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「すやすや」

 ナイル川をはさんで、東は生きている人間が住む土地。

 西は墓地。

 ファジュルが埋葬されたのは、王家の谷からは遠い、乾いた風の音が響く荒地の一角だった。


 岩山のふもとの天然の洞窟を利用した共同墓地。

 もっと目立たない場所にあれば裕福な者の家族墓地に使われていたかもしれないが、ここにこれがあるのは地元では知れ渡っているので、墓泥棒も狙わないような、ろくな副葬品も持たせられない貧乏人の遺体だけが運び込まれる。

 遺体をミイラにするのは、死者の魂が消えてなくなったりせずに、死後の世界で永遠に生き続けていてほしいという願いのため。

 貧しい両親には娘の遺体を専門のミイラ職人に託す余裕などはなく、せめて遺体を包む布ぐらいはと母が織り、遺体をナイル川の西岸まで船で運ぶ費用を父がかき集めている間に、娘は家の裏で日干しにされて一応はミイラになった。


 冥界の奴隷小屋に朝の光が射し込んでくる。

 目を覚ましたファジュルは、どんな夢を見たのか覚えていなかったが、とても寂しい気持ちになって……

 こんな時の生前の癖で、無意識のうちに窓を見つめた。

(……そっか……ここにはいつもの小鳥さんは居ないんだっけ……)

 でもそれでいい。

 だってここは冥界。

 病弱な彼女の貴重な友達だった“小鳥さん”まで死んでしまっていたら悲しすぎる。

 姿を見たことはほとんどないけれど、小鳥さんとは毎日のように窓越しに声を合わせて歌っていた。

 だから部屋にこもってばかりでも、ファジュルの人生は決して孤独なものではなかった。


「うう……う……」

 ファジュルの耳に飛び込んだのは、小鳥のさえずりとはかけ離れた青年のうめき声だった。

「ガサク? ガサク、大丈夫?」

 隣でうなされている青年を揺り起こそうとしたけれど、たくましい肩は少女の華奢な手で軽く触れたぐらいではビクともしなかった。

 貧しさの印のような丈の短い腰布から、スラリと伸びる、しなやかな脚。

 恵まれない境遇で育ってもこれだけ美しいのなら、恵まれた環境にいれば美の神ネフェルテムのようになっていたのかもしれない。

 ガサクは走るのが速いと自慢していた。

 この脚で窃盗をくり返して、一人ぼっちで生き延びてきたのだと。


「……う……う……」

 苦しげな表情。

 見ているだけで胸が詰まる。

 ガサクをはさんで向こう側で寝ているツタンカーメンがすやすやと心地よさそうなのとあまりに対照的すぎる。


 汗ばんだほほをペチペチたたく。

 強くはできない。

 痛くなんてできない。

 ただ、触れているうちに欲が出た。

 ファジュルはツバを飲み込んで、ガサクの顔に唇を近づけた。


(く、口同士はさすがにマズイよねっ。最初はほっぺた……やっぱりおでこっ。大丈夫! つーたんはぐっすり眠ってる!)

 ファジュルの鼻息でガサクのまつげが揺れた。

「う……ううん……」

 ガサクがうっすらと目を開ける。

 と同時に……

「きゃああ!?」


  ザザザザザッ!!


 ガサクの頭上から大量の砂が降ってきた。

「何で!?」

 ファジュルが叫ぶ。

「もしかしてガサク……ちゃんとお墓に入っていないの!?」

 遺体が砂漠に打ち捨てられてでもいるのだろうか。

 もがくガサクの霊体にそそがれ続ける砂の滝は、助けようとしたファジュルも飲み込んで、埋葬と呼ぶにはあまりに乱暴に小屋中を埋め尽くしていく。




「何の騒ぎですか!? ぶわっ!?」

 ハタプ神が戸口の封印を解いて小屋に飛び込もうとしたものの、一歩踏み込むいとまもなしに、流れ出た砂の下敷きになる。

 だけどそこはやっぱり神様。

 ハタプ神の全身がピカッと光ると、砂の滝はピタリと止まった。


「えいっ!」

 小屋の中で小さな竜巻を起こして、砂を窓から追い出して、ガサクとファジュルを発掘する。

「ツータン君は!?」

 姿が見えず、慌てて探す。

 ツタンカーメンは窓の外、窓枠の下で、砂に押し出されてエビ反りになって転がっていた。


 そのツタンカーメンの頭の上に……


   コンコンコンコンコン!


 王墓に納められていた大量のシャブティ人形が降ってきた。


   カンコンカンカンコンカンコンカンコンコンッ!


 シャブティ人形がツタンカーメンを埋め尽くす。


   ドサドサドサドサドサドサドサドサドサドサドサドサッ!!


 黄金に青銅に、白い石(アラバスター)に、青硝子ファイアンス

 さまざまな素材で数百体。

 それはまさにファラオの副葬品にふさわしい豪華な品々だった。

 が、それらに押しつぶされたファラオは、情けなくジタバタともがいていた。


 古代エジプトの王様や貴族は立派なお墓を残しているので記録がたくさんあるわけですが、庶民の埋葬方法については、使える資料がなかなか出てきませんですっ。


 ある資料ではプトレマイオス朝(ツタンカーメンの時代よりもずっと後)になってから、庶民も王様の真似をしてミイラを作るようになったとあり……

 別の資料ではそもそも庶民の遺体は砂漠に適当に埋めておいても自然に乾いてミイラになるのに、立派なお墓に収められた王様の遺体がしっけて腐ってしまうのはマズイから、乾燥剤や防腐剤を使ったミイラ作りの技術が開発されたとあり……


 ある資料では、庶民の遺体はナイル川に流されて水葬にされていた可能性がなくもないんじゃないのかな、とあり……

 別の資料では、農民は全員が水葬だったと、何故か断言されている……


 時代による違いもあれば、同じ時代でも地域によっての違いもあるわけで、ファジュルが住んでいた、歴史には残っていない田舎の小さな村ではこうだったっていうことですぅっ。




 ツタンカーメンのお墓に納められたシャブティ人形の数は、百体以上とか数百体とか、これまた資料によって記述が異なり、実際に数えたという資料は見つけられませんでしたっ。


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