表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/20

その③

 デミウルゴスの初運行の日が来た。デミウルゴス・システムの真新しい車両が、これもまた真新しいゼフィロウの専用ポートに姿を現し、ポートは報道関係者や見物人、そして胸躍らせる乗客でごった返している。

 その中にヴァンとラビスミーナの姿もあった。二人はファーストクラスの車両を通り過ぎ、スタンダードクラスに向かう。

 何しろこの日の二人は私立探偵とその婚約者ということになっている。うっかりファーストクラスで知人と出会い、正体がばれてしまったら台無しなのだ。


「ファーストクラスのゲストシートからスタンダードクラスに変えてもらったが……デミウルゴス製作に従事したお前としては不本意だったかな?」

 ラビスミーナは傍らを歩くヴァンに囁いた。

「いや、デミウルゴスとは工場でさんざん顔を合わせているさ。ファーストクラスでもスタンダードクラスでも客車の上辺の素材や家具調度を取り除けば全く同じだ」

 ヴァンは澄まして答えた。

「人と同じか」

 ラビスミーナが笑う。

「どうだかな? それよりお前こそ、ファーストクラスでなくてよかったのか?」

 ヴァンが自分より少し目線の低いラビスミーナを覗き込む。

 ラビスミーナはふふんと笑った。

「ファーストクラスのゲスト席からスタンダードの座席に変えたのは好都合だった。スタンダードの座席数はファーストクラスの座席数のおよそ二十倍。見ておくべきはこちらの方だ」

 ヴァンは屈託なく答えるラビスミーナを改めて見た。

 普段なら、その白い肌を引き立てる黒髪は、柔らかく巻いた栗色のウィッグで隠されている。だが、時にいたずらっぽく、時に厳しく輝くブルーの瞳はそのままだ。そこに彼女なりの優しさがある事をヴァンはよく知っていた。

 ラビスミーナの着ているローウェストの半袖ワンピースは象牙色の柔らかい布地だ。その上には同じ布地のジャケットを羽織っている。それに落ち着いた水色に紫、白、ピンク、そしてそれを引き締める紺の入った大判のスカーフがお花畑のような華やかさを添えていた。

 ヴァンの方は、ベージュのスーツから若草色のシャツが見える。カジュアルに使ったタイは紺地で、やはり花の色がちりばめられたものだった。茶色の髪はあまり櫛が通っているとは思えない……いつも通りと言えばいつも通りだ。

 海の国セジュの、九つの核の中でも科学技術に特化しているゼフィロウの若き研究者は、その領主の娘ラビスミーナと婚約しても、だからと言って変わることはないのだった。


 スタンダードの客車は二人掛けの座席が三列並び、その間が通路となっている。ほぼ満席の状態でゼフィロウから発車したデミウルゴスは、二番目の核ニエドのポートで半分ほどその客を降ろし、また、ほぼ同数の客を乗せた。

