その②
「ラビスミーナ殿。お元気そうで何よりだ」
レンの治安部長官ジョセフ・シュターンミッツが言った。がっしりとして堅苦しい雰囲気。影ではリョサル王の犬と揶揄されるほど王に忠実な男だ。
その男にいつもの覇気がない。
「シュターンミッツ長官。ええ、確かに私は今健康上何の問題もありませんが……何の用です?」
ラビスミーナは聞いた。
「ああ、いや、個人的な頼みごとがある」
「あの煮え切らない様子ったら……ずいぶんお珍しいこと」
ユリアが小声で言った。
「個人的な? レンの治安部長官としてではなく?」
ラビスミーナが軽く眉を寄せる。
「そうだ。聞いてくれるか?」
「お聞きするだけは、お聞きしておきましょう」
ラビスミーナの返事にシュターンミッツはわずかにほっとしたようだった。改めて咳払いすると、シュターンミッツはいつもの調子で話し始めた。
「うむ。昨日のことだ。リョサル王は任期が切れる前に王の座をお降りになるつもりだと仰った。だが、私にはその理由がわからん」
「王は長官にも理由をお話にならないのか?」
驚くラビスミーナにシュターンミッツは頷いた。
「ああ。だが、プライベートの着信データをたどると、王が退くことをお考えになった直前に受けた通信はケペラからだった。内容は『ゼンダ・マッカーレンが死んだ』……これだけだ。もちろん、私はケペラで王を悩ませる何事かが起こったのだと思い、調べた。だが、最近亡くなったゼンダ・マッカーレンという女性と王との間に接点は見つからない。私は心配でならなかったのに、王は私が事情を調べたと知るとこの件について一切干渉するなとくぎを刺された。部下を使うのもだめだと仰る。そうなっては、私には動きようがないのだ」
「ゼンダ・マッカーレンとは何者だ?」
「わからん」
シュターンミッツは大きく息を吐いた。
「それで私に調べろと?」
ラビスミーナはスクリーンに映る相手を見つめた。
「そうだ。頼む」
画面に映る長官の顔が大写しになる。
「悪いが、断る」
「何故だ?」
先ほどまで神妙だったシュターンミッツが噛みつかんばかりに迫ってきた。
「落ち着いてくれ、長官。その女性と王がどういう関係かは知らないが、その女性の自殺を聞いて王がその場で辞任を考えなくてはならないなら、それは十中八九、王に後ろ暗いところがあるからだろう」
「しかし、たかだか一人の女が自殺したくらいで」
ここでシュターンミッツはラビスミーナの鋭い視線に気づき、思わず身を縮めた。
「いや、すまん。たかだかというのは私の失言だった。だが、今までの王の輝かしい実績が……」
「長官、領主は絶えずその統治資格を核の住民から問われている。祖先が核を起こした王子であっても、統治者は住民から上に立つに相応しいとみなされなくてはならないのだ。領主に代わって核の統治をしたいと思う者は必ずいる。代々力を蓄えている者は尚更だ。虎視眈々と核の統治を狙っているのさ。もしあの王にスキャンダルがあるなら、そんな奴らが見逃すはずがない」
「王がケペラの統治者として認められなくても構わないというのか?」
「我らがどうこう言うべきことではない。統治者はその核の住民が決める。それが決まりだ。そんなところにちょっかいを出したら、ゼフィロウに火の粉がかかる。あなたならわかるはずだ」
恐ろしい顔で迫るシュターンミッツにラビスミーナは答えた。
「あなたはさっき王に後ろめたいことがあるのだと言ったな? そうかもしれん……だがな、それでも王は立派なお方だ。あの方がくだらない非難や中傷にさらされたらと思うと私は耐えられん。ラビスミーナ殿、あなたなら口は堅いし、王の窮地をお助けできるのではないだろうか?」
「長官、王が立派な方だとは分かっているが、私も私情で動くわけにはいかない」
ラビスミーナが繰り返す。
「そうか……」
