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その⑧

 クロス警部と部下のサイモンを見送りながらラビスミーナ、ヴァン、ロブ・ヒル、アラン・マッカーレン、ホプキンス夫人が館を出ると、あたりはもう夕日で輝いていた。

「では、私はバラ園に戻ります」

 アランが言った。

「これからですか?」

 ラビスミーナが聞いた。

「ええ。やり残した仕事がありますので」

 アランが歩き出す。

「ところで、アランさんはどこで暮らしていらっしゃるのです?」

 ラビスミーナの声にアランが振り返った。

「私は館の二階に部屋があります。ゼンダも二階に住んでいました。メイドのザビーネとスーザン、そして執事のキリロフと雑役夫のマイケルが三階を使っています」

「二階には客用の寝室もそろっていますよ」

 ロブが言った。

「ええ、皆様のお部屋は二階になります。今、メイドがご用意しておりますので、その間、庭をご覧になりますか?」

 去っていくアラン・マッカーレンを見送ってキリロフが言った。

「ああ、何もかも懐かしいわ。菜園、温室、そしてバラ菜園」

 ホプキンス夫人が呟く。

「ご案内いたしましょう。フォード様、ヴィット様」

 キリロフが微笑む。

「ありがとう、キリロフ。ところでアランさんのことですが……どんないきさつでこちらに?」

 ラビスミーナが聞いた。

「それは……アラン様はゼンダ奥様のご夫君フィリップ様と、その……内密に付き合っていた女性のお子様なのです……この館も島も奥様がお父さまから受け継いだもので、事業で失敗なさったフィリップ様は、何というか……肩身が狭いようでアラン様のことも正式にご自分の御子とはお認めになりませんでした。ですが、奥様はフィリップ様が亡くなり、その後を追うようにして相手の女性が亡くなると、身寄りがないアラン様を援助されました。アラン様はケペラの大学で化学と生物学を修められ、そのままこちらで働いていらっしゃるのです」

「何とも……息苦しくないのかな?」

「ラ、いや、サラ」

 ラビスミーナを引っ張るヴァンに気づいて、ロブが苦笑した。

「息苦しいどころか、あの若者は心からここが気に入っているように見えるが」

「ああ、そう言っていましたね。もし、……もしですよ、マッカーレン夫人を殺したのがあの若者だったら? あの若者なら容易に近づける」

「だが、サ、サラ、マッカーレン夫人は孤児になるところだった自分を助けてくれた人だぞ?」

 ヴァンが怪訝な顔をする。

「財産にしても、彼の立場にしては十分もらっていると思うが?」

 ロブも言った。

「アラン様は財産のことなど全く関心がありません」

 キリロフもきっぱりと言った。

「そうか」

「ここに……妹を殺した犯人がいるのでしょうか?」

 ホプキンス夫人の顔が曇る。

「可能性はありますね」

 ラビスミーナが答える。

「いやだわ。それにあの手紙……」

 ホプキンス夫人は思い出したように言った。

「弁護士のトゥルナトーレが渡したマッカーレン夫人からのものですね?」

「ええ、サラ。短いものでした。『もし自分が先にこの世を去ることがあったら、この島が抱えるものをケイトに託さなくてはならないわ。ごめんなさいね』っていったい何のことを言っているのかしら?」

「心当たりはないのですか?」

 ヴァンが聞いた。

「ええ、まったく」

 ホプキンス夫人が首を振る。

「そうだ、キリロフ、この館には移動に使える乗り物はありますか? 明日島を見て回りたいのですが」

 夫人を見つめるキリロフにラビスミーナは聞いた。

「そのことなら……申し訳ありません、フォード様。四輪があったのですが、二台とも故障してそのままになっていて……」

「四輪だって?」

 目を丸くするヴァンの隣で、ラビスミーナが言った。

「そのまま? では、どうやって島を回っているのですか? まさか歩いてというわけにはいかないでしょう?」

「島民は屋敷の周りに住んでいて、かつての道はあるものの、島の奥にはめったに行きません。館の私たちも温室と菜園以外に行くことはありませんし。車がなくても、困ることはないのです」

