その⑦
リスの館と呼ばれる島の館に入ると、まずは凝った壁紙と木製の家具が目につく。外から来ると薄暗く感じる室内の壁紙は、とりどりの植物がモチーフだ。
ホールの正面は緩やかな階段が二階へと続いていて、吹き抜けのホールには古いが丁寧に磨かれたシャンデリアが下がっていた。
ホールの両脇には立派なドア。
執事のキリロフは左手のドアを開け、ホプキンス夫人、クロス警部が入り、そしてヴァンとラビスミーナが続く。
先にいた客たちが一行を見て立ち上がった。
まず、口を開いたのはきちんと撫でつけられた黒い髪にきちんとしたスーツを着た男。彼はいかにも事務的にここを訪れた感じだった。
「ホプキンス夫人、亡くなったマッカーレン夫人の弁護士、マリオ・トゥルナトーレです。長く父がこちらを担当しておりましたが、私が引き継ぎまして……あの、よろしければ早速マッカーレン夫人の遺言をお伝えしたいのですが」
その顔に少々の愛想笑いが浮かぶ。
「わかりました。アランは呼んでありますか?」
ホプキンス夫人はキリロフを見た。
「はい。すぐに見えるでしょう。少々お待ちくださいませ。皆さんにお茶をご用意して」
キリロフは部屋に控えていたバラ色の頬の若いメイドに言った。
「ホプキンス夫人、失礼ですが、そのアランという方は?」
「ああ、サラ、ゼンダには子供がいないのだけれど……アランは妹の夫の……浮気でできた子で、ここで暮らしているようですわ」
「なるほど」
「ところで、あなた方は? お二人ともこの館に関わりがおありなのですか?」
恰幅のいい中年男が興味深そうにヴァンとラビスミーナを見た。
「マッカーレン夫人の件を調べてほしいと依頼されたそうです。ゼフィロウからいらしたとか?」
クロス警部がヴァンとラビスミーナを見て言った。頷く二人に若い弁護士が怪訝な顔をした。
「調べる? 何を、です?」
「久しく会っていなかった友人の死のいきさつを知りたいと依頼があったものですから」
ラビスミーナが答える。
「おかげで検視をすることになりましたよ」
クロス警部が頭を搔き、客間にいた人々が顔を見合わせた。
「マッカーレン夫人の死に不審な点があると?」
恰幅のいい中年男が聞いた。
「きちんとしないと気が済まない性分なので」
ラビスミーナは悪びれずに答えた。
「是非結果を知りたいものですな」
白髪の紳士が鋭い視線をラビスミーナに向ける。
「それにしても……久しぶりに来た家には知らない人ばかりですわね」
ホプキンス夫人が困った顔をした。
「これは失礼いたしました。自己紹介は私からでよろしいかな?」
恰幅のいい中年男がホプキンス夫人の前に進み出た。
「私は不動産の仕事をしているリチャード・スミスと申します。以前からこの島には興味があったのですよ。できれば島ごと譲っていただきたいと思ってやって来たのです」
「それは、豪勢なお話ですな」
クロス警部が言った。
「ポール・ガードナーです。私は観光会社をやっています。どうか、お見知りおきを。マッカーレン夫人は頑としてこの島の観光化には反対でしたが、もし夫人亡き後、相続なさった方がこの島の観光化に興味がおありでしたら、是非ご相談願いたいと」
ポール・ガードナーはホプキンス夫人を見て微笑んだ。
「私はロブ・ヒルと言います」
白髪の紳士が言った。
「ロブ・ヒル? もしや、あなたはグローヴホテルのオーナーの……?」
リチャード・スミスが驚いた声を上げた。
「ええ」
紳士が頷く。
「これは光栄です。何しろ、そのお名前は聞こえておりますが、実際にお会いできる者はめったにいないという方ですからね」
ポール・ガードナーは目を輝かせた。
「それは大袈裟ですよ。あのホテルのオーナーといっても私は名ばかりで経営にはまったく口を出していませんから。公に出る資格もないというのが本当のところです」
「またまたそのようなことを」
リチャード・スミスもポール・ガードナーも弁護士のマリオ・トゥルナトーレまで興味津々の様子だ。
「こちらへは、やはり島をお買いに来られたのですか? この島はケペラの街からほど近く、それでいて野趣に富んだ自然を楽しめる。ホテルと農園を組み合わせれば、その価値は上がりますね」
リチャード・スミスが探るように言った。
「いや、そのつもりはありませんよ。実は、私はマッカーレン夫人がこの館を相続したころからの友人で、夫人にもしものことがあった場合には、相続人が決まるまで館の面倒を見て欲しいとご本人から頼まれていたのです。それで、こうしてやって来たのですよ」
ロブ・ヒルはゆったりと言って、ヴァンとラビスミーナを見た。
「それで、お二人のお名前は?」
「申し遅れました。私はアントン・ヴィットと言います。こちらが婚約者のサラ・フォード。サラの仕事に付き合ってこちらに伺いました」
ヴァンが言う。
そこへクロス警部の端末が鳴った。
「失礼」
部屋を出た警部はドアの所で待っていた部下のサイモンから資料を受け取り、一言二言言葉を交わした。
客間ではお茶の用意をしていた若いメイドがカップを運ぶ。それぞれが互いの品定めをするような空気の中でクロス警部が戻った。
「検視の結果が出ました。ホプキンス夫人、今ここでお伝えしてもよろしいですか?」
「ええ、お願いいたしますわ」