怒りを爆発させるものと半ば構えていたグリン、ユリア、そしてヴァンの予想に反してシュターンミッツは静かに切り出した。
「ラビスミーナ殿、実は、あなたがそう言うと思ってな……」
「何だ、長官?」
「ラビスミーナ殿には地上に行っているアイサという妹御がいらしたな?」
「それが?」
ラビスミーナの雰囲気が変わった。
シュターンミッツはその顔に冷や汗を浮かべながらも言葉を絞り出した。
「い、妹御の地上行きをお認めになり、お力をお貸したのは王だ」
「ああ、そうかもしれないが、レン全体の承認も得ているぞ?」
「だが、次の王がそう物わかりがいいかわからん」
「何が言いたい?」
「次の王が地上に行ったアイサ殿を快く迎えようとしないかもしれないということだ」
「私も父上もそんなことはさせない」
ラビスミーナの眼光が鋭くなった。
「わ、わかっている、が、ラビスミーナ殿、落ち着いて聞いてくれ。こんな私だが、王が代わっても、しばらく私の影響力は治安部に残るだろう。ケペラで何が起こっているか様子を見に行ってくれたら、私はアイサ殿のために最善を尽くすと約束する」
シュターンミッツは懇願する目でラビスミーナを見た。
「ラビス……」
ヴァンがラビスミーナの傍らに立つ。
「よし、行こう」
ラビスミーナは頷いた。
「ほ、本当か? 感謝する」
シュターンミッツは、ほっと安堵の息を吐き、スクリーンから早々に姿を消した。
「グリン、しばらく留守にする。後を頼む」
ラビスミーナは自分の副官を振り返った。
「わかりました。ですが、まずは、エア様にお知らせしないと」
「わかっている。ユリア、父上は城にいるかな?」
「午前中はゼフィロウ内のいくつかの委員会に出席され、その後、ゼフィロウ各地の代表者との昼食会、午後はスカハ(セジュの五番目の核)の代表団が何かご相談があるとかで見えるはずです」
「お気の毒に。俺なら三日で音を上げるな」
聞いていたヴァンが正直に言った。
「仕方ありませんわ。エア様はこのゼフィロウになくてはならない方ですもの」
ユリアはうっとりと言った。
「少なくともここゼフィロウにエア様に取って代われる人物は見当たりませんね」
グリンも頷く。
「父上にはお気の毒だが、今のところは見当たらないな。さて、では、ケペラ行の許可は父上と夕食を一緒に取りながらもらうとしよう」
ラビスミーナは言った。
「俺も顔を出すよ。お前とミアハに行く許可をもらわないと」
ヴァンはそう言い残すと、いそいそと研究室に戻った。
スカハの代表団が帰ると、エアは自室に戻り、お気に入りのソファーに腰を掛けて目をつぶった。
そこへエアの秘書が入ってきた。
きちんと梳かしつけた髪には白髪が混じる。中肉中背で目立たないその姿は、秘書というより侍従と言った風情だ。名はバリー・ストラウス、先代からゼフィロウ城で執事を務めるダリウス・アルヤに続く高齢だった。
「エア様、ラビスミーナ様とヴァン様がご家族用のダイニングでお待ちです」
「おや、久しぶりだな」
整ったエアの顔にいたずらっぽい表情が浮かぶ。
ゼフィロウの領主であり、ゼフィロウの住民から圧倒的な人気で統治者として認められているエアは、流れるような黒髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ、類まれな美貌の持ち主だった。
瞳の色は違っても同種の美貌を持つラビスミーナとエアは、誰が見ても親子で通る。だが、実際は、ラビスミーナはエアの姉メリッサ・ラントシュの娘だ。
姉夫婦、そして自分の妻を潜水艇の事故で一度に失ったエアは、事故後たったひとり生き残った姪ラビスミーナを養女としたのだった。
服を着替え、家族用のダイニングに入ると、そこにはすでにラビスミーナとヴァンが待っていた。
「エア様、お疲れ様です」
ヴァンが立ち上がった。
