「おれがその光」
「空からね、光が降ってくるのが見えたんだ」
ファジュルがツタンカーメンに寄り添ってゆっくりと歩きながら話す。
言葉の合間に杖をつく音が響く。
平民には裸足で暮らす人も多く、ファジュルもガサクも裸足だが、ファラオには新鮮な体験である。
「それで来てみたら沼があったんでビックリしちゃった」
辺りには、人の姿をすっぽり隠して余りある、ピラミッドの建材に使えそうなほどの大岩がゴロゴロしている。
わずかな隙間を縫って進めば、迷路のようにくねくね曲がる。
ガサクは一人でずんずん行ってしまうかと思いきや、角を曲がるといつもそこで待っている。
その度にファジュルはニコッと微笑み、その度にガサクはプイッと一人で先に行く。
ツタンカーメンは、自分がガサクに意地悪をしているような気分になった。
「でも冥界では不思議なことなんて珍しくないよね。いきなり沼があるぐらいなら、むしろ大して不思議じゃない方だもん。光が何だったのかは結局わかんなかったけどね。つーたんも光を見つけてここに来たの? 上を見ながら歩いてたせいで沼にはまっちゃったとか、つーたんならありそう!」
「ううん、おれがその光」
ファジュルがケラケラと笑う。
笑いながらガサクに追いつくと、ガサクはひどくムスッとしていた。
「しーっ!」
ガサクが口に指を当てて合図する。
ツタンカーメンがそうっと岩の向こうを覗くと、そこには四角い石を積んだ高い塀と、大きな門があった。
「あの門の向こうにオシリス神の社殿があって、それを越えればアアルの野。だけど門を通るには、門番への供物が必要なんだ。
ファジュルの家は貧乏だから供物なんかろくに用意できねーし、俺は天涯孤独の身なんで、誰も冥福すら祈っちゃくれねー。
だから門に近づくヤツから供物を奪う以外にねーんだ。そうしねーと前に進めねー」
「供物かぁー」
ツタンカーメンの分は養父のアイが全部やっておいてくれているはずだ。
「つーたんも何にも持ってないよね」
「死者の書すらないのにこんなとこに居るとかマジでウケるぜ」
「つーたんもあたし達のを一緒に見よう!」
ファジュルが服の中から巻物を取り出した。
その巻物には、服とは不釣合いに豪華な装丁がされていた。
「ほら、この絵! あの門にそっくりでしょ? だからここに描いてあるのがお供え物ね。これはパンで、こっちはたぶん牛肉。壷の中は麦酒だと思うんだけど……」
地面に膝をついて巻物を広げ、ファジュルが挿絵を一つ一つ指差す。
「葡萄酒って書いてあるぞ」
「ウソつけ。貧乏人に文字なんか読めるかよ」
ツタンカーメンの一言に、ガサクが妙につっかかる。
「読めるよ」
「だったらもっと読んでみろよ」
「ええっと……」
巻物をさらにコロコロと広げる。
「……え?……」
息を呑んだ。
「何だ……これ……」
「ほらやっぱ読めねーじゃねーか」
「いや、汚れが……」
赤黒い、不気味な染みが、祈りの言葉をつづった文字の上をベッタリと覆っていた。
「……これ……血か……? 誰の……?」
「わかんない。この死者の書は拾ったもの……なんだよね……?」
ファジュルがガサクの方を見る。
「ゴミだよ。汚れたから捨てられたんだ」
不意に冷たい風が吹いた。
たいまつの火が揺れた。
血濡れの死者の書が飛ばされないよう、ツタンカーメンは慌てて抑えた。
通称は死者の書。
正式には日下出現の書。
前作では日の出の書と表記しましたが、本作では死者の書と呼んでいます。
理由はひとえに『血濡れの死者の書』というフレーズが使いたかったからですぅ。
はてさてこれは誰の血か?
ガサクとファジュルが冥界に居るのは何故か……?