「つーたんだ」
ギザの地にピラミッドが建てられたのは、ツタンカーメンが生まれる千年も前。
初代のファラオの誕生は、さらに五百年の昔。
人の歴史よりも古い時代の戦いが、ガサクの眼前で再現されようとしていた。
かたや、兄を殺して地上の王の座を奪った、エジプトの闇。
かたや、父の仇を退けて王位を取り返した、エジプトの光。
金や宝石の護符をフル装備したツタンカーメンが、光の神ホルスの分身として、闇の神セトと睨み合う。
ガサクが息を呑んだ、その音が開戦の合図になった。
先に動いたのはツタンカーメンだった。
ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちっ!
ホルス神から借り受けたハヤブサの翼の先端で、邪神セトのほほを左右両側から連続でビンタ。
そして邪神がひるんだ隙に……
「逃げるぞ!」
ツタンカーメンはバッと飛び下がり、ガサクを抱き上げた。
いつの間にかガサクの霊体の悪霊化は止まり、もとの姿に戻っていた。
羽ばたきで起きた砂煙を、はるかに見下ろして舞い上がる。
砂を払うセト神の姿がどんどん遠ざかる。
「……ファアオ様……?」
「つーたんだ」
一瞬の沈黙を風の音が包む。
「どうして……」
「おれがケンカに慣れてないだけ! ほんとはホルス神のほうがセト神よりも強いんだからな!」
と、ツタンカーメンは言うが、神話では互角だったとされている。
「いや、何で逃げてるのかじゃなくって、何で、その……つーたんが……」
何でファラオが墓泥棒なんかに手を差し伸べるのか、と、問いかけてやめる。
出逢ってから日は浅くとも、つーたんがそういう性分なのはわかる。
耳もとで風が唸る。
不意に……
「……フハハハハ……」
風に邪神の笑い声が混じった。
「!?」
ガサクの赤銅色の肌に、墨で描くかのように、幾何学模様や動物の絵がひとりでに現れた。
「何だ、これ……!?」
胸や腕、先ほどセト神に触れられた場所を中心に、それは全身に広がっていく。
「落ち着け! 象形文字だ!」
「何て書いてあるんだ?」
「ええっと……あっ、じっとして。顔を動かすな」
この体勢だとガサクのほほのものが一番読みやすい。
葦の穂の絵柄はアともイとも読む。
半円はT、ぎざぎざはN。
そして太陽を表す二重の円。
(太陽神アテン?)
いや、その手前、ほお骨のカーブの先にも言葉が続いている。
これはアテン神の名にあやかった人名だ。
「『アクエンアテン』」
ツタンカーメンの先代のファラオの名前。
それがガサクの耳に届いた瞬間。
「っ!!」
文字からトゲが生え、ツタンカーメンの腕をつらぬいた。
「痛てーッ!!」
危うくガサクを放り出しそうになったものの、どうにかこらえ、それでもこのまま飛び続けるのは無理で、ひぃひぃと叫びながら荒野の真ん中に不時着。
衝撃でガサクから手が離れ、そのまましばらくゴロゴロ転がる。
霊体なので血は出ていないが、全身傷だらけになってしまった。
「うう~っ」
身を起こし、ツタンカーメンが腕飾りの“ホルス神の目”の護符で自分の体をサッとなでると、それだけでトゲの刺し傷も、着地の際の擦り傷も、跡形もなく消え去った。
これが霊に対する神の力だ。
「ガサクー! 大丈夫か? おまえもこれ、使うかー? ……おい!! ガサクっ!!」
慌てて駆け寄る。
ガサクは、背中から生えたトゲが地面に刺さって、空に向かってジタバタしていた。




