「一緒に上に」
ウロコのデコボコに手をかけて、ガサクがアポピスの胴体をよじ登る。
ツタンカーメンはガサクのそばを旋回し、銛の先にくくりつけたランプの光を振り回して、ガサクを狙って集まってくる悪霊達を追い払う。
同じ頃、上の冥界では、ファジュルが死者の書を広げ、プタハ神に読み方を教わりながら祝詞を唱えていた。
祈りは力になる。
地上で肉体をもって生きている人間にはなかなか感じ取れなくても、冥界の霊体には影響は顕著に現れる。
ツタンカーメンのランプの燃料はファジュルの祈りだ。
「どうか二人とも無事に戻ってきて……!」
ファジュルは強い気持ちで祈り続ける。
その隣でプタハ神も、声には出さずに静かに祈る。
(どうか無事に戻ってきてください。
ツタンカーメン君一人だけで。
そうでないと……私の手でガサク君を突き落とさなければいけなくなる……)
メジェド達は結界の様子を確かめるために、ガサクが冥界で通ってきた道をたどりに行っている。
プタハ神が立つ地表の下では、悪霊の群が今もなお、這い出る隙をうかがっていた。
アポピスの中腹を過ぎて、しっぽもずいぶんと進み、暗闇に閉ざされた視界の中でもそろそろ天辺が、上の冥界が見えてこようかというところで……
「クククククククッ」
邪神セトの声が轟いた。
「ガサクよ、アクエンアテンに会いたくはないか?」
ツタンカーメンが慌てて飛び回って周囲を照らすが、邪神の姿はどこにもない。
悪霊の群もまた、いつの間にか居なくなっていた。
「奴は今、お前の足より低い位置に居る」
邪神の言葉に釣られ、ガサクは下に目を向けた。
地獄の大地はすでに遠く、何も見えない。
「お前はすでに復讐の槍を備えておる。そのトゲをアクエンアテンに突き刺してやりたくはないか?」
ガサクの背中から大量のトゲが生え、重さでひっくり返りそうになり、ツタンカーメンがとっさに銛の柄をガサクのトゲに引っかけて支える。
「しっかりしろガサク! おれ達は一緒に上に戻るんだ!」
邪神がニタニタと笑う。
「男同士で仲むつまじいことだ。ファラオよ、お前もなかなか手が広いな」
「何でそうなるんだよ!?」
邪神はさらに笑う。
「ツタンカーメンよ、エジプトの神々の世界において、女が王になれないのは知っておるな?」
「ああ」
だからセト神がオシリス神を殺した際にも、オシリス神の妻が王になるわけにいかず、王位を邪神に奪われたのだ。
さらに邪神はこのルールを拡大解釈し、男同士で女になった者もまた王の資格を失うとして、ホルス神にそっちの意味で襲いかかって退けられた。
「神の定めは、人間どものファラオにも引き継がれた」
極めて稀な例としてハトシェプストという男装の女王が居たが、のちに記録からその名前を消されている。
「何でそんな話を?」
「この神話こそが、アクエンアテンが宗教改革を起こした理由。この神話は、アクエンアテンが王になるのに邪魔だった。アクエンアテンは男だが、ある特定の男の前では女として振る舞っていたのだ」
「!?!?!?」
「兄の夭折により思いがけずファラオとなったアクエンアテンは、転がり込んできた地位をかつての恋人に剥奪されるのを恐れ、自身の正当性を傷つける神話の存在を、神々の存在ごと消し去ろうとした!! それがあの宗教改革の正体なのだ!!」
「そんなことのために……」
ガサクがうめいた。
「そんなことのために俺の村は……」
ガサクのトゲが鋭さを増す。
邪神はクククッと喉を鳴らした。
「ツタンカーメンよ、アクエンアテンに会いたくはないか?」
「何でおれが……」
「アクエンアテンは男を好んだが、それに負けずに女も好んだ」
「それがいったい……」
「勘の悪いフリなど無意味ぞ!! アクエンアテンはお前の実の父親なり!!」
衝撃を受けたのはツタンカーメンだけではなかった。
「あああああ!!」
ガサクのトゲがツタンカーメンの翼を突き破った。
とっさにアポピスのウロコにしがみつき、ツタンカーメンは墜落を免れる。
しかしアポピスの、先端が近づいて細くなったしっぽは、ツタンカーメンとガサクの二人分の体重を支えきれずに大きくしなった。
邪神が笑う。
「二人そろってでは上には行けぬ。それにもうすぐアポピスの麻痺が解けるぞ」
ツタンカーメンはガサクの目を見た。
「一人が戻ってもう一人を先に行かせて……としたのでは、戻ったほうは間に合わぬぞよ」
考えていたことを邪神に言われて歯噛みする。
「粋がるな!! お前らには、互いのどちらかを突き落とす以外に道はない!!」
邪神の咆哮に、空気がビリビリと震えた。
セト神とホルス神の戦いの神話にはさまざまなバリエーションがあり、本作で触れているシーンがないものもあります。
アクエンアテンの宗教改革の理由は、ほとんどの資料では、政治的な力を持ちすぎた神官を排除するためとされています。