「ヴァン、来てくれてうれしいよ。デミウルゴスが完成するまでは姿が見えなかったが……いよいよ明後日に初運行だな」
「エア様、そのデミウルゴスに乗ってラビスとミアハまで行きたいのです。母が婚約指輪、婚約指輪とうるさくて……」
ヴァンが照れたように言った。
「それはありがたい話だな、ラビス」
エアとヴァンが席に着く。
ラビスミーナはにっこりと笑った。
「では、父上、警備の方はグリンに任せてよろしいでしょうか?」
「もちろんだ」
エアは優雅に頷いた。
「それと父上、もう一つ許可をいただきたいのです」
「何だろう」
エアは探るように娘を見た。
「実はケペラにも寄ってみたいのですが、こちらは数日かかるかもしれません」
ラビスミーナは相変わらず微笑んだままだ。だが、エアの顔からは微笑みが消えた。
「リョサル王の身辺を探る気か? さてはシュターンミッツ長官あたりから話があったか?」
「ご存知でしたか。さすがに父上は出し抜けないな」
ラビスミーナが肩をすくめる。
「王からの通知に次期王選出の件が入っていた」
素っ気なく答えたエアはラビスミーナを見つめた。
「で、何故お前が行く?」
「シュターンミッツは必死でした。アイサの件ではできる限り協力すると言っています」
「それで受けたか……」
エアは苦い顔をした。
「アイサのことでは王にも便宜を図ってもらっています」
「それはそうだが……王が何かを隠していたとしても、それは王の問題だ。それでリョサル家を助ければお前はケペラの権力争いに首を突っ込むことになるぞ?」
「それはシュターンミッツ長官もわかっています。その上で、できる限りのことをしろということでしょう。そういうわけでケペラへは一般の、そうだな、私立探偵ということで行ってみます」
「お前のことだ、核の統治者をめぐる権力争いがどんなものであることはわかっているだろう。探偵など簡単に葬られる。行かせたくはないな」
「アイサのことがありますから」
きっぱりと言うラビスミーナにエアは戸惑いの色を浮かべた。
「ラビス、アイサは愛しい娘だ。だが、お前も私にとって愛しい娘なのだよ」
「わかっていますとも。重々気を付けて行ってまいります」
ラビスミーナはエアを見つめ、素直に微笑んで言った。
「それで、愛しい娘からお願いが一つ」
「何かな?」
「ケペラにあるゼフィロウの領事館を使うことをお許しください」
「構わないが……あそこには王の周りの情報収集を命じてあるが、まだ内容のある報告は上がっていないぞ?」
エアが眉を寄せてラビスミーナを見た。
「ちょっとつついてみましょう」
ラビスミーナが真顔で言う。
エアは苦笑した。
「お前が顔を出すとなると……だが、いいだろう。後始末は私の役目だ」
「ありがとうございます」
「エア様、俺も行きますから。ミアハに行かなくてはならないので、ついでです」
「ヴァンまでか。やれやれ、これでは帰ってくるまで気が気ではない」
「エア様……」
ヴァンは申し訳なさそうな声を出した。
「いや、そういうわけではない。家族にもしものことがあるかもしれないと思うとつい、な」
「エア様……」
エアの心の傷を知るヴァンが言葉を詰まらせる。
「それより、父上、スカハはどんな話を持ってきたのです?」
ラビスミーナが割り込んだ。
「あ、ああ、海底の鉱物資源開発の調査艇が欲しいそうだ。そのための融資も」
「鉱物資源? 今のままでは足りませんか?」
ラビスミーナが首をかしげる。
「鉱物資源と一言で言っても、貴重なものも、新しいものもありますからね」
ヴァンが頷く。
「珍しいものがあれば見つけものだな、ヴァン」
エアも子供のように目を輝かせ、それからその瞳を若い二人に向けた。
「ラビス、お前が行くと気がもめるが……ヴァン、頼んだよ」
「お任せください」
ヴァンはきっぱり答えた。