「キリロフさん、その壊れたままの四輪というのはどこです?」

 ヴァンが聞いた。

「館の車庫に入ったままになっています。ほら、あちらの」

 庭を歩きながら、キリロフが館の庭の木陰にある建物を指差した。

「なるほど……」

 ヴァンの目が輝いた。

 一行が館を回り込んで裏庭に出る。

 その前方に広々としたバラ園があった。

「しかし、見事なバラだ……」

 ラビスミーナは言葉少なに夕日に輝くバラの花々をながめた。

「昔のままよ……いいえ、昔以上だわ」

 夫人が満足のため息をついた。

「イアンが丹精込めて育てたものですよ。今はイアンの妻とアランが世話をしています」

「あの女性ですね?」

 バラ園の一角で働く女性の姿を見てラビスミーナは聞いた。

 せわしく手を動かしていたかと思うと、ふとその手が止まる。わずかに日に焼けた顔に茶色の瞳。まだ三十代の半ばと思われた。

 一行に気づいて彼女がお辞儀をした。

「はい、あれがイアンの妻リタです。呼びましょうか?」

 キリロフが聞いた。

「いや、仕事中に邪魔をしては申し訳ない。しかし……夫が死んだばかりなのだから仕方がないが……笑えば可愛らしいだろうに……」

 暗い表情の影に憂いを秘める庭師の妻を見てラビスミーナは言った。

「はい、リタは出しゃばるようなところはありませんが、もともと生き生きとした明るい女性で、よく働いてくれます」

 キリロフは答えた。


 その晩、見事なバラで飾られたダイニングルームのテーブルの席に着いたのはロブ・ヒル、ヴァン、ラビスミーナ、アラン・マッカーレン、そしてホプキンス夫人だった。

 前菜の皿には菜園で採れた野菜やキノコが彩りよく載っている。メインはもちろんケペラ産のラム肉、豊富な種類のチーズ、そしてワインもケペラの有名な醸造所からのものだ。

「キュベレとは、ずいぶん立派なものを……このケペラでもなかなかお目にかかれないと聞いていますが」

 とろみのある、濃い赤の液体をグラス越しに眺めてラビスミーナは言った。

「ヒル様が今夜の晩餐のためにお持ちくださったのでございます」

 キリロフが恭しく瓶を差し出した。

「まあ、そうでしたか」

 ホプキンス夫人が微笑んだ。

「価値のわかる方々に召し上がっていただけて嬉しいですよ」

 ロブ・ヒルは軽く会釈すると、ラビスミーナに目を戻した。

「ゼンダの死因が自殺でないとはっきりしました。それで胸のつかえが取れましたが、また新たな悲しみと疑問に悩まされることになりました」

「ヒルさんはマッカーレン夫人のご友人と言われましたね?」

「ええ。釣り好きだった私がたまたまこの島を訪れたのが縁です。釣り場としては今一つだが、私は静かなこの島が気に入ってね。ゼンダに許しをもらってここで釣りを楽しんだものです」

「そうでしたか。それで、ゼンダ・マッカーレン夫人とはあなたから見てどのような方でしたか?」

 ラビスミーナの言葉にホプキンス夫人が顔を上げた。

「ええ、是非お聞きしたいですわ。この島を出てから……私は妹と、あの、疎遠になってしまって……」

「そのようですな。ゼンダが強引にこの島を父上から受け継いでしまったから、ですな?」

「そうですわ。それまでは仲の良い姉妹だと私も、島の人たちも思っていたのに」

「ゼンダにはゼンダの事情があったのでしょう」

「それは?」

「じきにわかるかもしれません」

「ロブ?」

 ホプキンス夫人は落ち着いて語るロブ・ヒルを見、ロブは安心させるように微笑んだ。

「とにかく、妹さんは決して欲張ったわけではない。それどころか、姉思いの方でした。もともと社交家ではなく、ご夫君のフィリップ・マッカーレン氏との間にお子もなかった。フィリップが亡くなると、この島で家族と呼べる人間は一人もいませんでした。バラ園や菜園での仕事を生きがいにしていらしたように見えました」

「妹は不幸だったのでしょうか?」

 ホプキンス夫人がロブ・ヒルを見つめた。

「どうでしょうか? でも、ご自分のお選びになった道に文句を言われるような方ではないと思いますが」

「ええ、そうね。妹は昔から頑固なところがあったわ。でも、それはいつだって自分のためじゃないの……私ったら……頑固なのは私の方。こんなことになる前にここを訪ねればよかった」

「そうだ、ヒルさん、あなたはマッカーレン夫人が亡くなったと知ってこちらにいらしたのですよね?」

 食事に没頭していたと見えたヴァンが手を休めて聞いた。

「ええ、ゼンダが亡くなってすぐに」

「その時庭師は?」

 ヴァンは重ねて聞いた。ロブ・ヒルは一瞬顔を曇らせ、小さくため息を吐いて答えた。

「元気でしたよ。ゼンダの死には動転していたが、執事のキリロフと一緒にこまごまとした仕事をこなしていました。ケイトと館の弁護士トゥルナトーレにすぐに連絡するようにキリロフに言ったのもイアンだそうです」

