。
両親は、亡くなった時の年齢なのだろうか、老いたサルワよりもはるかに若々しい姿をしている。
サルワもまた、足腰の衰えた体から、脂ぎった中年の姿、愁いを帯びた青年の姿へと、一歩進むごとに若返っていく。
二人のもとにたどり着き、抱きつき、数十年ぶりに甘えた時には、サルワは二人の息子にふさわしい少年の姿に戻っていた。
魂は、望む姿になれるのだ。
扉が閉じる。
サルワはこちらを振り返らなかった。
お風呂奴隷の話など、きれいさっぱり忘れてしまったようだった。
さあ、次はツタンカーメンの番だ。
(おれを待っている人も、あの扉の向こうに居るんだ)
歴代の高名なファラオ達。
早くに死んだ母親。
そして……
(父上……)
ツタンカーメンの母親は、アテン神の巫女だった。
結婚しないままツタンカーメンを生み、相手が誰か明かさないまま亡くなった。
残された息子を、先王アクエンアテンが養子にした。
(どうして実の父親だって言ってくれなかったんだ……?)
アクエンアテンはツタンカーメンを、アテン神の息子だと言い続けた。
(本人に、直接会って、訊き出す!)
先王が永遠の楽園に居ることを、自分もそこに行けることを、信じる。
まずは否定告白。
覚悟を決めて、ツタンカーメンが最初の神の前へと踏み出す。
ここまでずっとツタンカーメンの隣を歩いてくれていたプタハ神が、戸口を一歩入ったところで足を止めた。
ファラオが振り返ると、神はファラオの黄金のマスクを頭にすっぽりとかぶっていた。
マスクの両目が太陽のような光を放つ。
四十二名の地方神は、古の神とエジプトの王の前に、一斉に両手を上げて敬いを示した。
ツタンカーメンが目をぱちくりさせる。
これでもう、否定告白の儀式はおしまい。
「未来の言葉で顔パスと言うそうです」
マスクをしたままプタハ神がえっへんと胸を張った。
意味が微妙に違わなくもないことに、この場で気づいているのはトート神一人だけだった。
「私が導けるのはここまでです」
プタハ神が、オシリス神へのあいさつを済ませてから、ツタンカーメンに向き直る。
「それではまた、次はアアルの野で逢いましょう」
プタハ神はツタンカーメンの肩をポンとたたき、マスクを着けたまま、もと来た道を引き返していった。
ツタンカーメンは深くうなずき、広間の奥へと歩き出した。