夫人が頷いた時だった。遠慮がちにドアが開き、一人の青年が客間に入ってきた。
ほっそりと背は高く、華奢な男だった。
肌の色は大理石のように白く、髪は亜麻色の巻き毛、通った鼻筋に、甘いブルーの瞳……さながら美しい彫像のようだ。
「遅くなりました、ホプキンス夫人。アラン・マッカーレンです」
「あなたが……アラン?」
ホプキンス夫人は、しばしアラン・マッカーレンに見とれてしまった。
「はい。母が死んでからずっとゼンダに援助をしてもらっていました」
アラン・マッカーレンが困ったように目をそらす。
「あら、失礼。だけど、ちょうどよかった。これから警部さんが妹の検視の結果をお話ししてくださるそうですから」
「検視、ですか?」
アラン・マッカーレンは驚いた顔を客たちに向けたが、すぐに黙って腰を下ろした。
クロス警部が資料を開く。
「では……ご覧ください。驚かないで下さいよ? 墜落によって夫人の頭蓋骨は大きく損傷していましたが、さらに詳しく調べると夫人の頭蓋骨には墜落した時にできたとは思えない損傷が後頭部に二か所、見つかったのです」
「こことここですね?」
ヴァンが指をさす。示された頭蓋骨の画像は前面から頭頂にかけて広く損傷しているが、後頭部にも二か所の損傷が見える。
「はい。係官によると、後頭部の二か所は墜落でできたにしては不自然だというのです。つまり……」
クロス警部はちらりとその視線をラビスミーナに向けた。
ラビスミーナが無言で促す。
「つまり、夫人は墜落する前に頭部に損傷を受けていたということになります」
「何と……?」
執事のキリロフが声を上げ、慌てて口を押えた。
「では、自殺ではないな」
ラビスミーナが腕を組む。
「まあ……ゼンダ……」
ホプキンス夫人は崩れるようにソファーに寄りかかった。
「君、確かなのかね?」
リチャード・スミスが聞いた。
「間違いありません」
クロス警部が答える。
「妹は誰に……」
部屋にいた皆が黙り込む。
「それはわかりませんが、もう一度捜査する必要がありそうですね。そう言えば……まさか庭師のことまで調べろとは言いませんよね?」
クロス警部が恐る恐るラビスミーナに聞いた。
「庭師、とは?」
ラビスミーナがクロス警部を見る。
「最近死んだんですよ」
警部はため息をついた。
「どういうことです?」
「なに、急病だそうですよ」
「あの……」
弁護士のトゥルナトーレが遮った。
「あの、皆様、誠に残念なことではありますが、どんな理由にしろ、マッカーレン夫人が亡くなったことに変わりはありません。アラン・マッカーレン氏もいらっしゃいましたし、相続の件に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」
クロス警部を窺いながら、弁護士のトゥルナトーレはホプキンス夫人に聞いた。
「ああ、ええ。わかりました。お願いいたします。お忙しいご様子ですもの」
「恐縮です。それとどなたか立会人になっていただきたいのです。できれば館の方とご友人が望ましい。館の方となると執事のあなたでしょう」
トゥルナトーレがキリロフを見た。
「奥様,私でよろしいのでしょうか?」
「お願いするわ」
「それと、どなたかもう一人館の方をお願いできますか?」
「私は来たばかりで……」
夫人が言うと弁護士はキリロフを見た。
「では、メイドのザビーネが良いと思います。ザビーネはこの館に長く務めておりますから」
「そうですね。それと、ご友人がいらっしゃるとよいのですが」
「私はここを離れて長いし、友達なら皆ニエドに……サラ、来てくれるかしら? それとヒルさん、妹と親しかったのですから、あなたにお願いしたいわ」
「さほど時間がかかるものではありません。読み上げた書類にサインをいただくだけですから」
弁護士が言う。
「わかりました」
ラビスミーナとロブ・ヒルが頷いた。
「では、別室へどうぞ」
執事のキリロフがドアを開ける。
ホプキンス夫人、弁護士のトゥルナトーレ、亡きゼンダ・マッカーレンの養子アラン・マッカーレン、亡きゼンダ・マッカーレンの友人ロブ・ヒル、そしてラビスミーナがキリロフの後に続いた。
「庭師が病死したと仰っていましたが、いったい何の病気だったのです?」
暇を持て余したヴァンがクロス警部に聞いた。
「急性の肺炎ですよ」
「急性の……? もともと病気でもあったのですか?」
「それはないと聞いているが」
クロス警部の返事にヴァンは首をかしげた。
「それと……庭師のイアンを診た医師のネビル・スコットが姿を消している。家族から捜索願が出ているのですが、行方が分からないのです」
クロス警部が続ける。
「ネビル・スコットですか……庭師の死とは関係はないのですよね?」
「いやはや、ゼフィロウの方は短絡的ですな」
リチャード・スミスがあざけるように言うとポール・ガードナーがわざとらしく肩をすくめた。
「全くですな」
「そうでしょうか? ああ、そういえば、島に着いてすぐ塔からこの島を眺めたのですが、よく木々が茂っていますね。それがなんとなくケペラらしくないというか……」
気まずくなったヴァンは話題を変えた。
「どういうことですかな、ヴィットさん」
スミスが言い、ガードナーがヴァンに冷たい視線を向ける。
(またまずいことを言ったかな?)