「私も動転していたのでしょう。イアンの言葉にはっとして、それで急いでご連絡を差し上げたのです」

 キリロフも頷いた。

「キリロフ、その時イアンはどこも変わったところはなかったのですね?」

「はい」

「しかし、そんなに急とは。体質的に問題があったのだろうか? イアンの遺体は?」

「既に荼毘に付して葬式は済んでいます。リタと島の者達が集まって」

 しきりに首をかしげるヴァンにアランが言った。

「二人の間にお子さんは?」

 ラビスミーナが聞く。

「いません」

 アランが答えたところへ、銀のワゴンを押した庭師の未亡人リタ・パトリックが入って来た。

 リタはそれぞれにチョコレートのケーキを置いて行く。そこに添えられたジャムにラビスミーナは目を止め、それに気づいたヴァンが聞いた。

「バラのジャム?」

「はい。お嫌いですか?」

 リタはヴァンを見た。

「いいえ。好きですよ。いい香りだ」

 ヴァンは慌てて答えた。

「明日の朝、よろしかったらバラのお茶をお入れいたしますわ」

 リタはかすかに嬉しそうに笑った。

 温かい笑みだった。

「それは楽しみです。ところで、あなたはここの料理もなさるのですか?」

 ラビスミーナも微笑んだ。

「少しお手伝いすることもあります。今日のようにお客様が多い時などは」

「ご主人のことでお疲れのところを煩わせてしまいましたね」

「いいえ。動いていたいのです。その方が救われるのです」

 リタは俯いた。

「まあ、美味しいケーキだこと。ジャムもケーキにピッタリだわ。後で私に作り方を教えてくださいな、リタ」

 ホプキンス夫人が声をかける。

 ロブ・ヒルも頷いた。

「ジャムも、お茶も、うちのホテルのものより香りがいい。バラを知る人ならでは、ですな」

「皆様……勿体ないお言葉ですわ」

 リタは戸惑ったようにお辞儀をすると、ワゴンを押して部屋を出た。

「ところでフォードさん、ゼンダが自殺でないことがわかったわけですが、あなたのお仕事は終わりですか?」

 ロブ・ヒルがラビスミーナを見た。

「明日から改めて警察が捜査に入ります。彼らの仕事ぶりを見せていただこうかな。ヒルさん、あなたは?」

「お二人ともロブで結構ですよ」

「では、サラと」

「アントンと呼んでください」

「これはうれしい」

 ロブ・ヒルが相好を崩す。

「それで、ロブ?」

「私もこちらにいます。何かお役にたてることがあるかもしれない」

「心強いですわ、ロブ。私はここで生まれ育ったとはいえ、こんな形で戻ってくることになってしまって」

 ホプキンス夫人はうるんだ目をハンカチで押さえながら言った。


「ヴァン、どう思う?」

 用意された館の客室のソファーで身を伸ばしたラビスミーナがヴァンを見た。 ヴァンはその傍らに腰を掛けるとため息をついた。

「どうと言ってもなあ……夫人の殺害の件なら、盗まれたものが何もない。この島の様子では内部の者の犯行だと思うのが筋だろうけど? 恨みか、利害か……」

「恨みを買うような人ではないと言うが……利害については夫人が死んで利益を得たのはあのアランということになるだろうな」

「アランか。だけど、アランはこのまま島でバラを世話したり、菜園を管理したりしたいと言っている。そんな男に金は要らないのでは?」

「急に必要になった、とか?」

「かも、な」

 二人は顔を見合わせ、それからラビスミーナは言った。

「まあいい。ここで考えていてもらちが明かない。明日はちょっと友達のところに寄って、ゼフィロウの出先に顔を出して来よう」

「友達?」

「ああ、メリッサというんだ」

「ふうん。そうだ、領事館に行ったら医師のネビル・スコットのことも聞いてくれ」

「わかった」

「しかし……俺たちはシュターンミッツ長官に頼まれてこの島に来たんだろう? でも、この島にリョサル王の影は見えないな? リョサル王の秘密って何だ? ケイトがもらったあの手紙と関係があるのかな?」

「島を調べてみるか」

「ラビス、どうやって調べる? 屋敷内ならともかく島全体となると……」

「そこだ。いきなり大がかりな車両を投入するわけにもいかない」

「ああ、俺たちにそんな権限はないもんな」

「オルクがあればなあ」

「そのことだけど、ラビス、ここの四輪を動かせるかどうかやってみようか?」

「おお、ヴァン、そういうところが大すきだ」

「お前は……」

 ヴァンは現金な恋人に苦笑した。


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