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「幸せであれ」

 盗み聞きをしたい気持ちもなくはないけど、それはファラオが取るべき行動ではない。

 迷子にならないように杖で地面に跡をつけつつ、じゅうぶんな距離を取り、じゅうぶんな時間をその辺の岩にラクガキをして過ごす。


 茶色い岩を白い石でこすって、なんとなく人の顔。

 横向きなのがエジプト流。

 筒状のワンピースを着せて、女の人。

 誰の横顔と決めて描き始めたわけではなかったけれど、気がつけば王妃アンケセナーメンになっていた。

 政略結婚だったのなんて関係なしに愛してた。


 冠は、確かこんなだったかな?

 ネックレスはおれのとおそろいのあれにしよう。

 手には香油の壷を持たせてみよう。

 手や指の上手な描き方は、ツタンカーメンが幼かった頃に、先王アクエンアテンからじきじきに教わった。

 先王は、もともと王位を継ぐはずだった兄が突然の病に倒れるまでは自分がファラオになるなど夢にも思わず、歌や絵や美しいものを求めてフラフラしていたらしい。

 宗教改革の件ばかりが注目されて、そのせいで批判ばかりされているけれど、実はアクエンアテンは美術界にも改革をもたらしている人なのだ。


「アンケセナーメン……」

 どんな表情にしようか決めずに描いていたら、今にも泣き出しそうな顔になってしまった。

 指でこすって線を消し、口角を上向きに描き直す。

 幸せで在れ。

 おれが居なくても。


 岩にもたれて目を閉じる。

 岩は硬かった。




 そろそろかなと思って先ほどの場所に戻ってみると、ファジュルが一人で泣いていた。

「ファジュル!? ガサクはどこに!?」

「……わかんない」

「いったいどうして?」

「……ガサクは……あたしのこと……」

 しゃくり上げる。

「……きっとガサクは、あたしの歌が好きなだけだったんだ……あ、あたし、家からほとんど出たことなくて……人ともなかなか話せなくって……だから……きっとあたし、変なこと言っちゃったんだ……だから嫌われちゃったんだ……」

「そんなはずないッ!!」

「……つーたん……」

「ガサクがファジュルを好きなことぐらい、見てれば誰だってわかる! テレてんだか何だかしんねーけど、許さねーぞ! このおれが気を回してやってんのに!」

「あの……つーたん?」

「行くぞ、ファジュル!! ガサクを捕まえて、とっちめてやるッ!!」


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