ヴァンは途方にくれながらも、途切れ途切れに言った。
「ええと、代々の島の所有者は、もっとこの島を耕して広い農園を作ろうと思わなかったのだろうか、と」
「なるほど、ケペラならば、ということですな? ケペラにも変わり者がいたのでしょうか」
リチャード・スミスが笑った。
「はあ、そうかもしれませんね。ところで、ここは少し暖かい。湿度もある。ベウラ島は中央に行けば行くほど、熱帯に近い植物が育つようですね」
自尊心の強いケペラの実業家と、もはやかみ合わない会話をしているヴァンをクロス警部は気の毒そうに見守った。
ドアが開いた。
「無事に終わりましたか?」
ポール・ガードナーが弁護士のトゥルナトーレに聞いた。
「はい、滞りなく」
トゥルナトーレはほっとした様子だった。
若いメイドが新しいカップを持って各々に飲み物を配る。一同がソファーにかけた。
「で?」
リチャード・スミスがトゥルナトーレを促した。
「動産の一部、一億クレジットは夫人の亡くなったご夫君マッカーレン氏のお子様のアラン・マッカーレン氏に送られますが、この館もベウラ島も相続されるのはケイト・ホプキンス夫人です」
「やはり」
ポール・ガードナーが夫人を見た。
「それでは、私はこれで失礼いたします」
カップに入ったお茶を一口飲んでホプキンス夫人に会釈すると、トゥルナトーレがいそいそと部屋を出て行く。
「一億クレジットか……アラン、一億クレジットといえば一生遊んで暮らしても使いきれない額だ。いつまでもこんな辺鄙な、いや人里離れた島で暮らすつもりではなかろう? 若者は町を好むものだ」
ケペラ一の不動産会社を持つリチャード・スミスはからかうように言ったが、アラン・マッカーレンは首を振った。
「いいえ、私はこの島でイアンの後を継いでバラ園や菜園の世話がしたいのです。そのことはケイトにもお願いして……ケイトは快く受けてくれました」
アランは顔を輝かせた。
「こちらにとっても願ってもないことです」
新しい館の主ケイト・ホプキンスが頷く。
「ということは……ホプキンス夫人、この館ともども、そっくりベウラ島をお売りになる気はないのですか?」
リチャード・スミスが聞き、ホプキンス夫人は答えた。
「ええ、その気はありませんわ」
「しかし、私どもならば、決してあなたに損をさせることはありませんよ」
スミスがぐいと身を乗り出す。
「何とおっしゃられようと。明日はゆっくり懐かしい島を見て回るつもりです」
「ケペラで指折りの財産家になれるとしても、ですか?」
重ねてスミスは聞いた。
「ご期待に副えなくて申し訳ありませんけれど」
ホプキンス夫人は苦笑した。
「いいでしょう。でも、また出直しますよ。その時はお気持ちが変わっていることを願っています」
スミスは重々しく席を立ち、ガードナーがそれに続いた。
「さて、我々もひとまず帰りましょうか? フォードさん、ヴィットさん、二人とも、送りますよ」
クロス警部も立ち上がった。
「そのことですが、サラ、アントンも、よろしかったら館に泊まっていただけませんか? ヒルさんも是非ご一緒に。ああ、もちろんグローヴホテルのようにはいかないでしょうけれど」
ホプキンス夫人は付け加えた。
「とんでもない。ここは自然にしても、料理にしても最高ですよ。ここを開発しようというスミスやガードナーの目は確かですな」
ロブ・ヒルが肩をすくめる。
「ヒルさんも……私に島を独り占めしないで皆に解放しろと?」
ホプキンス夫人はいたずらっぽく笑った。
「あなた次第ですよ。それと、私のことはロブと呼んでいただけると嬉しいですな」
ロブ・ヒルは答え、夫人は機嫌よく言った。
「私のことはケイトと」
「では、ケイト、お言葉に甘えて滞在させていただきます」
ロブ・ヒルは優雅に微笑んだ。
「では、ホプキンス夫人、妹さんの死因が他殺となって事情が変わりました。今日は署に戻って、また明日伺います」
「ありがとう、よろしくお願いいたしますわ、クロス警部」
部下のサイモンを従えたクロス警部に夫人は頷いた。