 慌ただしい乗降を済ませると、車体は滑らかにポートを出る。


 窓際の席に座っていたラビスミーナは小さく欠伸をした。

「まさか、もう飽きたのか?」

 ヴァンは呆れた。

「飽きたわけではないが……どうにもこのスピードが、な」

「そんなこと言ったって……今までのチェーンに比べて遜色はないはずだ。いや、十分速度も上がっている。乗せられる客の数も桁違いだぞ?」

 ヴァンはむきになった。

「わかっている。そのための動力エンジンもエネルギー効率もたいしたものだ。だがな……」

「ラビス、スピードについては戦闘用の潜水艇とはわけが違うさ」

 ヴァンはなだめるように言った。

「ああ、オルクが懐かしいよ」

 ラビスミーナが切ないため息をつく。

 オルクとはオートバイ型のラビスミーナの愛車だ。海中でも、核の中でも使うことができ、セジュ最速を誇っている。搭載する電脳も最新式だ。

「それは製作者冥利につきる」

 ヴァンはうれしそうに答えた。


「こちらでよろしいのかしら?」

 二人がすわる座席の通路を隔てた席に初老の女性が座った。ニエドのポートから乗って来たのだ。

「はい。お降りになる際には奥様の思念をチェックさせていただきます。お預かりしたお荷物は確認が済み次第、お渡しできますわ」

 女性を案内したアテンダントが言った。

「わかりました。便利になったこと」

 女性が目を丸くする。

「ええ。それだけではありません。お預かりしたお荷物はお客様のご指定先にお届けすることもできますが?」

「あら、もちろんそうしてもらいたいわ」

「承知いたしました。こちらに入力をお願いします」

 アテンダントは座席のテーブルに現れた画面を示した。

 女性が入力する。

「よい旅を」

 愛想よく微笑んでアテンダントが去って行った。

「よい旅をねえ……」

 小声で言った女性は顔をしかめると座席に身を沈めた。

 初めて乗ったデミウルゴスに乗客たちは皆にこやかだったが、彼女だけはどう見ても沈みがちだ。そんな客に二人はさりげない視線をやった。

 女性は流行とは無関係だが、仕立ての良いものを身に着けている。しっかりとした布地には年季が入っていて、それが却って自然で感じがよかった。

 やがてヴァンが学会の報告書を取り出して読み始めると、ラビスミーナは車窓に映る自分とヴァンを眺め、それからデミウルゴスが進む海中に目を凝らした。

 そこにあるのは深海。

 デミウルゴスがスタートした九番目の核ゼフィロウは、特に深い海底にある。 二番目に停車する核はニエド、それから三つ目の核がケペラだ。

 どの核も衛星のようにいくつもの小さなドームを従えているが、農業に特化した核ケペラの従える小さなドームのいくつかは、わずかながらに光が届くところに浮遊している。育てる作物の都合のためだ。核自体の深度もセジュの核の中では一番浅い。そしてそのケペラを過ぎると、また深度が下がって行くのだ。


「降りる前にデミウルゴスのカフェテリアを覗いてみようか?」

 ラビスミーナが席を立った。

「ああ、そうだな」

 ヴァンは読んでいた報告書を手荷物に押し込んだ。

 

 デミウルゴスのカフェテリアはファーストクラスとスタンダードクラスとの間にある。デミウルゴスを頭でっかちで細長い深海魚に例えると、先端の嘴のような部分が船長室、その後ろの徐々に大きくなっていく頭部がファーストクラス、そして最も大きな部分がカフェテリア、その後に今度は徐々に細くなりながらスタンダードクラスが続く。

「お一人ずつお通り下さい」

 カフェテリアの入口でアテンダントが声をかけた。

 客は心の中で自分の名前を言い、その時の思念で個人が特定される仕組みだ。

 思念……ここセジュでは長く人の発する思念が研究されてきた。その思念とは思考や感情とともにわずかに脳内に生まれるエネルギーなのだが、それが引き起こす強さや斑紋は個人にとって指紋のように独特なので、それを認証に使っているというわけだ。

(ラビスミーナ・ファマシュ)

(ヴァン・パスキエ)

「どうぞ」

 即時に認証された二人は、デミウルゴスのカフェテリアに入った。

「偽名が何であれ、このシステムを作ったのは俺だ。デミウルゴスの電脳は、俺も、お前も、エア様も、無条件に通れるように設定してある」

「ああ、お前は有難い身内だよ」

 ラビスミーナが頷く。それから……ラビスミーナの瞳が驚きで輝くのをヴァンは見逃さなかった。


 スタンダード車両の高さ三倍はあるカフェテリアの天井には星のように明かりが灯っていて、ところどころに置かれたステンドグラスのスタンドは、誰もが知るセジュの物語の一場面を語っている。

 乗客が思い思いにテーブルに着き、連れやここで知り合った客たちと会話を楽しんでいた。

「これで爽やかな風でも吹けば……夜のカフェテラスじゃないか」

 ラビスミーナが呟いた。

「ああ、実際車両を動かしてみるのは……なかなかいいものだな。ラビス、こっちだ」

 ヴァンはラビスミーナの手を取った。


 ヴァンはそのままカフェテラスの奥に進む。

 そこは足元から天井まで透明な強化壁でできていた。明かりが落とされた車両の中では、まるで深海の中に放り出されたような気持になる。

「まあ、オルクに乗るお前には慣れっこになっている景色だろうが……」

 ヴァンが言った。

「いや、こうやって眺めるのもいいものだ。この人混みでなければの話だが」

「ああ、そうだな」

 苦笑するヴァンにラビスミーナは聞いた。

「なあ、ヴァン。核と核の間を繋ぐチェーンも、潜水艇も、深海の大型生物がぶつかるのを避けるために特殊な電波を纏っている。もちろんデミウルゴスも例外ではないのだろうが、万一、衝突されるということはないのか?」

 その時、人々の歓声やどよめきが起こった。

 大型のクジラがそばを通ったのだ。

「ラビス、万一の可能性はないとは言い切れない。生物は絶えず変化し、人の常識を破る存在だから。だが、目下のところ心配はない。それにこの車両なら多少ぶつかられても損傷はないはずだ」

 ヴァンは何でもないかのように言った。

「うん。大したものだな、ヴァン」

 ラビスミーナはヴァンとつないだ手に目を落として微笑んだ。


 カフェテリアが混雑していたので二人は客席にお茶を運んでもらった。

 ヴァンとラビスミーナが目をやる海の色が暗黒から少しずつ青みを帯びる。

 その先に点在する光が見え始め、目前に上方にいくつもの小型ドームを従えた巨大ドームが姿を現した。

 農業に特化した核、ケペラだ。

 そのドームへ、デミウルゴスは滑らかに吸い込まれて行った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